John・F・Kennedy
- カテゴリ:テレビ
- 2010/11/23 17:29:00
「ヒストリーチャンネル」でケネディの特集が組まれると耳にし、楽しみにしていました。
『特集 ケネディ暗殺~悲劇か陰謀か~』
Ⅰ、未公開映像で事件の事実を見る 「JFK:アメリカを変えた3発の銃弾」
Ⅱ、新たな文書で判明した暗殺事件後の舞台裏 「ケネディ大統領暗殺後の24時間」
Ⅲ、単独犯説を断定した疑惑の委員会とは?
「ウォーレン委員会~ケネディ大統領暗殺の真相は」
Ⅳ、オズワルド、ルビーの裏にCIAの影が!?「疑惑の陰謀:JFK暗殺容疑者の殺害」
Ⅴ、警察が事実隠蔽?呪われた一族の謎の死の真相とは
「疑惑の陰謀:ロバート・F・ケネディの暗殺」 ・・・・・・・・・と言った内容で、約10時間!
小学校時代、初めて手にした伝記が『ケネディ』で、
当時どっぷりはまったものです。
放課時間になると学校の図書室に入り浸り、ケネディの世界に完全ワープ。
それに飽き足らず、母にねだって各出版社発行の伝記『ケネディ』を
取り寄せてもらいましたっけ。
幼心に、初めて目にする堀の深い欧米の顔立ち、
強烈なコンプレックスを抱いていた兄(ジョセフ)の死後、
不屈の精神で政界トップに駆け上がっていったサクセスストーリーは、
読んでいるだけで胸躍らせるものだったのです。
父ジョセフの、『二番は負けだ。一番になれ!』は、
その後の私の指針になったほどです。
学校の下敷きには何年もケネディの写真が入れられ、
級友からは、「変わった趣味」と言われましたっけ。
この特集番組を見終わり、改めて背筋の凍る思いがしました。
ウォーレン委員会は、オズワルドの単独犯説で結論を出してしまいましたが、
裏に巨大な組織の存在があるのは明白です。
CIA,キューバのカストロ勢力,そしてマフィア・・・。
例えば「マフィア黒幕説」で考えるだけでも、十分すぎる暗殺根拠が見えてきます・・・。
1961年にケネディが第35代大統領に就任すると、周囲の反対を押し切り
弟ロバートを司法長官に抜擢します。
ロバートは、頭脳明晰・・・ではありませんでしたが、法律倫理観に長けていました。
ケネディ一族の結束も固く、兄のために尽力するのは当然と思ったことでしょう。
しかしケネディ家には、父ジョセフ時代からのマフィアとの深い関係が存在します。
妹のパトリシアは、ピーター・ローフォードという俳優と結婚しますが、
ローフォードはフランク・シナトラ派の筆頭。
つまり、マフィアとの関係も、“絶縁”など夢のまた夢に。
それでもロバートは、父の警告を完全に無視して、
マフィア撲滅への強行策に出たのです。
手始めに、1961年4月、カルロス・マルセロの強制逮捕・国外追放。
マルセロは当時全米闇社会No.1の実力者でした。
しかし1962年には、密かにマルセロはアメリカに舞い戻っています。
そして9月、自身の本拠地ニューオリンズに全米マフィアを集めて大集会を開催。
その席で、ケネディ政権をののしり、
大統領とロバートの暗殺を示唆したと言うのです。
「犬は、しっぽを切り落としたくらいじゃ噛み付いてくるからな」と。
恨み渦巻く中、なおもロバートはマフィア撲滅の手を緩めませんでした。
次なるターゲットは、シカゴのドン、サム・ジアンカーナ。
旧知のフランク・シナトラの後見人的存在の彼を、遠ざけ始めたのです。
サムは、JFKの大統領選での選挙不正の手伝いをしてくれた、
いわば大恩(?)のある人物で・・・。
1963年 6月、ジアンカーナへの締め付けはさらに強化され
1963年10月、組織犯罪の本拠地とされる「ラスベガス直撃構想」が完成
しかし、1963年 11月22日 PM12:30
遊説中のJFK大統領、ダラスにて狙撃され死亡。
これにより、ロバートによる「ラスベガス直撃構想」は中止になったのです。
その彼も1968年6月5日、ロサンゼルスのアンバサダーホテルで暗殺されました。
こちらも、サーハン・サーハンの単独犯で早々に捜査を打ち切っています・・・。
幾重にも重なった、恨みつらみ、そして陰謀。
その中で、「生を全うする方がよほど困難だったのでは」とさえ思える深い闇・・・。
数年前のことです。
大学時代の恩師がオクラホマ大学に留学されていて、
「見聞を広めるためにも、時間を作って遊びにいらっしゃい」という
お誘いを受けました。
その時車で、「フォートワース」「ダラス」を案内してくださったのです。
幼い頃から脳裏に焼きついた地名・・・ダラス。
自分がその地に立てるとは夢にも思わなかっただけに、
感慨深かったです。
あの「教科書倉庫ビル」は、今では観光施設になっていました。
オズワルドが潜んでいたという6階のコーナーはガラスで仕切られ、
当時の状態のまま、保存(再現)されていました。
大好きだったケネディ大統領が狙撃された地点にしばしたたずみ、
あの日の映像を思い浮かべると胸が締め付けられ、
立ち去りがたかったのを覚えています。
I had a great time at the Arashi-concert.
That atmosphere was so nice!
Have you ever been to the Japanese one ?
I recommend you that !
See you again.
miss you><
arashi no concert,,is it very happy??
私も大野さんがいるから、嵐に興味があるようなもので・・・。
あの方、とても不思議。
いつもな~んにも考えていない。でも、何かやらせると完成度が高い。
「『フォレスト・ガンプ』に近い」を最近発見!
でもまだ不思議な人です、能力と運の強さの点で。
しっかり目が合いましたよ!今回。“指をさして両手でピース”って。
二回目は、友だちに作ってもらった団扇振っていたら
そこに書かれた文字を見て「えっ」と嬉しそうな顔になってピース。私も面白くなって団扇をクルリ。
(裏返すと違う言葉)そのアクション“リールで巻き上げ”をしてくれましたね。
「大野さん、しっかりお客の顔みてるのね。いいヒトね~」と驚きました!
良い思い出になりました。行ってよかった!
Thank you for your comment !
See you later.
see you~~
nagataさん、上手いですね~!気分転換です、完全に。
時代の流れに乗っている人を見るのは楽しいですからね。
「自らのパワーが落ちたときは、パワーのある人間からもらえ!」って言いますでしょ?!
パワー補給です!ふふふ・・・。
面白いんですよ~、嵐ファンの方々。
「よくあれだけ赤の他人にリキを入れられるな~」って、驚きを通り越して感動です。
友だちならまだしも、一生お話しする機会もないかもしれない人に「キャ~!!」ですよ。
私には考えられない思考・行動パターン・・・だから面白いんです!
“満足”したらコンサートにもわざわざ足を運ばなくなるかもしれないけど、
今はまだ興味津々。とりあえず、しっかり楽しんできます!
Olivierさんは 嵐に会いに行くのね
Yes, of course, I'll visit your home from now on.
Thany you for your comment. See you again !
i'm so happy to see your comments..>V<
please always comes to visit!!
these few days is a little bit busy,,,XP
see you~
やはりそうでしたか・・。
でも、私の想像をはるかに超える記憶の断片で・・驚きました。
"4歳ぐらいの頃~”は、三輪&江原氏の言う「まさしく前世の記憶・・」。
さらにその興味が今に至っている点も、興味深いです。
少し話が飛躍しますが・・・
世の中には「天才」、そして「秀才」と呼ばれるヒトがいます。
ただ、前者と後者の間には天と地ほどの隔たりがあり、
秀才は努力次第でかなりのヒトが成り得ると考えます。
しかし天才は特殊です。明らかに別次元の思考形態をしています。
もちろん、基礎部分は秀才と全く変わりません。
でも、凡庸な人間には見ることの出来ない、その先の「何か」が見えるのです。
人間の脳というのは、学習とその蓄積で、思考の幅が広がって行きます。
しかし天才の思考形態は実に面白く、学習ウンヌンをはるかに飛び越えた所に
興味・着目の点が打たれるのです。
前世が関係する・・などと言ったら、飛躍しすぎと笑われそうですが、
何らかの関連性を感じます。
サモワール教授の目の付け所・掘り下げ方等、かつて(仕事で)出会った天才達に類似します。
本当にオモシロイ!
「教授の才能が、世に出るといいな~」などと真剣に思ったりして・・。
前世で訪れた事がある場所なんだ…という教えがあるとか。
確かにサンクト・ペテルブルグのペトロ・パーブロフスク要塞から、
ネヴァ河越しに冬宮殿や旧海軍省・イサーク聖堂の遠景を見た時には、
なんとも言えない感慨に浸ったような覚えがあります。
秋田出身の僕が、親の関係とはいえ、2歳で京都に来る事になったのも、
これだけ歴史が好きなる(しかも武家より公家好き)遠因が、
どこかにあったのかもしれませんね。
京都御苑に立つと、とっても安らぎを覚えますw
なんたって僕が公家好きになったきっかけは、
4歳ぐらいの頃に見た『雛人形』の本に異常に反応して、
毎度毎度見ていたからですし…w
そういえば歴史関係に関しては、江戸初期の切支丹弾圧や、
戦時中の空襲被害などに、異常に反応した覚えがあります。
原爆被害を取り上げた番組などは、小さい頃、泣き叫んで見る事を拒否し
(親は、後学の為に見ろと主張し続けましたが)家を飛び出した事もあります。
まだ、原爆被害の映像すら流れない前に。
空襲に関しては、近年TBSが放映した『東京大空襲』
(警視庁の特殊任務として写真を撮り続けていた方の話)の再現映像で、
B29が焼夷弾を投下する映像に、かつて味わったことのないほどのリアルさを覚えて
不思議な感慨に浸った覚えがあります。
さすがサモワール教授!
私の100パーセント盲点の日本史のみならず、海外の諸知識まで!
今まで「タイタニック」を始め、船舶関係はどうも避ける傾向があって・・。
過去にも船舶内部を案内・説明されたことはありましたが、ほとんど記憶に残っていません。
心臓の奥のほうがギュッと絞られる感覚になって、表現し難い不快な感じになるのです。
でも今回、いい意味で整理でき、ちょっぴり浄化できた気がします。
とてもためになりました。ありがとうございます!
思うのですが・・・教授にもこのような記憶の断片がおありなのではありませんか?
感性の点といい、左脳のみならず右脳の活動も並外れていらっしゃいますからね~。
教授はロシア(ソ連etc)?日本の宮廷内にもいそうですねぇ。
いずれにせよ、かなり著名な文化人だったと推測します・・。
タイタニックと外見が似ているのは、姉妹船のオリンピック号とブリタニック号ですね。
実はそれぞれ微妙に外観が違うのですが、パッと見で一番美しいのはタイタニックと言われています。
オリンピックが長女に当たりますが、オリンピックの1等プロムナードデッキが波飛沫を受けやすい為、
二女タイタニックではガラスカバーが取り付けられています。
三女ブリタニックはタイタニック事件後にデビューした為、救命ボートが定員分乗っているので、
外観上、ボートデッキが非常にごちゃごちゃして見えています(もちろん、その分安全なのですが)。
ガラスカバーの分、タイタニックの方が外観上はすっきりして見えるという評価が多いです。
オリンピック型は、ホワイトスターライン社所属ですが、
競合路線で安全と豪華さに定評があったのはライバル・キュナード社所属の
モーリタニア号・ルシタニア号という姉妹船(デビューもこちらの方がオリンピックより早い)で、
あちらもオリンピック型同様、煙突が4本立っている巨大船です。
こちらも船の知識がない人にはタイタニックと間違われやすい船です。
オリンピック型もモーリタニア型も、実は煙突は4本もいらないのですが、
美観と巨大さをアピールする目的で立てられています。
タイタニック事件の折、1等船客の女性で夫と運命を共にした方は、
ストラウス夫妻以外にもいます。
また、女性の単身客ですら、どうしてもボートに乗る事が出来ず亡くなった方もいます。
ちなみに、オリンピック型の2等船室の内装は、他社他船の1等船室並みという評判でした。
いえいえ!この話題はずっと気になっていただけに有難い機会です。
感覚的に分からない人には、サッパリの内容ですからね。
下手をすると“変人”扱いされてしまいます。フフフ・・
三輪さん&江原さん曰く、「3~5歳までは誰でも前世の記憶がある。
その後現世の記憶の蓄積で、“夢”を忘れてしまうのと同じ感覚で忘れていく。
でも強烈な印象・映像は脳裏に刻まれ、ふとした機会に表面化することもある」そうです。
きっとたぬきの休息さんにも、たくさんの記憶の断片があったのだと推測します。
その中で“フライトの恐怖”のみ今も残っていて、飛行機を拒絶するに繋がっているのでは。
私も家族からよく「船旅しよう!クイーンエリザベス号のセミスイートでいこう!」と誘われますが、
「嫌だ!あんな虚栄心とおべんちゃらの世界のどこがいいの!」と受け付けません。
飛行機と船の違いはありますが、それらに対して好ましい印象を持っていない点で一致します。
数年前、新車の買い替えの時、一時ジャガーにしようか・・・と
(引き寄せられるように)思ったことがあります。やはり深緑色で。
パンフレットも取り寄せて、担当さんまで紹介されて・・・。
でも、「死ぬな、わたし」と直感して、止めました。
たぬきの休息さんはとても賢い方なので、さらなる見聞を広げるためにも
「海外を巡られたらいいのに・・」と思っていましたが、
飛行機だけは今後も、十分気をつけたほうがいいかも知れませんね・・。
完全なる余談ですが・・・・、姪が2~3歳の頃の話です。
当時の彼女はダイヤモンドが特に大好きで、宝石店に行くたびに耳元で
「大きくなったら沢山買ってね。私、ダイヤがだいちゅきなの」と言っていました。
その上、夜のネオンにも異様に興奮して・・。
「この子の前世は“銀座のホステス”だ・・」と直感しましたね!
そんな彼女も現在小6。
まるでアクセサリーに興味はなく、“ダイヤの一件”もすっかり忘れています。
それはそれで安心したりして・・。
タイタニックにはふたごのように形の似た同社の船があったらしいので、それを混同されずにタイタニック号の模型に引かれたというのはやはりご縁があったのでしょうね。
大きな船舶が沈没するときにはとんでもない渦が生まれるらしいです。
だから救命ボートも人を乗せたら一目散に離れなければ巻き込まれる危険性があるとか。
濁流の記憶があるというのはとても恐ろしいことですが、間違いではないと思います。
私には前世の記憶がないので何故なのかはわかりませんが、昔から航空機事故には異様に反応します。
というか、事故の時の機内の様子がリアルに想像できてしまう・・・
で、しばらくの間、寝るときにフラッシュバックみたいに出てきて眠れなくなる。
飛行機なんて乗ったことないし、ドラマもほとんど見ないのに不思議なものですね。
このコメントを読んでいても、涙が込み上げてきます・・。(コマッタモノデス)
かつて英国を巡っている時、ほんの気まぐれでリバプールに立ち寄ったのです。
リバプールと言えばビートルズ。それくらいのイメージでしたが、一度は街を見ておいてもいいかと。
アルバートドック(埠頭周辺の廃墟を商業ビル化した施設)を歩いていると、
『マージサイド海洋博物館』が目に入ったのです。
後から知ったことですが、リバプールはあの“ホワイトスター社”の所在地。
そして数々の著名な豪華客船を送り出したのが、このリバプール港だったそうです。
博物館には、それこそ何十もの歴代の豪華客船の模型が所狭しと陳列されていました。
余りの多さに(集中力が途切れ)、次第に朦朧としてきたときに、
どうしても離れがたい船の模型があったのです。
その時は、特に船の名前を確認することなく他の船に目を移し・・・でもやはり気になって戻り、
それが「タイタニック」だったのです。でも、当時は映画『タイタニック』製作よりもずっと前。
私自身も、“不幸の客船”の知識しかありませんでした。
その後数回リバプールを訪れるうちに、『点(記憶の断片)』が増えていった次第です。
今回調べてみましたら、タイタニックの一等客室の乗客数は329人いたそうです。
サモワール教授が仰るような立派な方が前世・・・は、おこがまし過ぎます!
それでも、私達は夫婦仲が良好だったようです。と言うか、とても夫を尊敬していました。
ですから、“夫が死んだ後、自分だけ生き延びる”は考えられない選択肢だったようです。
ただ、水位がみるみる上がっていく恐怖は(なぜか)覚えていて、
今も夢でそのシーンが出てきます。(夢の中では“渦巻く濁流”なんですが)
映画『タイタニック』は、購入しました。
でも、(初回見た後)心構えがまだできず、ずっと本棚で眠っています・・。
メイシーズ・デパート社長イジドア・ストラウスと令夫人アイダ。
高齢の夫婦でしたが、妻は夫がボートに乗れないと知るや、
夫と共にいると言い張ります。
夫は、男性とはいえ高齢なのだからボートに乗ってもいいのでは…と、
周囲は勧めましたが、夫は「誰にも認めて貰えない特権など望まない」と語り、
夫婦はボートをめぐっての喧騒から離れ、
仲良くデッキのベンチに腰掛けて過ごしていた…
というのが、生存者が語った彼らの最期の姿。
自分達は共に海上で果てましたが、自らの使用人はちゃんとボートに乗せてやっています。
映画ではキャメロン監督の創作で、船室にて、海水がベッド下まで流れ込んで来る中、
老夫婦がベッドでキスをしながら最期を迎えようとしているシーンが挿入されていましたが、
あれがストラウス夫妻です。
そうですね!
今出来ることを積み重ね、悔いなく生きる。
ありがとうございます。がんばります!
前述のとおり私に前世の記憶はありませんが、私に前世があるとしたら中国や日本にいたと思います。
親近感がある時代や場所があったりはしますので。
今と違う世界にいる自分というのを夢想してみるのも楽しいものです。
ただ、過去に自分が何者であったとしても今の自分は自分。
今の自分にできることをまず積み重ねていくしかないですね。
余談ですが、中学生時分には宇宙空間の彼方から髑髏が集団で迫ってくるシュールな夢とか戦争のリアルな映像とか脳裏に浮かんできたりしたことがあります。
宇宙に髑髏が飛ぶ必然性がわかりませんが、ノストラダムスの大予言とか話題になっていた年代なので不安なところがあったのかも。
小説読んでいても状況を映像化してしまう特技(?)があるので、実生活にない映像=前世とはならないのが難点です。
世界にはいろいろな宗教がありますが、個人的には輪廻転生説を信じています。
自分でも説明しがたい記憶の断片が、脳裏に散在しているのですからね。
一体これは何だろうと。
初めは夢で見た光景くらいに思っていました。
でも、映画を観て訳もなく涙があふれ出るように、(ある時から)個々の「何か」を見るたびに
その続きの映像・写真群が見えるようになったのです。
一代前の前世は、英国人の女医さん。ジャガーを運転して自宅に帰る途中、
道に飛び出てきた小動物をよけそこねて大木に激突。ハンドルが胸にめり込んで死んでいます。
やはり幼少の頃、深緑色のジャガーが通るたびに、「この車嫌い!」と皆に言ってたようです。
車種も何も知らない頃でしたが、その車だけは霊柩車と同レベルでゾッとしたものです。
ただ、今の私に多大な影響を与えている前世は、1850年前のローマ人(ヴェスタの巫女)です。
これが困りもので、かなり束縛されています。
三輪さんなどが、「前世は、踏み台のようなもの。その時出来なかったことを、今やらせるために
生まれ変わってきたのよ。束縛されるのではなく、乗り越えなくちゃね」と仰っていたのですが・・。
こういった記憶の残っている人は、どう処理しているんでしょうね。
この巫女の記憶だけは、大きなしこりのように心にのしかかってくるのです。
当時の苦悩の数々を見せ付けて来て・・。
「今となっては仕方がないし、どうしようも出来ないじゃないの!」と言い聞かせているんですが。
ローマにも何度も行って、住んでいた遺跡にも行ったんです。でも、まだダメみたいで。
困ったものです。このような記憶・感情が残っているというのも。
普段は出来る限り、記憶に蓋をしていますが。
またまた、訳の分からないことを長々とスミマセン・・。
うちの職場に「タイタニックを見てから大型船舶に乗るのが恐怖になっている」同僚がいます。
職員旅行の時、和歌山で川を船で移動したときも「こんな密閉されたところで転覆したら死ぬんじゃないか」と不安でたまらなかったらしいです。
タイタニックではないにしても、何か因縁があるのかもしれませんね。
タイタニックは女性の乗客を優先的に避難させていたそうですから、夫とともに亡くなったということは、余程夫婦仲がよかったか夫が離れようとしなかったか、でしょうね。
一等客室なら取り残された可能性は低そうですし。
タイタニックの責任者の中にも残らずに救命ボートに飛び乗って非難された方もいたようですから、夫は誇り高い方だったということかな。
自分の前世が何かということは知りませんが、輪廻転生の中にいると信じるなら何者かではあったのでしょう。
誰だったからというのに囚われるのではなく、今この世で何が出来るのか考えるために支えになるというのであれば前世を知ることも悪くはないと思います。
夫もろとも沈んで亡くなっています。
一等の乗船客で、スコットランド人(50%の確立でイングランド人)でしたが。
一等と三等は厳格に仕切られていましたが、こちらから行くことは可能でした。
結構覚えているんですよ。かつて2~3人にしか言ったことはないんですけどね。呆れられますから。
出航前のお祭り騒ぎ、お世辞ばかりの表面的な会話に辟易していた毎食事、そして死ぬ直前の恐怖。
“船で沈んで死んだ”は、漠然と分かっていたのですが、個々の記憶が合致してタイタニックと判明。
その後興味本位で見た映画『タイタニック』は、船のアップ映像あたりからもう涙が止まらなくて、
しまいには嗚咽になって・・・自分で自分の変化に驚いたものです。
初めてでしたね・・・、あれほど泣いたのは。止めようにも、溢れ出てくるんですから。
ですから(?)、私は昔から船旅が大嫌いです。特に豪華客船。
海も・・・、大好きですが、足が付かないところは身がすくむほど怖い。誰かが足を引っ張りそうで。
ケネディにあれほど心奪われたのは、アイルランド人の郷愁を、
細胞レベルで認識していたからかな・・・などと思ったりもします。
すみません。また、変なことを書いてしまいました。
でも、“宇宙的脳みそ”の持ち主のサモワールさんなら
何を書いても許してくれるかな~と思って。
3等船客の内、かなりの数はアイルランド移民でしたもんね。
だから映画でも三等船客のパーティーはアイリッシュの雰囲気そのもの。
あれに行きなり合わせられるフィラデルフィア上流階級出身という設定のローズは
オテンバを通り越して『どこで覚えた!』という感じでしたがw
Of course, I could !
Your Japanese was absolutely perfect !
[ I'm a student~~~]
わたしは学生(がくせい)ですが、パートタイム
(ぱーとたいむ)のしごとをしています。・・・・です!
Thank you ! See you again !!
なるほど言われてみればそうですね。
私の興味は、小学校の頃の『伝記』から入りましたけれど・・。
我々の幼少の頃は今と違ってテレビゲーム等もほとんど無く、
娯楽施設も繁華街などに限った状況だったのでは?
そうなると自然に、外で駆け回るか、読書に向かうしかなく・・。
その世代が、今、メディアの製作現場のリーダーになっているのも、
要因の一つかもしれません。
今の10代~20代には馴染みのない名前でも、我々~には耳慣れた名前と言う意味で、
チョイス(番組制作&海外映像を買い入れる)の対象になりやすいのです。
『伝記』になった偉人はたくさんいます。
その中でもケネディは、ビジュアル的にも、
家柄にしても(アメリカには王室がない代わりに、ケネディ家を王室に見立てるメディアも多いそうです)
そしてマリリン・モンローとの愛人関係、兄弟ともども暗殺等で、
インパクトの点で抜きん出ています。
日本はとかくアメリカに影響されやすいですからね。
ケネディ関係の映画は、最近までしばしばハリウッドで製作されていましたから。
そのつど日本人の記憶に刷り込まれ・・・というところではないでしょうか。
(世界的に見れば)平和ですからね、日本は。
ケネディ暗殺のように、多くの機関が関わって国のトップを葬り去るなんて・・・
小説の世界でしかありません。
製作サイドも、大衆が“オモシロイ”と思うから動くわけで。
『秘密』が多いほど、(ケネディに失礼な言い方ですが)
“暇ネタ”として生き続けるのではないでしょうか。
ほんとうに??わたしのにほんごがわかりますか?
いいえ~わたしはがっこうで働いていません~~
i'm a student,,and have part-time job^^(ここはにほんごがわかりませんXP)
へ~~はなまる=よくできました??おもしろいですね~~>V<
アメリカ人が、自らの歴史を振り返る中で取り上げるというのはわかるのですけど。
アメリカの大統領で暗殺された方、されかけた方、急死した方は他にもいるというのに、不思議なことではあります。
日本では邪馬台国論争とか義経生存説とかやっているような感覚なのでしょうか。
こっちは謎が深まるほど魅力が増して、且つ直接的被害を蒙る人がいないから長年続いているのでしょうけど。
ケネディの件については下手したら今被害を蒙る関係者もいそうなところが難しいところです。
ちなみに、私は「オズワルドは狙撃したかもしれないが、ケネディに致命傷を与えた犯人ではない」に一票です。
「犯人はいたが始末された」という「事実」だけ残すために用意されたかわいそうな人なんじゃないかなと思っています。
ケネディ好きが高じて、「ダラス」の後は「アイルランド」にも行って来ました!
ケネディはアイルランド移民の3世なんです。
1849年に祖父パトリックが渡米して。
当時アイルランドにはカトリック罰則法があって、
カトリック教徒の教育を受ける権利を奪っていたそうです。
そこに1845年~51年にかけ、記録的な大飢饉に見舞われ・・・。
私の中でのアイルランドのイメージは、『貧困』。この一言に尽きます。
しかし、実際行って驚きました!
島を車で一回りしたのですが、一軒たりとも“ボロ屋”がないのです!
こうなると私も意地になって、「一軒でもボロ屋を見つけるぞ~!」と意気込んだのですが。
結局、本当に一軒も“みすぼらしい家”がなかったのです。
どうやらEU加盟・2002年(通貨統合は1999年)にユーロが導入されると、
農・畜産物が飛ぶように売れ始め、国民の生活水準が急激に改善されたそうです。
どうりでどの家も、それはそれは新しく、凝ったデザインで美しいハズ。
かなり田舎でも、100坪の一軒家の値段が6000万円~8000万円と言っていましたから。
そのアイルランドが・・・今では経済危機に直面。(まるで日本の1992年・・)
すみません。かなり本筋からそれてしまいました。
ケネディが狙撃された直後の、ジャクリーンの冷静さが、かなりひっかかる私です。
車の後部に這い出たのは、飛び散った脳ミソの塊(一説には頭蓋骨の一部)をかき集めるため。
そしてすぐさま、血まみれのケネディが大衆の目にさらされないように、
病院到着までずっと覆いかぶさっていたそうです。
自分が銃撃される可能性は、全く考えていなかったのでしょうね。
血まみれの夫の姿にも取り乱すことなく・・・何と腹の据わった方なのでしょう。
その後も、人前で涙も見せなかったらしいですから・・・立派(?)です。
舞台裏の事までは全く知りませんでした。
映像を見ながら、夫人は車の後部まで行ってどうしたいのか…
などと、良く分らない事を考えたものです。
どこの国でもVIPや有名人は、有象無象の群衆の前に
姿を現わさなきゃならないので考えてみりゃ怖いですよねえ。
Thank you for your Japanese comment !
It's absolutely perfect !
Thank you !!
きのうはごめんね~~ちょっといそがしいですね~~
はい、、私のにほんごがあまりわがりませんね~~
でも、、がんばります~~よろしくお願いします~~
へ~にほんはちょっとさむいですか。。
でも、ホンコンはちょっとあたたかいですね~~
じや、お元気で~~
『伝記』の中のケネディは、幼心にひたすらヒーローでした。
父の期待を一身に背負った優秀な兄に、強烈なコンプレップスを持っていたケネディ。
彼の背骨には先天性の異常があり、加えて副腎機能も極めて劣っていたそうで・・。
何をやっても中途半端で虚弱体質。
そんな自信のかけらもなかったケネディ少年が、
アメリカのトップに駆け上がったのですからね。
ケネディ家は裕福でしたが、カトリックでした。
当時英国系プロテスタントが上流階級を支配していたボストンでは、
かなり異端だったそうですし・・。
それら全てを乗り越えての大統領就任ですからね。
まさに、アメリカンドリーム!
でも後年、事件について詳細に知れば知るほど
その闇は深く、悲しみも深まったものです。
「CIA黒幕説」の支持者、多いですね~。
確かに、あれだけ大々的に暗殺劇(?)が行われ、
アメリカ国民のみならず世界中の人の注目の中、
ものの見事にオズワルド単独犯で結論付けてしまいましたものね。
“銃痕”一つとっても、ケネディの背中の襟下15センチから入って、
喉に抜けていますからね・・・。
教科書倉庫ビル6階から下方に放った銃弾が、なぜホップするのか疑問でなりませんよ。
そういった様々な疑問点をバッサリ切捨てての単独犯断定ですからね。
検視もお粗末極まりなくだったようで、こうなると余計に怪しくなる。
他にも“石油&軍の利益”の障害になると、ケネディはかなり疎まれていましたしね。
ただ、もし「マフィア黒幕説」が正しいとするなら、
莫大なお金をCIAに横流しして、手を結んだとしか考えられません・・・。
でもそれは・・・・“正義”を信じたい・・。
いずれにせよ、多くの私利私欲・恨み等が渾然一体となって起こった、
20世紀最大のミステリーの一つだと思います。
ケネディー暗殺の特集みたいな話の見て
すごい衝撃を受けた覚えがあります。
直接関係ありませんが、
ケネディー暗殺を基にした(?)小説の
ゴールデンスランバーが好きです。
私もあの暗殺シーンは衝撃を受けましたよ。
未だに解明されていないのはミステリーで
想像を掻き立てますねぇ。
私は、CIA説に1票です^^
そうですね・・。
あのマリリン・モンローが亡くなった際も、睡眠薬の多量摂取で片付けられてしまいましたし・・。
あの一件の裏にもマフィアの存在があり、
ケネディ家の弱みを握るためにお膳立てしたと言われています。
当然マフィアの内部にはスパイとしてCIAが入り込んでいるわけで・・。
当時、FBIのフーバー長官はケネディ政権(特にロバート)に良い印象を持っていませんでした。
それでも「お国の大事」と、強引にケネディ兄弟とモンローの仲を
“終わり”にさせたようですし・・・。
怖いですね。
殺せばそれで終わりになるだなんて・・・
今の日本の、ゲーム蔓延社会の先を見ているようで。
だから、ジャーナリストはみんなぎりぎりの所で止めているみたいです。
真実は闇の中ですね。
奇しくもあの日、初めて、日本(大阪・毎日放送)とアメリカの中継実験(衛星通信)が
行われたのです。
日本にとっては、記念すべき衛星放送初日。
その第一声が、「たった今、ケネディ大統領が銃撃された模様です・・・」だったそうです。
当時は、すぐにアメリカ側から映像をもらえる状況になく、
“手書きのフリップ”を手に、MBSアナウンサーの一人しゃべりだったそうです。
放送関係者の多くは、「CIA黒幕説」を支持していますね。副大統領ジョンソン一派だと。
その説も、吟味すると実に信憑性が高く・・・。
でも、単独犯にされたオズワルドのバックには「キューバのカストロ勢力」が・・・。
2029年、この暗殺に関する全ての機密文書が開示されるそうですが、
ほとんどの重要な資料(犯人特定に関する)は既に廃棄されたと言われています。
やはりケネディの死は、『20世紀の謎』のまま、
終結を迎えてしまうのでしょうか。
勉強不足で知りませんでした。
状況証拠からマフィア黒幕説が真実に近いのかもしれませんが、
真相は闇の中ですね。
ケネディ一家といえば、「ある愛の詩」という有名な映画を思い出します。
ケネディとは関係ありませんが、アメリカ東部の上流階級の話で、
きっとケネディ一家も同様の感じだったのでしょう。