Nicotto Town


Olivier


『アウシュビッツの聖者』 Part Ⅲ

アウシュビッツを語るとき、忘れてはならない人物が多数います。
その中のお一人が、マキシミリアノ・コルベ神父。
日本(1930年・長崎)にも布教に来られた、
『アウシュビッツの聖者』と呼ばれる方です。

アウシュビッツ強制収容所には、誰もが恐れる場所がありました。
『死のブロック』と呼ばれる11号棟です。
それは『死の壁』(銃殺刑場)の右手に位置し、
名ばかりの裁判が行われ、即刻死刑が言い渡される建物です。

 そこには様々な牢があり、

    「立ち牢」・・・90センチ四方の狭い空間に4人が押し込められる牢
    「窒息牢」・・・何十人もの収容者が押し込められ、重い木の扉で封鎖する牢
    「飢餓牢」・・・水・食べ物を一切与えずに餓死させる牢       etc

収容者の苦しむさまを自らの快楽に変えているとしか思えないような空間が、
当時の状態のまま保存・公開されています。

1941年7月末、脱走者が出たということで無作為に10人が選ばれ、
餓死刑が言い渡されました。
するとその中の一人、フランツェク・ガイオニチェク(ポーランド人)が、
「私には妻子がいる」と叫びだしたそうです。
その声を聞いたコルベ神父が、
「私はカトリック司祭ですから妻子はおりません。
 身代わりになります」と申し出たのです。

通常このような「身代わり」は認められなかったようです。
しかし、ナチスに批判的な活動家と目され、影響力のあった神父の申し出は、
収容所長のルドルフ・へスにとっては好都合。
すぐさま認められ、刑が執行されました。

・・・・・・水・食べ物が一切与えられない地下の暗い牢の中。
通常は阿鼻叫喚と化すのですが、神父は9人の受刑者を励まし続け
祈りの言葉と歌声により、餓死牢はまるで聖堂のようだったと言います。

2週間後も神父(他にも4人)には息があり、
フェノール注射をして殺害されました・・・。

その顔は穏やかで、美しく輝いていたと記録されています。

後にコルベ神父は、同じくポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世によって
1982年10月10日に「20世紀の殉教者」として列聖されました。

また、コルベ神父に命を助けられたガイオニチェクは、
アウシュビッツの開放の日まで生き延び、
コルベ神父の恩を忘れることなく、天寿を全うするその日まで、
世界各地で講演会を行ったそうです・・・。

『身代わり』、それも命を懸けた。
「鬼畜」に中にも、崇高な魂は存在し続けたのです・・・。


 先を行くガイドの中谷氏が歩みを止め、一点を見つめます。
そこには整地された広場。
真ん中には「階段(3段)の付随する木製の鉄棒」のようなものが置かれています。

「これがヘスが絞首刑になった場所です」。

初代所長のルドルフ・ヘスは、収容所解放後裁判にかけられ死刑が言い渡され、
アウシュビッツのこの地で公開処刑されたのでした。

死の空気で満ち満ちた空間。
いたたまれない気持ちでうつむいたまま出口に歩を進めていると、
不意に中谷氏のポーランド語が耳に入り・・・。
見ると、真っ白な髪にシミ一つ無い透き通るような肌の初老の紳士。
仕立ての良い黒いコートを身にまとい、中谷氏の挨拶に静かに頷いていました。

「元収容者の方です。今年91歳になられます・・・」。

とても91歳には見えない凛とした佇まいに、
大袈裟ではなく神々しいものを感じ、私も深く頭を下げたのでした。

「式典の準備が始まるようです。そろそろ外に出ましょう」。

出口でヘッドホンガイドを返却し、いま一度収容所に目を向けると・・・。
そこは、一人の観光客もいない静寂の空間が広がっていました。

美しい赤レンガの建物、綺麗に剪定されたポプラの木々。
ここが虐殺の場だとは思えないほどの、静かで美しい空間・・・。


次に私たちが向かったのは、『ビルケナウ強制収容所』。
アウシュビッツから約2キロほど離れた所に、それはあります。

この施設はアウシュビッツでは収容しきれなくなり、
1941年10月に開所されたものです。
『一大殺人工場』の異名をとるこの施設は、正に「入所=死」を意味していました。
(ここで『アンネの日記』の作者、アンネ・フランクもチフスで病死しています。)

その規模はアウシュビッツ強制収容所の比ではなく、
面積1,75平方km、東京ドーム約37個分の広さ。

そこに約300棟ものバラックの建物が所狭しと建てられていました。
一部赤レンガのバラックもありましたが、三分の二以上は木製の粗末な造り。
基礎工事などあるはずもなく、床は土がむき出しの状態。
暖房設備も備えられてはいましたが、木切れで組んだようなバラックは
隙間風が情け容赦なく吹き込み、極寒の冬は何の効果もなかったといいます。

現在は見渡す限りの平原に、煙突(暖房用)だけが点々と残されていました。

荒涼とした空間、そこに鉄道の引き込み線。
『死の門』と呼ばれた入り口ゲート。

ビルケナウ強制収容所・・・そこでは妊婦・子ども・老人は何の記録も残されないまま
到着し次第、即刻身包みはがされ、ガス室に送り込まれたそうです・・・。

                                 Part Ⅳ につづく。




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2011/02/15 19:39
としさま、コメントありがとうございます。

としさんが私のつたない文章で、少しでも情景が浮かんだというのは嬉しい限りです。

私の脳裏には様々な情景が焼きついています。
でもそれを文章にしたとき、何処まで書いたらそれが読み手にも見えるのか、
その点に苦慮します。
書きすぎれば疎ましく(野暮ったく)なりますし、少ないと映像は見えてはきませんから。

初めはこれほど長く書くつもりはなかったのですョ。
でも、心を静め、想いを巡らせていると
この部分は書かなくては・・・という内容が次々に出てきて。

でも、正直しんどかったです。
このテンションを保ち、アウシュビッツの世界に浸るのは。

としさんのグアム旅行記のように楽しい話題なら、
もうしばらく時間をかけてUPするのですが、
今回ばかりは「早く!」と思いましたね。

実はこの一週間、ほとんど食事が喉を通らなくなってしまい・・・。
帰国後3~4キロ痩せました。
も~、ガリガリですよ、私。
でも、これでやっと食べられるかも?
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2011/02/15 16:53
おぉ~~、やはりそうでしたかっ
書かれている通り、感想が少なく客観的描写で書かれているなぁって思っていました。
狙い通り、情景が目に浮かび、思いめぐらし、緊張しながら読んでいますよ。

「文章巧者」って~~(>_<)
私の場合、客観的描写はすごく苦手なのですよ。
客観的描写は、語彙力、文章力、構成力が問われますのでね・・・
私には、叙事は無理でございますっっ
叙情なら、己剥き出しでイケますので簡単ですね^^

前ブログで時代とシンクロしたのは凄いですね。
感性が豊かなんでしょうね!!
アウシュビッツにはOlivierさんを惹きつける何かがあるんでしょうね。
どうも、私には無いようで・・・^^
アバター
2011/02/15 16:00
としさま、コメントありがとうございます。

としさんのような「文章巧者」に褒めていただくと、
恥ずかしいやら嬉しいやら・・・です。
ありがとうございます。

私は仕事で大学生の文章に接していますが、
彼等は(マスコミ講座受講前から)ある程度書ける学生ばかりなんです。
ですから「ここはこう直したら、より読み手に気持ちが伝わります」etc、
ほんの少しのコメントで格段に上手くなる学生ばかりで。
私は、・・・書けなくても講師はできるのです。(笑)

としさんのテンポの良い文章は、私、大好きです!
気が滅入っている時など好んで読んでいるのですが、
本当に大笑いでき、元気になります。

としさんの『グアム ファイナル』のワンフレーズなどは、今も脳裏から離れません。
 ~ 80年代田舎のヤンキー
           夜露死苦 ~  これ、かなり気に入っています!
としさんの文章からも、沢山勉強させていただいています。

今回の「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」に関しては、
敢えて自らの感想を最小限にし、客観描写に努めました。
こういった話は、読み手がそれぞれに想いを巡らせるのがいいのではと考えたからです。
書き手の感情が、読み手にとって邪魔になることも多々あります。
今回はその典型かと。

私が実際に歩き、目にし、思ったことを繋げてみました。
必要最小限のナレーション原稿風に。

「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」の迫力は、
やはり訪れないと伝わりにくいと思います。
入場した途端に、恐ろしさではなく、深い悲しみの空気に包まれましたから。
私、自然に『般若心経』を唱えていましたよ。
何かに守られていないと飲み込まれそうな、かつて体験したことの無い
悲しい空気に満ち満ちた空間でしたから。

でも、行って良かったです!
近い将来、また行くつもりです。
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2011/02/15 15:18
Dear lumlum,

I am very sorry, because I couldn't visit you.
I was a little bit busy for a while.
Anyway I am quite fine as usual,
and I am going to visit you again !!
アバター
2011/02/15 12:33
こんにちわ^^

アウシュビッツの光景が目に浮かぶようです。
描画が淡々と書かれているで、逆に当時の凄み・異常さがビシビシ伝わってきます。
さすがですねっっ^^
講師をやられているだけあって文章力・構成力には敬服いたしますよ<(_ _)>
映像より緊迫感が伝わりますっっ!すごいっっ^^

テレビ等で知ってはいたのですが・・・
やはり、異常としか言いようがないですねっっ
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2011/02/15 01:32
Dear Olivier:
long time no see~
how are u??
アバター
2011/02/14 21:32
うさたさま、コメントありがとうございます。

『シンドラーのリスト』、内容は知っています。でも私、まだ見ていないのです。
映画の公開以前にこの方の情報が耳に入っていて・・・。
いま一つ加工された映画を観る気になれず、そのまま機を逸してしまいました。
この方最初はかなりの金満主義者だったようですね。
もっとも最後は、映画にもあるように、聖人のようになりましたが。
今回改めて「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」について考えを深めておこうと思ったので
今度観て見ます。

勝者・・・そうですね。
勝者でいる限り、裁かれることはありません。
でも、偽りの勝者には、必ず制裁が訪れると私は信じています。
アバター
2011/02/14 20:41
シンドラーのリストは何度もみたので、
情景が思い浮かびます。

しかし、これは敗者の残虐行為なので、
明らかになり、裁かれたのだと思います。
勝者の場合はうやむやになり、裁かれない。
たとえ現代においても。
チベットやイラクで行われたこと。
歴史は勝者が作るというのが、よくわかります。



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