Nicotto Town


ぽいじゅんのぽじてぃぶぽんちょ


使命

子供が生まれたらペットを飼いましょう。
彼は自らの身を犠牲にして命の尊さを教えてくれるでしょう。

うろ覚えですが、どこかで聞いた詩か歌の一部です。

私の両親は共働きで、尚且つ多趣味な自由人だったので
休日を含め基本あまり家にはおらず、
そういった理由もありペットはいませんでした。

欲しいと思ったこともあったような気がしますが、
幼心にも死んでしまったときの悲しさに耐えられる自信がなかったので
ねだったことはありませんでした。

ペットといえど家族として長い時を共に過ごせば
その別れはきっととてつもなく大きなものになるのでしょう。
まだ生死の何たるかがよく理解できていない
子供のときにそれを体験しておくことによって、
いずれ訪れるであろう大切な人との永遠の別れに対する
免疫をある程度備えられるのかもしれません。

私はそれをしなかった。
だからなのか、未だ大切な人の死を受け入れられないでいる。

気が付けばキミより8歳も老けてしまったよ。
止まった時計はもう二度と動かない。
残された者は今日を、明日を生きていかねば。

どうか僕に
その勇気を下さいますように。

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2009/01/18 22:14
ゆるゆると生きる。
なかなか良い響きですね。

ON・OFFをしっかり切り替えられる人間になりたいものです。
一度箍を緩めてしまうとズルズルいきそうでちょっと不安ですが・・・


おおー、チェご覧になったのですね。
私は映画館に勤めているのですが、既に空席だらけで・・・
やはり世間受けは芳しくないようです(ノ∀`*)

お勧め、というわけではないのですが
『ガタカ』という映画が一番のお気に入りです。
宇宙ものに弱い
という個人的嗜好も影響してるのでお口に合いますかどうか・・・
アバター
2009/01/18 02:28
ありがとうございます。

わたしは愚かです。
父とは全く関係ないことで
それを思い知ったのです。

だから、人は時々、どうしようもないのです。

もっと自由でいいのだけれど
人は。
たぶん。

でも、それを許しすぎると自分の良さもなくなり
ずるずると甘えたままになりそうです。

じゅんさんも、ゆるゆると生きてくださいね。

チェは後編を観てから感想を書きます。
映画関係のお仕事ですか^^

また、おすすめがありましたら教えてください^^
アバター
2009/01/17 23:05
何かから逃れようとすると
その意識そのものが、既にその何かに縛られているんですものね。
その感覚はなんだか私にも当てはまるような気がします。

いい思い出がまったくない親子関係
というのが、私には想像できません。
まだまだ人生経験が足りないようです・・・

そんな私が黒猫手毬さんに贈る言葉は

「あなたはもう十分がんばりました。あなたはあなたでいいと思います。」

少し偉そうですね、すみません。
ただこれだけは事実なのです。
私はあなたの言葉に救われた。
今も、そしてこれからもきっと。

あがくあなたを
遠くよりいつも応援しています。
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2009/01/17 04:51
こんばんは。かなりの遅いのですが^^;

正確には離れたというべきでしたね。
亡くなったのはずっと先で、わたし十分
大人でした。

父と離れるしか普通の生活が望めない状況でしたから
仕方がありませんでした。成人してからも父を訪ねることは
しませんでした。すべてを壊してしまう人だったからです。

離れてしまえば、もう、父と暮らすことは不可能でした。
のちにどんなに後悔しても、やはり同じ選択をすると思います。
そういう人でした。

父のようになりたくないと自覚したのはかなり幼い時です。
遺伝子が同じなので、かなりの縛りを自分に課したのです。
強い倫理観や正義感、逃げないことなど、いろいろ。

それは親というバックグランドなしに生きていかなければならない
私の鎧でした。それは十分役目を果たしました。
だから私は今ここにいる、といえます。

でも、人はもっと自由であっていいのです。
しかし、父への抵抗とともに楔のように巻きつい強い倫理観は
心の中に深く、くい込んでいます。

父の死とともに
他にもほんとうにいろいろあるのですが、私は自分を見失ったのです。

否応なしに、父と別れた年齢まで還らなければならなかった。
忘れていたいたことを掘り返しに。

愕然としたのは
いい思い出がないことでした。
そうして、もっと痛かったのは
わたしが父を助けたいと願っていた少女だった
それを思い出したのです。

『血と骨』の梁石日さんも、なぜ父があのようなことをしたのか
理解できずに苦しみ、理解できなまま丸ごと書いたと言われて
いました。

他人なら、当たり前ですが客観的になるのはたやすいのです。
親は難しい。それが不毛とわかっていても辿らなければ、越えることが
できないこともあります。

人はもっと自由であっていいいのです。
弱くてもね。
でもそれを許してあげていない相手は、たぶん父ではない。
私自身でしょう。
それが、父の残した私の傷でしょう。
自分を責めるのは人の特性かもしれません。

ただ、私は非常に前向きな人間でもあります。
これを何か、もう少し、いいものへ転換したいとあがいています。



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2009/01/16 02:07
黒猫手毬さんは思春期にお父様を亡くされているんでしたね。

子供は親を選べない。

幼い頃私が絶えず抱いていた、
最も納得出来ないこの世の不条理でした。

けれどきっと何か意味があるんでしょう。
自分がその親のもとに生まれてきた理由が。
別にその理由が何なのかなんてどうでもいいような気がします。

ただ親の否定は自らの否定に繋がるので
それこそ不毛の道。

愛すべき思い出をたったの一つでいいから
絶えず大切に抱えていれば
いつか時が美化してくれることでしょう。

だってあなたは言ったじゃありませんか。
弱くてもいいと。
私に向けたその優しさを
どうぞあの人にも。
アバター
2009/01/16 01:05
吐きだすと、きっと楽になるんでしょうね。
一時的かもしれないけれど。

誰かに話せるようになった。
たぶん、それが少しだけ前進した証かもしれません。

こういう
仮想空間だから
距離感が、なかなかいいのです。

リアルじゃないのに
リアルがあって、
たぶん、文字だけじゃなく
体があることも、(みんな童顔^^;)
影響しているのかもしれません。

私の父は若い時の別れと裏切りから
生涯立ち直ることのできぬ人でしたから。
そのどうしようもなさを
受け入れがたかったのです。

それも、仕方ない一面もあったのだと
思うこのごろです。



アバター
2009/01/16 00:25
大切な人の死を受け入れるとは、どういうことなのか?

私もその喪失感を埋められるものはないのだと思います。
その穴を埋めようとしてもそれは不毛なことなのだと。

きっとまた別のベクトルで、何かを探す必要があるのでしょうね。
心に大きな穴を抱えたまま。

でも最近になってようやくその穴を
悲しさだけじゃなく、優しさや懐かしさをもって
眺められるようになったような気がするんです。
まだ完全にではないですが。

この記事の後半部分は、正直載せるか載せまいか悩んだのですが
今では載せて良かったと思っています。
黒猫手毬さんに出会えなければ
今この穏やかな感情は、きっと生まれてなかったことでしょう。
本当にありがとうございます。

私にどれほどのストレス耐性が残っているかわかりませんが、
最後のお言葉を胸に刻み、生きていこうと思います。
アバター
2009/01/15 17:38
私の大切な作家のひとり、須賀敦子さんが「コルシカ書店の仲間たち」のあとがきにかえての章で
自分自身の孤独を確立しなければ本当の人生は始まらない、と書かれていました。

その時は彼女の生涯は知らなかったのですが、本当に大切な人を失ったからこそ、でてくる言葉
だと感じました。

その通り、戦後間もなく女性が結婚に逃げず学問を選べる道を探し、単身ヨーロッパに渡った知性と
勇気のある人選をおくられた人です。フランスからイタリアに流れ、夫となるペッピーノさんと出会い
結婚しました。精神的にも深く結びついた夫婦結婚生活は夫の病死によって、わずが四年で終焉を
迎えます。イタリアの友人たちは彼女が自殺するのではと心配し、しばらく離れなかったと。

その死や通常あったであろう甘い恋のいきさつなどは、ほとんど書き残されていません。
だからこそ、いかに重かったのかと、思わずにはいられません。

大切な人との別れの喪失感を埋められるものは、ないのではないかと
私は思うのです。

傷や穴はぽっかりとあいたままで、そこにある、その場所に深く踏んだり
落ち込まないよう注意深くならざるを得ないのではと。

人生経験を積んだからといって、痛みを回避することはできません。
たぶん人の中にあるストレス耐性は、個人によって決まり、増えることは
ないのではないか。
年齢に関係なくそれを使い切ってしまえば、心の病に陥る危険が
ある気がします。

だから、人は歳を重ねるたびに弱くなるのです。

永遠というものは、ないのだと
それでも、大切な人と過ごし心を通わせた時は
永遠に消えることなく、そこに存在します。

哀しくたっていいではありませんか。
弱くったて。

でも、自分の悲しさだけに入り込み
周りに残された大切な人を忘れてしまうことだけは
しないでください。



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