Nicotto Town


るもりゅう の 大好きな 仲間たち


世代間老老介護


春になったら、ちょっとした散歩でもと予定していた。
時々散歩には絶好の気候の日も出てきた。

話は変わるが、不幸にもと言おうか、幸福にもと考えるべきか、未だ両親が健在である。
私自身がもはや老境にいるので、推して知るべし、80歳を超える老人たちである。
それに、女房のおふくろも同年代で、同居している。
自分の両親と別居で女房の母親と同居というのは、理由は他でもない。
私と両親は性格が合わないのだ。

もともと彼らは子育てが非常に下手な連中で、他人任せで私と妹を育てたようなものだ。
私の育った時代は、終戦後の貧しい時代だった。
夢中になって働いてこなければ生きてくることは不可能であったし、彼らが若い時期はそれなりの考えもあったのだろうと思う。
だが、私自身が社会人となって家業の手伝いをし始めてからは、ことごとく意見が合わなくなった。
おかしな言い方だが、時代を見る目は若い方が斬新的であるし、仕事の能力も差が開いてしまう。
私のほうは販売企画などで、全国有数の数字をたたき出したのだ。

いまになって思えば、彼らは自分がつくった仕事をとられるという焦りが生じたのだっただろう。
世代間ギャップの断層を埋めることはできなかった。
それは子育てにまで影響した。
どうしようもないので、私は独立して家業とは別の仕事を始めた。
これにもことごとく口を挟まれて、大げんかをしたあげく、地域での仕事は不可能だと悟らざるを得なかった。
さらに、仕事の中身を全国的な方向へと変えざるを得なかった。

家業を守りながら家業を離れた仕事を地方の田舎町で行うのは非常に辛いものがある。
せめてマーケットが仙台などの中堅都市でもあれば、いかようにも料理のしようもあったが、基盤のないまま東証一部に上場している企業などの外部コンサルタントとしてプロジェクトを推進する立場になっていた。
足許を地元企業にすくわれながら、何度も実績を積み重ねた。
そのたびに、両親はじゃまをする方向へと行動する。
理解できなかったのだろう。
最後には私の会社の印鑑さえ勝手に使うようになってしまっていた。

紆余曲折あって、その面倒を見なければならぬ時期が来た。
方やぼけが始まり、もう一方は身体が動かず、病院に通わせるのにも付き添わなければならぬ状況である。
80歳越えの老人三人をどのようにするのがよいか、難しい。
言うことをきかぬ年寄りの面倒を近くに子供でもいれば分担もしてもらえるだろうが、長男は研究者として大学に奉職し、次男は長男との比較が残るだろう地元への帰郷は行えないとの結論を出したようだ。
末の娘は福岡の年下くんに嫁いでしまった。
次男は遊んだ大学の関係で北海道に骨を埋めるつもりらしい。

我が両親から離れさせたことは大正解であったが、長男夫婦は双方共に高学歴で、果たして仙台あたりに来ても東北大とかにそのての研究者として都落ちするだけの覚悟を持てるのかと言えば、これもむずかしいだろう。
おそらく、彼の伸びるための方向性は中枢部か外国の大学にさらに路を探し続けなければならない分野だろう。
ダラスでの国際学会とのことで、今日飛ぶらしい。
ビルゲイツに会えるようにと話があったらしいが、彼の子供の状況でぎりぎりの時間で向こうに到着するので、無理と教授を通して断ったらしい。
分野が音声処理制御(わかりやすい言葉にすれば)だから、いずれはオックスフォードとかMITなどだろうけれど、MIT卒業したという女性を雇用したとき、あまりに能力が低く感じてしまったので、大成するための路には不向きだろう。

つらつらと、このところの忙しい理由を書いてみた。
娘の嫁ぎ先にさえ1年以上もくれるのにまだご挨拶にで出かけられないのである。


   

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2010/03/15 05:01
老老介護は深刻な問題です。
うちの両親も、祖母の面倒を見ています。母も体が不自由になったため
近くの施設に祖母は入所していますが、仲が悪いので好都合です。^^;
至れり尽くせりの祖母の方が長生きしたらどうしようと不謹慎にも思ったりします。
アバター
2010/03/15 02:56
こんばんわ、うちは両親とも亡くなってしまったのでいますぐどうということはないの。
でも介護の問題は、自分自身を介護してくれる人は果たしているのかどうかってことに
なるから、不安にもなる訳ですよ。
なるべく人に迷惑かけたくないと思うけど、こればかりはなんともわからないですよね。



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