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天才


天才とは努力の異名である。 by 萩原朔太郎

学生時代に、古書店で萩原朔太郎の「月に吠える」を見つけた。
確か、当時の金で2000円だったので、40年以上前だからいくらくらいになるだろう。
大卒の初任給が13000円くらいの時だ。
残念ながら、その金が財布になかった。
数日後に、どうしても欲しくて代金を持って出かけたときには、残念ながらもうなくなっていた。
初版本である。
萩原朔太郎は、紛れもなく天才だと思っている。
だが、入手できなかったのが悔しくて、未だに彼の本を読もうとは思わなくなった。

天才だろうと思う人間には、様々な形で出会ってきた。
彼らが努力の人々であると言うことは異論のないところだ。
しかし、努力が必ずしも天才につながるとは思えない。
天才と思うには、努力を超えた元々の才能を感じるからである。
普通の人が、彼らのまねなどできるはずがない。
しかし、人生に於いて天才に勝ることができないかと言えば、そうではない。
ひとつの道を20年も歩き続ければ、その道で優位に立てる。
様々なアクシデントで、道を歩き続けることができないというのも、多くの人にあることだ。
天才とて同様である。

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2011/02/25 10:01
絵画や音楽というのは、それこそ才能の塊のような方でも日の目を見ない時代が長く続いてきました。
絵かきや音楽家などになろうとすれば、どこかの変わり者というくらいの目で見られたものです。
親しくしていた、ある程度は教養も高かった高校の教師が、音楽などは趣味で続けるものであって、正業ではないと言い放ったことがあり、このような考えが時代を覆っていたと思います。

ふうちまさんのお父さんは、でも恵まれた才能の方ですね。
何が正しいことなのかを娘に伝えることが出来ているというだけで十分以上です。
私は時々、書画骨董の類を売買するときがあります。
数をこなさなければ、本物の匂いも嗅ぎ分けられません。
世の中に贋作の多いことも驚くほどですし、贋作ではなく、製作前の構図などを書いたものなどは、時には二束三文でたたき売られています。
本物は府に落ちる。
その感覚だけで、誰も見向きもしないような業者市の中で本物を拾い出すことができたときの爽快感は、また格別なものです。
何をするにも、本物を見せてくださっている、お父さんの思いはたしかに伝わっているから、ふうちまさんの時々見せる鋭い視点なのだと、私は理解しています。

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2011/02/25 01:30
天才とは程遠いですが
うちの父も小さい頃からNHKなどで絵画を取り上げられたり
大学時代は写真で注目されたりなどしていたそうですが
何しろ片親で貧しかったということもあり
奨学金で3年間高校に通いながらアルバイトをし大学も国立しか選択肢がなく
当然大学出た後も当然のように就職し母親や妹を養い
その後もわたしたち家族を養うために今まで走り抜けてきたわけですが
ある時「俺は本当は芸術肌だったんだよ・・・絵とか写真がやりたかったんだ」
とこぼしたことがありました。
時代が違ったり環境が違っていたらもしかしたら父の歩んだ道は
全く別のものだったのかなぁなんてこの記事を読ませて頂き思ったふうちまでした。
今となれば仕事をしている仕事の鬼という姿しか浮かびませんが・・・
幼少期からわたしをルーブルはじめ世界各国の美術館を連れ歩いたのは
純粋に芸術方面が好きだったからなのかなぁなんて今更ながら気付きました。
当のわたし(当時3歳)は「パパーおじさんが血まみれになってるよ!」
と宗教画の前で指差している脳天気なお子様でしたが・・・(^^;



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