Nicotto Town


るもりゅう の 大好きな 仲間たち


犬物


和洋折衷は明治時代に多かったようだが、それ以前に異国趣味の好きな人がいなかったわけではない。
むしろ、江戸時代の元禄文化華やかなりし頃のほうが余程新しもの好きがそろっていたようだ。
伝え聞くところに依れば、犬なども大型のマスティフなどが持ち込まれていた。
闘犬で勝ちたいがために大型の犬をほしがったのだという。
浮世絵などに描かれたものは日本の犬ではなく洋犬が多いのは、珍し物好きが多かった証明とも言えるだろう。

あまりに贅沢なことが流行るものだから、贅沢禁止令などが出されるのだが、禁止されたらそれを破ってみたいのは世の常、人の情というもの。
もっとも、あからさまに禁を破ることは、いまと違って命を取られるほどの大罪となっていたのだから、破るほうもおっかなびっくり、おそるおそると陰に回って人目につかないようにやったのだ。
着物の裏に、ご禁制の土派手な刺繍を施したりしたのだった。

ここからは与太話である。
本当の話とは思わないでもらいたい。
おとなしいと評判の大店の息子がいて、常々贅沢をしていた。
それでも、派手にふるまって役人に目をつけられたりすると、お目こぼしをしてもらうのに、大金をワイロとしてとられたりする。
あまり、人目につかないように気をつけてはいた。
ところが、浮世絵で評判になった女性に恋をしたというのである。
いまで言う美人グラビアアイドルにお金持ちのおぼっちゃまが恋をしたようなものだ。
昔は、おおらかな時代で金でほとんどの恋は成就した。
欲しいというものはなんでも贈り物にしたのだから、金になびいた女性と懇ろになった。
たちまちに、お役人に知られることになって、牢屋に入った。
百万人も住んでいた江戸の町で、役人の数は100人に満たなかったのだから、ねたまれたりすると告げ口されて捕まってしまう。
役人も忙しいから、ワイロをもらうより、捕まえた方が早いと思われたのだっただろう。
記録には、その捕まった男のその後が書いてない。

このような読み物を書いたのは、徒然草などが有名だった。
そこで、もっと下世話にしたものを誰かに書かせたらおもしろいと思ったのがいたのだ。
犬徒然という題で売り出された。
もちろん書いたのは兼好法師ではない。
このように体裁だけをそれ以前の名作になぞらえて書いたものは多く出版された。
多くは「犬○○」として、これもいまの週刊誌のように飛ぶように売れたという。
犬物と呼ばれる一連の本である。
これも、あまりに流行ったので、贅沢な本として取り締まりにあったとかなかったとか。


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2011/02/25 10:22
明治大正の資産家の中には誰彼を差別しないで歓待する習慣だった方も、いたようです。
奉公人も多く、人手の必要な仕事も多かったからでしょう。
行商とか渡り職人、更にはサンカと呼ばれた漂泊者の方もいて、それこそ乞食となって行き倒れることもあったでしょう。
そういう方々には、縋り付かなければならないときの存在というのは、お互いが連絡しあって、ほどほどに迷惑を控えようという分別もあって、それを破ると乞食の元締めのような人から厳しい折檻があったのだと聞いたことがあります。
ですから、彼らの側にたってみれば、守るべき存在であって、当然だったのでしょうね。

昭和の40年代頃だったと思いますが、上野に有名な女乞食がいて、彼女は時間になるとさっさと持ち場から自宅に帰ったそうです。
職業乞食を貫き通したのだそうですが、自宅を含めて、上野界隈に旅館を三軒持っていて、彼女を頼って全国から人が集まったそうです。
たまに企業で講演などもやったそうですwww

今の日本は豊かになりましたが、なにか本当の人の情けを知る方がいなくなったようで、つまらない時代のような気もします。
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2011/02/25 01:21
なるほど~そうなのですね!
このおじいちゃんは乞食さんもたくさん拾って(というと失礼ですが当時はそう言っていたそうで)
お世話して食べさせお風呂に入れてお金を持たせて再出発させていたそうで
ある日おじいちゃんの隣家が火事になった時にその乞食の方々が一斉に集まって
家財道具を外に運び出してくれたのだそうな。そしてひとつも無くなっていなかったと。
今ではあまり聞かなくなったいい話だなぁ~って思ったものでした。
と、いうか単純に逢ってみたかったな~と思いました。おじいちゃんに(*´ω`*)
ケンカすると相手の頭をゲタで殴っていたそうですがwww
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2011/02/24 20:46
犬公方は週刊誌ではないからね
本棚を覗いたときに犬著門集とかあったんだが、書こうと思ってどこかに置き忘れちゃったよ
さっきから探していたんだが見つからない
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2011/02/24 11:40
犬○○だと、犬公方が(笑)
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2011/02/23 10:17
昔は妻妾同衾というのが理想とされて、だから妻が夫の愛人の世話をするというのはよくあったことらしいですよ。
江戸時代以前の性風俗はおおらかで、男3人に女一人くらいの比率だそうですから、圧倒的に女性が少なく、妻帯できる人は少なかったようです。
食べることが優先する時代ですから…。

一夫一婦制というのは、確立してきたのは第二次世界大戦後のことと思っても良いのじゃないでしょうか。
たかだか60年あまりのことのようだと思います。


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2011/02/23 03:03
今も昔も「恋物語」というか「色恋沙汰」というか
人さまの恋愛に関するアレコレ(イザコザ?)に人々は興味を持ってしまうものなのですね~

うちのおじいちゃん(母の父)は生粋の江戸っ子だそうですが(逢ったことないので聞いた話)
結核にかかったお気に入りの花魁のお世話をしていたそうです(主に嫁であるおばあちゃんが^^;)
感謝しながら旅立って行ったそうな・・・(主におばあちゃんに)
不思議な時代だなぁと思ったものでした(ってうちのおじいちゃんだけ???^^;)





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