震災備忘録-当日-1
- カテゴリ:日記
- 2011/03/16 10:33:49
通常の地震とは明らかになにかが違っていた。
揺れのタイミングも、当たり前の時とは違って、クレーン車にでも釣り上げられて、異次元へでも運ばれるような、ゆっくりとした気持ちの悪さだった。
部屋の壁がビシッと音を立てて、割れて剥がれた。
三十数年前、宮城県沖地震の時に子供が熱を出して医者に行ったために難を逃れた部屋に居た。
まざまざと当時の情景がフラッシュバックになって襲ってきた。
タンスが倒れ、テレビが吹っ飛びと言うシーンだ。
タンスを支え鴨居に捕まって必死に足場だけを確保しようとした。
デスクトップがテーブルから落ちた。
立っていることが不思議なくらいにかき回される、振り回される。
フラフープででも遊ばれているのじゃないかという、ゆったりとした、大きな動きだ。
一階には86歳の女房のお袋と、犬猫がそれぞれ一匹いた。
大丈夫かぁ、と二度大きな声を出したが、何の返答も帰ってこない。
部屋の入り口に置いた長机とその上に置いた本やら資料が散乱して足の踏み場もないと言うレベルではない散乱である。
入り口にたどりつこうにもその数歩が進めない。
確実に家は崩壊すると思った。
大正9年の新聞の貼ってあった建物である。
若干の補強はしたが…
揺れは5分以上も続いただろうか。
恐ろしく長い地震だった。
瀬戸物が壊れ、段ボールや本の散乱した中を、ようやく進んで、階段に辿り着いた。
一瞬、何の音もない無音の世界だった。
女房のおふくろは、表に飛び出し転んで、どこかの高校生に助けられて、ようやく立つことができたのだそうだ。
しばらく茫然自失だったのが、また揺れが来て、我に帰って騒ぎ始めた。




























今回の事故が起きてから、デッドラインは50kmと思っていましたし、今でもそのように思っています。
また、スリーマイル島よりは大きいと考えていましたが、私の予想よりも大きな事故になりつつあります。
知人が、専門家に聞いた話だとスリーマイル島で16kmを超えての被害はなかったと言うのです。
ご存じのように、このような拡散は距離の二乗に反比例します。
中心部の被害の大きさによってデッドラインの輪の広がりの大きさが決まります。
現状だとスリーマイル島の16kmを適用してまったく問題はありません。
ですから、東京電力と政府方針は適切です。
では、デッドラインの50kmが発生するのはどの時点か、ということが次の段階の問題になります。
現時点でメルトダウン(炉心溶解)が起きていると見た方がよいでしょう。
この炉心が溶けると高熱になります。
炉心がむき出しになって、人間が近づくことができなくなる放射能を発散する状況になると、この50kmのデッドラインになると思っています。
状況的にはチェルノブイリ事故と同様に感じられると思いますが、核爆発を起こすわけではないので、チェルノブイリのように1000kmとか1500kmという想定は不要だと思います。
逃げるとすればどこか?
私は山形県に逃げようと決めました。
山によって福島原発から遮断されると考えているからです。
福島の方々も山形県や新潟県という選択肢はありますが、会津地方であれば福島県内でも十分な距離ではないかと思います。
逃げるべきか否かという議論はありません。
状況が条件に達したら逃げるべきです。
ただ、今の段階で必ずというものではないので、私自身もデッドラインぎりぎりに住んで、普通に生活しているわけです。
それほどあわてふためくことも必要ではないと思います。
ちなみに福島市内の水道水に放射性物質が混入したと報道がありますが、もしそうであっても、レントゲン一枚撮るよりも低い値でしかなので、問題は起きないだろうと思います。
20km~30kmの方々への対策は、あまりにお粗末すぎます。
状況を勘案すれば、今のような事態は回避されるわけですから、菅直人総理が陣頭指揮というなら現地入りして、安心で大丈夫なのだとパフォーマンスだけでも行うべきだと思います。
やっぱりるもりゅうさん、
大きな「理解」の在り方を示してくださりありがとうございます。
あの映像はじめ被災地の多くの悲劇が
私たちの世代に反省と
そして後世の人々の心に学習という
「意義ある種」が残される事を期待したいと思います。
ピュリッツアー賞のその写真
とても衝撃的で、そしてそのカメラマンの末路を知り
それもまた衝撃的で・・・
今わたしのマイミクさん(福島)の子が
「どうしてみんな逃げるの・・・
生まれ育った街なのに
どうしてみんな避けるの・・・
振り払うの
あなたに大切な人がいることわかってる
でも
わたしたちにだって守りたい人がいる
逃げないで
避けないで・・・」
と言っていて、本当に言葉がなかった。
コチラから向かう物資運搬車両が
原発を懸念して福島入りを拒否しているとのことで
そして周囲の人が次々避難しているとのことで・・・
彼女は養護学校の教員で
近所の身寄りのない方々のお世話もしていて
カンタンに全てを置いて逃げ出すわけには行かないと思ってる。
でも逃げられるところがある人
逃げる余地のある人(退職した方やお子さんなど)は
2日前から次々と福島を後にしているようで
わたしは「逃げろ」とも「逃げるな」とも言えない。
心は逃げて欲しいと思っていても言えない。
留まって助け合い、震災津波後”うつくしまふくしま”の全てを
後世や子孫(もしもこのまま乗り切れば)伝えることが大切なのか
逃げ伸びて何よりも自らの命と心の平穏を守るべきなのか
「自分だったら」と考えても仮定でしかなく、
やはり心寄せることも余裕ありきの傲慢な感情でしかないのかと
ただ為す術もなく、頭を垂れるだけです。
特に、伝統を記録するということに、心が反応します。
カメラマンの習性には、何となく通じていると思うのですが…
カメラクルーは、記録するというただそれだけに集中してしまうところがあります。
大げさに言うなら、映像は時代を超えて生き残るものです。
カメラマンの命よりも長い。
撮しておかねばならぬ対象があるなら、命と引き替えでも撮さなければなりません。
仕事と言うよりも使命なのです。
なぜそこにいるのかと言えば、記録者だからなのです。
ある有名な写真があります。
がりがりにやせ細った小さな子供が居て、その後ろに禿げ鷹がいる写真です。
その子供が亡くなったら、食べようとでもする、非常に象徴的な写真です。
この写真が元で、それまで忘れ去られようとしていたアフリカの内戦に国際的な目が向けられることになりました。
沢山の援助がアフリカに届けられました。
しかし、このカメラマンは、そんなことをしている場合ではなかっただろうと非難の対象になって、自らの命を絶ってしまいました。
どちら側にも言い分はあるでしょう。
立ち位置によって、その主張は千差万別です。
良いとか悪いではなく…。
彼らを責めないでやってください。
記録者が居なければ、この時代に何が起こったのかを、次の時代で検証することさえできないのです。
原発の対応法については講を改めます。
そしてわたしも震度5弱ながらあの時の体感が蘇ってきました。
わたしは映像で見た流れた泥で汚れ立てないほど弱ったラブラドールの子が気になっています・・・
もう一匹の犬が守るように横に立っていました。飼い主を待っているようでした(号泣)
「あ~あなんか食べ物持って来れば良かったなぁ~」と言いながら
ただ漫然と映しているカメラクルーに腹が立って腹が立って・・・
被災地に赴くのに水も非常食も持っていかないのか?
瓦礫に埋もれた被災者の画を「ただ撮れればいい」とでも?
これぞ危機感のなさ、平和ボケのいい例ですね。
それが今原発にも顕著に表れた気がします。
燃料棒を覆う為には1450t(だったかな?)の水が必要だそうですが
上空から5tずつを4回で果たして「有効な対処法」と言えるのか・・・
不安は募るばかりです。
立ち直ることができるのでしょうか?
読んでるだけで涙が出てきそうです~
るもりゅうさんも お母様も無事で良かったです!!
これからも余震に気を付けてくださいね☆