神域とか霊場などなど
- カテゴリ:日記
- 2011/04/20 17:47:12
スピリチュアルという外来語は、太ったおっさん自称霊媒師が言い始めてから広く知られるようになった。
それに、くっついた舞台役者がしたり顔でモノを言うようになって、益々いかがわしい世界になっていった。
精神医学上で考えるなら、見えないものを見たと思ったりするのは精神病の範疇である。
だから、霊的なものを云々する連中に関しては全員精神病者であると断じて良いと思う。
さて、たしかにそうなのだ。
自分の場合も含めて、まだフィルム写真だった頃に東京の泉岳寺に行って写真を撮っている時から無数に霊が集まってきたのを、その足で行ったメーカーの担当者に話をしたら、半ばキ印に思われたのは当然過ぎる。
そして、次回に行ったときに現像した多くの霊が写っている何枚もの写真を見せて、それを証明したら、今度は人間ではないものを見るように気味悪がられたのだった。
この写真は数回新聞などにも取り上げられたが、その話には誰も触れようとはしなかった。
精神科医には病人と判断されないでいるが、様々な理由から、自らはこの点に関しては精神病者であるという認識はある。
だが、多くの事例から、いわゆる一般の健康な方の多くも霊写真をとっているのを知っているし、見てもいる。
はじめの頃は霊写真は供養しなければならないものが大半だと錯覚していたが、実は供養するべき霊写真というのは殆ど無いだろうと思っている。
その写真の存在で不幸になったとか幸福になったというのは、長年見てきてもほとんどない。
仙台港などで撮った写真に霊が映っているかと思ったが、今のところはまだそのような写真はない。
あまりに広い災害の現場で、どこにも霊場のような場所が出来ていないためではないかと思う。
これが、例えば慰霊祭などが行われて場所が定まってくると、そこが霊場になってくるかもしれないと思っている。
生きる者と死者との接点のような場所が出来上がるのではないかと考えているからだ。
恐山を例に取るまでもないが、人の思いが強くあって、いわゆる霊魂のようなものが集合しやすい場所を作るのではないだろうか。
メカニズムはよくわからないが、生きる者と死者が共振するのだろう。
だからどこにでもいるわけではなく、いると思われる場所-例えば墓地などに存在するのだと思っている。
ついでなので、神域について触れておく。
神社などや古い修業の場であった場所などに行って、その神々しい空気を感じることがある。
いかにも神域というところでも何も感じなかったり、逆にこんな場所でと思うようなところで特別な空気を感じたりするときもある。
近所にそのような山があって、今でこそ何もないが、江戸時代以前には山岳信仰の修験場だった場所である。
宿坊数百と記録にあるが、今となってはその片鱗すらない。
しかし、その場に立ってみれば、平泉中尊寺本堂のような各地の式内社(古い記録に記載されている神社)に匹敵する気配を感じるのだ。
異界を思わせる存在である。
これらの例には漏れるが、交差点や山の中腹などに霊の存在を感じたりすることがあって、このような所に関しては、説明のしようがない。




























今年は殆ど食べなかった。
おかしなめちゃくちゃ苦いフキノトウを食わせられたので,採らないって言ったはずだ。
来月にフキが採れるようになったら採るつもりだが、山は道路が陥没しているので、それまで修理されるかどうか…
交差点やあるいは峠などに塚を立てて自分の住んでいる町や村に異界からの侵入者が訪れることがないようにと結界を張ったりしました。
近年になってこの結界が感染症などを防ぐことなどの祈りだったとか様々に解明されてきて、民俗学の中ではひとつの分野になってきましたね。
先に上げた泉岳寺の画像は、明らかに赤穂浪士と思われるものです。
このような歴史的な方から、親戚のような身内、また縁のあった方などは判るのですが、まったく関係がなく動物や鬼のようなものまで人物にかかって写ったりします。
だから、死者の想念が実像化するというのではないようです。
死者と共振する場があって、そこにたまたま居合わせると見えたり写ったりするのではないでしょうか。
私は誰にでも霊写真は写すことができると思っています。
居る場所を写せば写らないはずがないのです。
ただ、条件があると思います。
光が屈折して写真に映り込むような場所、例えば木ノ葉や石壁のようなものです。
そういうところで写すことで写りやすくなることは多いようです。
不思議な力と言うなら、そうかも知れません。
全盛期の頃から見れば非常に弱くなってきていますが、不思議だということを起こすことができたりします。
私の約1200年前のご先祖さまがそのような力を持っていたと記録にあります。
体質的な遺伝があるのかもしれません。
そういう不思議な力には興味があります。
でも、見えたら怖いですね。
なんだかくっついてると親切にしてくれそうな人に思われているそうです・・・
亡くなっている方からもそう見られているとは!(;゚(エ)゚)
被災地がそのような状態とは不思議ですね。
確かにあまりに大きな天災だからでしょうか?
天災で亡くなった方は一種の自然の摂理(非情な表現で申し訳ないですが)
だから憎しみや恨みなどの想念が溜まらないということなのかな・・・?と思いました。
非常に腹が立ちます。
街の中とかで空気が違う場所ってありますね。
そこだけが別の空間のような。
何かがあるのでしょうが、今の科学ではまだ説明が付いていないだけのような気もします。
いつかは科学的に何らかの証明がなされて欲しいと思っています。
北海道もそうですが、日本中が放射能に汚染されて、地震も起きていると思われるのは厄介ですね。
できるだけ早く、以前のように活況を呈してもらいたいです。
あれだけ有名な松島に観光客がひとりもいないのです。
松島に行って、どこにいるのか錯覚しました。
かえって神聖さは増した気がします。経済には良くないでしょうけど。
鳥居をくぐるたびに一礼している信心深い人も何人か見かけました。
地元の人は、むしろいつもより多く来ていたような気がします。
こんなときだからですかね……。
神社はわかりやすすぎますが、街中でも、ふと、不思議な感じがするところはありますね。
説明が難しいですが……。
公園で変なカルト宗教が本を配ってたり、家にも勧誘の人が来ました。
阪神のときも増えたんですよね。すごく腹が立ちます。
北海道は、香港からのツアーが再開したとニュースになっていました。
半分はメディアで「現状どうか観察に来た」だけのようですが(笑)
少しずつでも来る人がまた増えたらいいと思います。
体力がなくなってきているので、気力を振り絞らなければならない。
どんどん気力が失せてくる。
したがって体力も…以下省略
うひゃっひゃっひゃっひゃっ
もっと書こうと思って、まだ途中なんだが、気力がなくなってきた。
きっと仲間だと思われたんだねえ(笑)
桃缶食ったら気持ち悪くなった。どうしましょう。