陸前高田市を含む気仙郡のこと
- カテゴリ:日記
- 2011/04/28 21:10:42
宮沢賢治が岩手を題材にしたことにも判るように、どことなく良さそうな田舎の雰囲気を残した地域である。
藩政時代は、しかしながらこの気仙地区は東北にとって重要な地域であって、特に伊達政宗にはここを手放せない理由があった。
金鉱である。
したがって南部藩と伊達藩との境界ではあったが、伊達政宗はこの金鉱を保護し徹底的に守りぬいた。
この地域が金を算出するというのは、伊達政宗以前にもすでに知られていて、前九年の役、後三年の役などを例に上げるまでもなく、中央政権と東北の地方豪族との争いの火種の一つではあった。
奥州平泉の中尊寺金堂のように、中央政権にも負けない文化と歴史を有していた地域だったと言える。
陸前高田と気仙沼を含む広大な地区の山地は、「全山これ金を産す」と宮城県史にはあって、近年まで金の産出が行われていた。
余談だが、まだまだこの付近には金が眠っていると私自身は思っていて、若い頃には宝探しの筆頭にこの地域を考えていたくらいだった。
津波の遡った川、気仙川はこの中心である。
今回の瓦礫の撤去が行われた後は、おそらく一部の人間にはゴールドラッシュとして気仙川詣でする者が耐えなくなるだろう。
相当量の砂金が見つかるに違いない。
陸前高田市から内陸部に入る渓谷の町は住田町という。
上有住(かみありす)、下有住(しもありす)と世田米町が町村合併してできた町である。
セタマイとはアイヌ語(蝦夷語)で犬の多いところということである。
犬とは狼の意味で、飼い犬を差した言葉ではない。
伝説的な東北の金商人、金売り吉次の時代には、狼がこの金鉱の番人となって盗人から財産を守ってでもいたのだっただろうか。
古くからこの地域の大工集団は、気仙大工の名で呼ばれていた。
今となっては奇異な印象を持つかもしれないが、神社仏閣などの宮大工も、船大工も、ありとあらゆる建設をこなすことのできる技能集団である。
このような集団は日本の他の地域には聞いたことがない。
まさに異能の者たちであって、非常に小さな箱組から巨大な社殿までも作り続けてきた。
先日、葬儀で伺った寺の欄間は名も知れぬこれらの集団の手になるものだろうか、京の名工と遜色なく、しかも東北特有の控えめさで異彩を放っていた。
あまりに素晴らしく、葬儀という場でなければ、見惚れて何時間も見続けただろうとさえ思うのである。
でも、ここは間違いなく「在る」場所です。
この震災騒ぎが落ち着いたら、最初に騒がれる別の問題は、今回の津波で現れた鉱脈が何箇所でみられるかと言うことになるでしょう。
もちろん、気仙川のよどみには砂金がたまった場所があるはずです。
すごい騒ぎになるでしょうね。
気仙大工のすごいところは、彫刻から何から何まで一切のことをやってしまう集団だということです。
こんなのは他には見たことがありません。
襖戸から小箱、竈神の面あるいは時に食器などまで削り出したと聞きますので、古い家屋がいくつか高いところに残りましたので、早急に保存の方向へ進まなければなりませんが、さてその余裕がどのくらいあるものでしょうか?
あの技術は重要文化財として作られたものと一緒に残ってくれたら嬉しいのですが…。
今出たら大変な騒ぎになりそうですね。金価格は最近かなり上がってますもんね。
宮大工と船大工って、だいぶ作業も技術も違うような気がしますが、それが何でも出来るって凄いですね。
文献でも、何でも、何かの形で後世に残っていてほしいですが……それも難しいのでしょうか。
一番良い例が日本刀だと思いますが、もはやどこにもそれを必要とする場が無くなって、単なる飾り物と同様の存在に成り下がってしまいました。
刀鍛冶もプラスマイナス双方があり、必要か否かを問えば疑問が多くあります。
しかし、金工、漆器、木工、染色など様々な方面の技法の吸いを集めたものには違いなく、さればと言って技術の継承を考えると日本全国で1000人未満の技術者にその任を預けられるかといえば、この衰退ぶりがその結果でしかありません。
千年以上にもわたって継承された技術が消える、その場にいま巡りあわせているのではないかと思っています。
残念です。
このまま消えてしまうのでしょうか。。。。 。(ノд`。)。*。
これからもさらに仲良くなさってください。
気仙大工についての本はどのくらい残っているか、伝承資料そのものが数多く被災していますので、あえて今回このようなことを書きました。
技能の伝承は修業年限の長さも相まって、年々その姿を消しているのが現状です。
気仙大工は地元の産出する杉材を使用しますが、不遜なことを言えば、今回消失した松林の松の大木が至る所にあります。
これらの松を建築材とするときは、脂の成分なども多くて難しいのですが、100本に1本くらいの割合で、適度な脂成分を含んだものがあります。
この特別な松はヤニ松と称して、床や天井に使用すると、年々手入れと同時に光沢を増し、独特の質感を持ってきます。
このような特殊な素材の加工を考えると、気仙大工ならではの豪華な家屋が建設できるので、数百年も保つ家になります。
価値を知る者にとっては、まさしくこれもまた宝の山なのですが、瓦礫に紛れ込んでしまったものを、選別する余裕もないでしょうし、技術者も多く被災していて、果たしてどれほどのものがこの混乱から作りだされるか、難しいところです。
気仙沼には知り合いがいて、毎年、食べきれないほどのサンマを送ってくれていました。地震後、連絡が途絶えていたので心配していたのですが、ずいぶんたってから電話があってホッとしました。家は高台で無事だったのだそうです。