Nicotto Town


るもりゅう の 大好きな 仲間たち


ゴスペルソング


歌には時代の思い出が付いて回る。
賛美歌のほとんどは高校生時代に覚えた。
プロテスタント系のバプテスト派の協会に行っていて、しかもその他の日本基督教団とか改革派だとか時にはモルモン経などのような他宗派の教会にも時々顔を出していたのだから、案外に広い範囲で歌われている賛美歌はほとんど譜面や歌詞を見ないでも、いまでも諳んじている。

当時は日蓮正宗のオルグがすごくて、ときどき創価学会青年部などというところに引きずり込まれて、議論を戦わせたりもした。
大学に行けば行ったで学生運動の端境期で、70年安保に向かっての活動が激しさを迎えていたが、総合大学に行った連中雨はともかく理系の単科大学に籍を置いたところまでは、革マルとか民青同などは接触してくる暇もなかっただろう。
先日亡くなった幼なじみの兄貴分は、それこそ連合赤軍の中心幹部のひとりだから、全国指名手配をくって、地下に潜って活動していた頃だが、運良く接点のない環境にいたので、彼らの影響は免れた。

歌声喫茶なんて言うのがあって、たまに行った。
今となって考えてみると、小学校の音楽の時間の延長のようなもので、時々上手なヤツなどは高音部とか低音部のパートを歌ったりするので、真似をしてやってみたりしたが、それほど上手というほどじゃなかった。

もともと中学生ころは音楽は嫌いだった。
赴任してきたばかりの音楽の教師がいて、彼女はやたら俺のカタを持ってくれて、それまで5段階で2に近い位の3だったのに、最後は5をもらうくらいまで指導してくれたのだった。
だから大学生くらいの時期にはそこそこ歌っていられた。
何を隠そう、軽音楽部の部長までやったのだった。
大学時代3つの部の部長をしたが、全部潰してしまった。

ロックとかジャズを歌っていたけれど、好きなのはゴスペルとかブルース系のものだった。
どうも単独でやるのが気分が乗るタイプで、あまり上手じゃない連中と演奏しながら歌うのは苦手意識があったように思う。
最後の頃にやっていたのはボサジャズ系の黒いオルフェとかイソシギなどのスタンダードナンバーをウッドベースを弾いて歌っていた。
ダンスパーティ会場で演奏し始めると、それまで踊っていた連中は上手な数組を残してほとんどが演奏を聴く側に回ってくれるくらいだったので、終わったあとにステージでディープリバーとかジェリコの戦いなどのゴスペルを歌ったりした。
まあ、いろいろあったのでほろ苦い時代の思い出がゴスペルには付いて回る。

高校時代から遠距離恋愛だったが足掛け7年付き合って、結婚するつもりだった相手と別れて家に戻ったときに気持ちを慰めてくれたのもゴスペルソングだった。
たくさん聴いてたくさん歌ったはずなのに、その後に来たカラオケブームでゴスペルソングなどは収録されていなかったためか、その後歌うのはスタンダートナンバーが殆どになってしまった。
慕情とか枯葉とか…。



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2011/05/26 23:57
あはは、無音は全然ダメです。
せめて映像とかでもあればいいのだけれどね。
音の編集したりするときって、時計を映しておいて、それにあわせたりすることはある。
でも、むりだなあ。
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2011/05/26 23:34
夕べはヒツジ学園のステージでみんなで時間の経つのも忘れて楽しく歌いました。
音は無いのに皆心がひとつになって喜んで2時間以上も歌っていたんです。
るもりゅうさん、今度リードしてくれませんか(*^-^*)ノ
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2011/05/26 13:38
深刻なエラーは…言えない!怖くて言えない!
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2011/05/26 12:15
イマハボーカロイドノジダイダカラ・・・ぴー  深刻なエラーが発生しましたw



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