Nicotto Town


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復興に酒田市をモデルにできるか?


東日本大震災からの復興を考えてみた。
様々な意味で参考となる地域がある。
山形県酒田市である。
1976年10月29日、酒田市の中心商店街で大火が起きた。
1767棟が消失し、その後2年半という非常に早い段階で商店街が再開発された。
都市復興のモデルとして1995年の阪神・淡路大震災の際にも参考にされたものである。

この度、被災証明が下りて、多くの高速道路が無料開放になった。
意味のある行動をしたいと、最初の走行目的地を酒田市の確認現地調査に当てた。
酒田市の大火復興後に5回以上は見ているが、最後に見たのは15年以上も前である。
阪神・淡路大震災よりも前ではなかっただろうか。
当時でも、この再開発は失敗例ではないかと考えていたのだったが、2011年6月26日現在で見ると、空き店舗も多く、商店街としてはいずこも同じシャッター商店街と化している。

駐車場は整備された。
地方都市としては、デパートを商店街に取り込むことで回遊性も考えられている。
商店街が再開発された当初は、失礼ながら田舎に似つかわしくない近代的な商店街として業界でも取り上げたし、災い転じて福となる好例のように思われたものである。

では、なぜ失敗例になってしまったか。
商業集積が旧態然としたものだったからである。
確かに、他地域からの出店はあった。
当時は飛ぶ鳥を落とす勢いのファッションチェーン店やブランドショップも軒を連ねたものだった。
しかし、今となって考えてみればエリアマーケティングが大きく欠如していたと言わざるを得ない。
地域のニーズに関係なく、あまりに先進的である店と、ジジババストアが混在して、地域特性を作れなかったのである。

以下は、それ用のブログも書いているので、そちらに書くことにしよう。
興味のある方は、コメントでも入れてください。

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2011/06/27 19:44
商業が栄えないで栄えた都市はありません。
商業というのは、いつも人と物、あるいは人と人を結びつける大きな機能を持っています。
今回の大震災で都市機能が失われた街がたくさんあります。
旧商店主たちの思いもわかりますが、復旧ではなく復興を目指してほしいのです。
歴史の上に新たな構築をするためには、都市工学として機能的であることと、住民サービスなどが充実していなければならないわけですが、もっとも大切なことは楽しさの創造できる街でなければならないと考えます。
ターゲットがどの年代であるのかを明確にして、それらの人々とともに成長していくことが可能な街。
そんなものができたら素敵だと思っています。

甲府市内もそうでしょうが、探索する楽しみも大事ですよ。
私に言わせれば、特に甲府は不思議な地域だから、大きなテーマパークに作り替えていけるのではないかと思います。
でも山梨県人は、よその地域の私が言うのは僭越ですが、頑固者が多いようなので、せっかくの財産を生かすことは難しいでしょうね。
日本で唯一の宝石の町だったり、財産はすごく多いのに、いつも活気がなく、冒険心も少ないと感じます。
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2011/06/27 18:02
酒田市の大火災は知りませんでした。

失敗に終わったようですが、復興のために、商店街の再開発があったのですね。

商店街と言えば、甲府市の商店街も土日は閑散としています。

市街地にショッピングモールがあれこれと出来、甲府市内に行くなら郊外へ、
そんな人が多いのだと思います。
実際、甲府市内は駐車場も有料だったりするし・・・

商店街を探索するのも面白いのですがね。。。

話がまたそれてしまいましたw



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