般若と小面
- カテゴリ:日記
- 2012/01/22 01:55:42
能面での女性の顔を象徴するものとして、大きく二つの面を対比させることがある。
ひとつは悲しみ苦しみ憎しみなどの負の象徴としての般若面である。
派生して蛇とか、諸々のものもあるのだが、代表とすると間違いなく般若である。
その対極には小面がある。
優しさとか、喜びの面である。
面(おもて)を打つ-能面を作ることをこのように表現する。
正式にはその材料は檜(ヒノキ)を使用する。
能面として使用される中には、乾湿という漆と石膏を使って作られるものもあるが、こちらは正式な能舞台で使用されるものではない。
しかし、双方ともに伝統技法の粋を集めて作られるものである。
女性の顔を究極まで突き詰めると、般若と小面になると考えられる。
もちろんのことだけど、100%般若だとか100%小面とかと言うことではないし、仏性という慈悲とかのような菩薩像の顔は、ここでの話題としては取り上げない。
小面も般若も女性の本来の性質そのものの一面であると言えるかもしれない。
どれほどの部分が般若で、どれほどの部分が小面なのか、と言い換えて女性の顔を分類出来るかもしれない。
多くは、内面までを表現することになるのやもしれぬ。
化粧術から考えると、理想的な卵形の顔に近づけるメイクアップがあった。
顔の造作、その個性を引き出しながら、美しさを表現しようとしたメイクアップ法もある。
表情を中心とした筋肉の動きを美しく見せるためのメイクアップ法もある。
表現としての顔を作る場合もある。
いずれの方法を選択して顔を化粧するにしても、本人の持つ特徴が小面的であるか般若的であるかを意識しないで作ることは不可能だと言える。
相撲などは好きでテレビで見ているが、時々芸妓さんが観戦しているのが映し出されたりするのを見るのはうれしい。
数少なくなったとはいえ、まともな芸妓というと、化粧は白塗りである。
さまざまな意味合いがあるが、女性らしさという曖昧なものではなく、女性の成長年代の表現として作られる顔でもある。
処女性の表現であったり、蠱惑的な表現であったりするのである。
もともと芸妓の発祥である色街の文化が、一面的な性表現の場として強調されることから、単にそれのみが目的と誤解されているかもしれないが、娯楽の粋としての舞踊や音曲を楽しむ場であったことを忘れてはならない。
だからこそ、小面の具現化をするために白塗りを施したのだ。
白塗りをすることで、その個性を押さえて、自らの優しさと美しさの頂点としての顔を造形するために白い顔を作ったのである。
結婚の場でも本来は白無垢の着物に白塗りの顔で紅をさしたのである。
嫁ぐ先の家風のどのような色にも染まりますという契約の証であった。
嫁いだ男性の思うままになると言うのではない。
誤って考えられるかもしれないが、あくまで家風に染まり、子をなし、家を存続させますという決意をその白塗りという化粧の原点にしたのである。
般若と小面に関しては、語るとすると相当の分量を書かねばならなくなる。
そもそもの能の起源である田遊び→田楽→猿楽→薪能→能という進化を語らなければならないし、それを語るのでは、一般的ではなかろうとも思うので、この辺に止めたい。
車の中には白のまっさらな手袋はいつも入れています。
たまにいろいろな古美術品を見せていただくことがあるので、その用意をしておかないと、大変だと思っています。
能面に限らず、表現力が凄いなと思う面は世界中にありますが、でも小面と般若は世界のそのような面の中でも、究極に位置するだろうと思うのはその通りです。
能面は材質の木の割れを防ぐためもあって、仕上げに絵の具を膠で溶いて、その白さも混ぜて調節したものを使うのだと思います。
単なる白ではなく、それなりに表現している訳でしょうが、壁に掛けているとホコリもかかって、より陰影が深くなるので怖さを感じるのでしょう。
我が家では黒い鉄製の観音様の面を壁に掛けています。
子供のころ夏休みに泊まりに行って、夜それを見るのが怖かったです><
寝顔が能面って…以下省略
能面特集の雑誌やら専門書を食い入るように見つめていたそうです。
そのせいかわたしの寝顔は能面っぽいって言われますil||li (つω-`。)il||li ズーン
私の町には能舞台があって、有名な演者たちが時々来ていますが見に行ったことがありません。
誰かと一緒に見に行くには、差し障りがあるのです。
まさに絵に描いた餅。
一人で行くには、これもなかなかできかねるのです。
狭い町ってイヤなものですね。
でもまずは地元(隣の県)を制覇しなくては(。・`ω´・。)ゞ ぁぃ・・・v
良い情報有難う御座います゚。*゚+(嬉*'艸`*)+゚*。゚
おそらく幽玄の世界というのは世にパワースポットと呼ばれているところが大多数でしょう。
その中でも、芸能の神と言えばここに違いありません。
で、私は行ったことがありません。
機会があって詳しく調べたことがあります。
ぜひ行かれるなら楽しんできてください。
まあ、、この表現が正しく無いかもです(だって実際には目の当たりにしてませんからw
テレビとかで見ただけです;でも本当に一度でイイから見てみたい!!
今年の夏こそ!岐阜の長良川沿いでお能の演目がありますので行きたいなーー♫
(勿論、、夜です♫)舞台は長良川沿いの金華山(岐阜城)を望んだ場所です。
その昔、、織田信長が山河全てを備えた最高の土地と評した場所、、良いですよねーv
ウサギというのは自分の身体には問題がない毒草を食べていることがあって、ウサギを食べてその毒に当たることがあると聞いた。
誰が好んでそんな食べ物を食べる気になるんだろう?
オレはごめんだ。
馬の肉と鹿の肉を足したくらいの肉じゃないか。
鵜と鷺の肉だってんで一羽二羽と数えるなんて、まさに肉の世界の妖しの産物。
習熟の差というならそうかもしれません。
命が吹き込まれているというのでしょうか。
存在感が全く違うのです。
優れた面を被るときは、精進潔斎して清めを行ってからでないと、いわゆる神ががりにならないとか、様々な言われ方をします。
若い頃にある能面師を追いかけたくて二度ほど取材の電話を差し上げ、長時間話し込んでしまったことがありました。
結局は断られたのですが、彼の作品は写真で何度も見ました。
古い実物の面を見る以上の迫力を感じ続けた記憶があります。
もし、自分の理想を能面として作ったならと、何度も考えたことがあります。
彫刻とかを含めてなのですが、完成させたときにはどの女性にも心が動かなくなるのではないかと、なにか恐れるものが心の中にあるのは間違いなくて、パイプを彫り上げたときに顔を彫っただけで諦めてしまいました。
県内の人たちが作成した能面の展示会を同時開催していることがあります。
同じお面でも、作った人で微妙に違うのですよね。
夜暗闇で見たら怖いだろうな・・・と思う作品もありました。
白塗りとか、色々意味もあるのですね。
るもりゅうさん、物知りだ!