Nicotto Town


るもりゅう の 大好きな 仲間たち


小説について<1>


◇たまたま、他のサイトでも話していたので、良い機会だから持ってきました。
全部自分の書いたものだけで他の人が書いたものはいろいろ問題もあるので、持ってきませんでした。
だからちょっと間があっていないところはご容赦してね。



しばらく前に直木賞受賞作が、ある有名な本をベースにしたもので、それを問い質そうとその作家に電話をしました。
その作家の妻というのが電話に出て、けんもほろろに当方の住所氏名、電話番号を訊かれて、その後なしのつぶて。
結局はその後の作品が盗作というオチを見たのですが、未だにその作家は直木賞受賞者として作品を発表し続けていて、笑い話にもならぬことになってしまいました。

芥川賞について、受賞作品を読むのを辞めたのは、万年芥川賞候補と言われ続けた田端信主催の現代文芸研究所に私も所属していたことがあって、賞狙いであちこちへと書き殴ったものを応募していたときに様々な裏事情というものが透けて見えたからで、亡き田端氏に褒められた作品もあったのですが、私が書いたものは結局はすべて落選してしまったという、今となってはなんとも形容しにくい事情もあります。(^^;)
この現代文芸研究所に所属していた連中の中には相当優秀なのがいて、私が所属していた6年くらいの間にもいろいろな雑誌の新人賞を獲ったのは10人近くいたように記憶しています。

賞というのは、応募作品を、あるいは該当するだろう作品を、下読みする人が数人で読んで、候補作品を絞り込みます。
この下読みに選ばれることがないと、当然ですが受賞作にはなりません。
私が尊敬する作家の一人に稲見一良という人がいます。
この人も処女作品を落選させられたのですが、後にその作品は出版され、ある分野の読者には絶賛されたものです。
このような例は、それこそ枚挙に暇がない、と言えると思います。

選考委員が如何にも全能のように候補作の中から受賞作を選ぶわけです。
不思議なことに、彼ら選考委員は自分の分野と重複する作品を選ばないという習性があるように感じます。
時には圧倒するような作品を発表する作家も生まれることは確かなのですが、オリジナリティという中に、独創性と自分の知らない世界を書いたものを混同する選考委員が多くて、本来要求される完成度を一部ないがしろにしているのではないかと思うことがあります。

多くは作家崩れの下読みと選考委員が、それこそ何となく気分で選んでいるだけですから、偉そうに講評などを書いたりしていますが、Aさんの仰る通りで、本当の読書家に受け入れられるような作品が選ばれているということじゃないのではないでしょうか。

と、一気に書いてみたものの、無知という自分の恥をさらしているだけの文章のように思えてきました。
あとで、大幅に書き直すか、削除するかもしれません…(><)


コメントは<2>のほうで書いてくださいね。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.