遅ればせの七夕談義
- カテゴリ:日記
- 2009/08/18 00:01:24
だいぶ以前に書いたものの引き写しで恐縮ですが、七夕談義を目にしたので…。
たなばたの語源は「棚機つ女」(たなばたつめ)からの略。
水辺に渡した棚で機を織って神を迎えた日本の古い習慣と中国から伝わった乞巧奠(きこうでん)が集合して七夕の風習になったとされる。
乞巧奠は、牛飼いと結婚していた織女が仕事を怠けた罰として天の川の両岸に引き離され、七月七日の夜だけ逢うことを許されたという中国の伝説から、裁縫などの上達を願って水辺の棚に供え物を置く風習をいう。
伝説に、織女は鵲(かささぎ)の翼を渡した橋で天の川を渡るというところから、魏志倭人伝の「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し」という一文への関連が見える。
大阪府にあった有真香村(ありまかむら)は「あまか」いわゆる天河をもとにできた地名とする説があって、弥生時代以降から記紀誕生までの間に変化したのだという。
天河は天の川の意である。
この大阪府の地区旧名は、そのほかにも七夕との関連性が深い興味ある地域である。
また、中国に於いての「牛飼」は、日本にそれらの人々が渡ってきた時代にはまだ日本に牛そのものがなく、犬飼に変化をしたのではないかともいう。
各地に残る地名・人名の「犬飼・犬養」は、日本の上代の習俗を考えてみればあまりにも多すぎるが、牛飼いからの変化と考えれば頷ける部分がある。
犬飼という職業がそれほどポピュラーであったはずはないと考えられるからである。
七夕の彦星である牽牛星を調べて犬飼との関連を探ってみると、殆どが犬飼星は牽牛星の古語であると辞書に記されている。
中国からの渡来人である牛飼たちが「犬飼」と名を変え、その後に牛が日本に渡ってきても、名称としては「犬飼」がそのまま使用されて、星の名称のみが牽牛星に戻ったのであろう。
易占、神事などで手本にした中国の書物に適合させる必要性が高かったことによるものと考えられる。
全国的に同様の位置関係にある「犬飼」の名称を持つ地域も少なからずあると思う。
他に天河神社などは古代技芸の伝承などに関連する聖域であって、ご興味がある場合は検索なさって見てください。
(なお、特にこの文の複製引用はご遠慮ください)




























牽牛星が犬飼星でと説明されただけでも、そのプラネタリウムは優れていますよ。
学芸員でもいわれを知っている人はほとんどいません。
この辺は私の専門分野にちょっとかかるのです。
そのうち、一緒にどこぞの神社にでも行きましょう。
さて、太陽暦になったことは日本にとって国際的な視野を同一にできるようになったので良かったのですよ。
もっとも愚かだったのは神仏分離と地名改悪。
これによって民俗の由来が辿れなくなってしまいました。
すごいなぁ。「犬飼」のくだりは初めて知りました。
七夕ネタでちと悲しいこと、
日本が昔太陰暦で生活していてそれに近付けるために、
地域によって月遅れで七夕おこなっているのに、
「8月に七夕っておかしい」と意見を聞くとき。
明治に太陽暦になったのは、よかったのか?と
伝統行事をみてると首かしげたくなる時があります。
仕方のないことなんですがね。
中国だけではなく東南アジアにも七夕の伝承はあるそうです。
日本では織り姫彦星は恋人同士と思われているのは、他の伝説と混じり合ったもののようですが、私のレベルだと所詮この辺までしか分かりません。
専門の研究者はいると思いますが、一度聞いてみたいものですね。
七夕談義、おもしろく読ませていただきました^^
中国にも七夕、あるってことですよね?