Nicotto Town


雪うさぎが呟く


老人ホーム(続き)

きゅんと胃が痛んだ。風光明媚ではあるがいささか辺鄙な崖沿いの道は、くねくねと曲がっていて車は安全運転を強いられ、思ったより時間をとられてしまった。途中で買ったコンビニ弁当も食べずに来てしまったのだ。

俺は鼻が誘う方へぶらぶら歩いていった。途中で清潔そうなエプロン姿のお姉さんとすれちがう。笑顔の挨拶が気持ち良い。

食堂は、食堂というより、レストランという言葉が似あうしゃれた物だった。広々としていて、大きな窓から海が望める。低い音量でBGMが流れている。ガラス越しにのぞいていると、一人のおばあさんと目があった。

小柄でやせた品の良いおばあさんは、ひとりで食事をしていた。テーブルの上には高そうな皿が並べてあるが料理は半分も食べてはいない。手に持ったフォークを置くと、あきらかに俺に向って手を振った、招いている。ー渡りに船ー

ドアは軽く開き、俺は自然な様子でテーブルに近づく。周りから遠慮がちな視線が注がれているのがわかるが、余所見はしない。おばあさんの隣の椅子をそっと引き、するりと腰を落とす。

「おそかったのね、あなた」とおばあさんは俺に優しく微笑みながら言った。「食べ終わるところなの」

「こんにちは」と言いかけていた俺は咳払いに紛らわせて言葉を飲み込んだ。『俺を誰だと思っているんだろう』それでも、警戒して人を呼ばれるよりははるかにマシだ。

「もう、飽きてしまったわねぇ」おばあさんは持ち直したフォークで食べ残しをぐさぐさと突き刺した。真っ白いクロスに汁が散った。少し先においてある高価そうな切子ガラスのボンボン入れにも。

手を伸ばしてボンボン入れを遠ざけながら「部屋へ帰りますかね」とおれは平静に声をかける。うまくいけばこの人の部屋を見せてもらえるかもしれない。

おばあさんは素直にうなずくと立ち上がった。周りはもう無関心に自分たちの食事に戻っている。おばあさんを先に立ててゆっくり食堂を出た。明るい廊下を歩き始めると小柄なおばあさんはいたずらっ子のような笑顔を俺に向け、左の手を差し出した。

手の中には、金色と赤色の包み紙のボンボンが握られていた。さっきのボンボン入れから取り出して持っていたらしい。「いただきます」と金色の方をとって口に入れると、おばあさんは赤いのを剥いて満足そうに口に入れた。

廊下を曲がったところで、いきなり人にぶつかりそうになった。あわてた様子の初老の男が受付にいた女性をひっぱるように歩いてきたのだ。「あなたは?」

詰問に近いような声は、俺が電話でアポイントメントを取った奴のようだった。おばあさんは、なにも気がつかないとでも言うようにそのまま歩き去っていく。俺は取っておきの愛想笑いをしながら名刺を差し出した。

「やっぱり・・・。なんで、私を訪ねてこられなかったのです?お待ちしていたのですが」男の声はその底に押し殺した苛立ちを含んでいた。

「お電話では、このホームの設備を取材したいというお話でしたが」「はあ、すみません、ちょっと早くつきすぎてしまったので・・・」と俺は能天気な声を出す。鈍感で押しの強いだけの二流のルポライターという俺の見せ掛け。

「設備というか、環境がすごく良くてですね、ボケたり寝たきりになる人がほとんどいない、高級ホテルのような老人ホームがあると、近くに来たときに耳にしたものですから。

最近は有料老人ホームもたくさんありますが、ここは特にすばらしく、入居費が高額でも申し込みがひきをきらないといううわさでして」

俺がお世辞を言って暗にちょうちん記事を書いてやろうと言っているのに、男の険しい表情は緩まなかった。

「どこで、そんな無責任なうわさが流れているのか、私どもの方が伺いたい位です」そういいながら男は断固たる態度で俺を事務所のほうへ誘導していく。

革張りのどっしりしたソファに腰を落ち着けてメモ帳を取り出しても、男の態度は固いままだった。創立理念や運営方法などありきたりな説明をメモにとる。豪華な設備は、入居者がそれなりの地位と財産を持つ者ばかりなのだろうと容易に想像させるものだった。

俺がよく知っている老人ホームのレベルでは、病院くさいにおいや排泄物の臭いが当たり前で、薄汚れた廊下にはくたびれた車椅子が、大きな記名入りで置いてある。金持ちの入るホームはこうも違うものなのか。良い病院と提携していれば、長く健康を保つこともできるのだろう。

この記事をどこの雑誌へ持ち込もうかと思いながら話を聞いていると、朝からボンボンを一つ食べたきりだからかめまいがしてきた。ポケットにフリスクが入れてあるのを手探りでつかみ出す。「ちょっと失礼しますよ」と男に見せた。

男は有り得ない物を見たように床を見つめていた。俺も目で追う。金色のゴミ『ああボンボンの』ポケットからフリスクのケースと一緒に出たらしい。「さっきのおばあさんから貰ったんですよ」俺が盗んだわけではない。

「食べたのか、あんた、それを食べたのか」男の声はのどが詰まったようにかすれた。数秒の沈黙。俺は何を言われるのか困惑して待った。男は俺を睨みすえた。

「教えてやろう、ここにボケ老人や寝たきり老人がいない理由をな。その金色のボンボンにだけ、特別なアルカロイドが入っているのだ。入居のときには説明する。

ボケてきてそれさえ忘れるやつは、目立つ金色を食べておとなしくあの世へ行く。寝たきりになって何の楽しみも無いやつも勧めればたいてい食べるよ、今まで散々好きに生きてきた連中だからね。死因なんて、懇意な医師ならなんとでも書くさ。

あんたは、そうだな、非常階段でめまいを起こしてもらおうか。こういうことがあると困るから、くれぐれも時間通りに私を訪ねて来るように言ったのに、非常に迷惑で残念だ」

男の声がやけに遠くから聞こえた。

(終)

 

 

アバター
2014/01/26 21:33
家族とも合意のもとだったりして
アバター
2014/01/26 21:17
おもしろい~☆☆☆

すごいですね。雪うさぎさん^0^
私たちには知らなくてもいい世界があるんですよね・・。
深追いすると「見~た~な~っ」ってお化けがやって来る。。。。
アバター
2014/01/26 18:55
なんだかすごい結末ですね。
有料の老人ホームって
広告だけ見たことあるのですが
実際どんなのか興味はあります。
でも、私がおばあさんになっても
行くとしたら特別養護老人ホームか
老健施設だろうなと思います。



月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.