評価の着眼点
- カテゴリ:人生
- 2014/07/12 22:51:35
人間が何かしらの研究や努力をすれば、そこには失敗にせよ成功にせよ結果が出てきます。
さて、この結果についてですが、「結果」だけを評価するとどうなるか?・・・
高評価に値する「高い結果」を出せた時は良いですが、「低い結果」を出した時は「もうダメなんだ。。。」と落ち込む原因にもなってしまいます。
本当は「結果」を評価するより「過程」や「努力」を評価した方が、次回へのモチベーションが継続しやすいと言われています。
杏林大学で経済心理学を専攻した友人の話ですが、社員のモチベーションを継続させるためには、結果重視の評価はしない方が良いそうです。
やはり努力や、その過程においての評価をしてあげた方が、人間は努力を続けていくのだと思います。
そして連続的な努力は長い目で見れば創造性と言う点で高い可能性が現れてくるわけです。
それが結果的には社会に有益な状態を生む事も十分に考えられます。
確かに「努力を評価する事」と言うのは色々な場面で難しい所もあると思います。
例えば受験生が不合格になった時に「たくさん努力をした学生を評価して合格」と言うシステムにしてしまうと、本当にその学校の学業についていけるのか?といった問題や、医療や福祉、金融でも努力を評価してOKにしてしまったら様々な問題が起こる事が予想されます。
この様に考えると「努力を評価して貰える世界」と言うのは大人の世界にはかなり少ないのかも知れません。
この辺りが大人になる事への責任と大変さなのかも知れませんが、何においても「結果だけ」を判断基準にしてしまうと、その人の「可能性」も一緒に消去してしまうと私は思っています。。。
できないものはできないのが現実ですよね~
いかに可能性を伸ばして結果に繋げるかも、大切なのではないかと思います。
「慈善事業じゃ 飯は食えねぇ!!」
その為にノルマがあります。
「一所懸命に頑張ったんです」と言っても、
課されたノルマが達成できないとダメなんです、評価↓↓
個人によってノルマが違うといいのかな?
それだけでは解決になりません。
ノルマがないと、公務員のようになってしまうと言われています。
難しいです。
上記のほかにも勝手な偏見を持たれ続け、悪いほうに決め付けられるとやる気を失います
複雑ですね。