闘犬の始まり
- カテゴリ:ペット/動物
- 2009/09/02 00:46:33
北条高時は庭に入って喧嘩をしている犬を見て大変面白く感じたらしい。
早速、各地から犬を集め、定期的に「犬合わせ」を行った。
それも大層な頭数を二手に分けて戦わせるという合戦さながらのものであった。
太平記には「月に十二度犬合わせの日とて定められしかば」とあるので、本当に頻繁に行われたということがわかる。
以前に、私も30頭ほどの犬をグラウンドに出して運動させた時に、油断をしていて犬同士の喧嘩になってしまったことがあった。
それはすさまじいもので数分の間に危うく喉の血管が喰い千切られそうなのが二頭、耳が千切れたのが一頭出てしまい、これを放置したら犬が亡くなってしまうのは当然と思うほどだった。
北条高時は一〇〇頭とか二〇〇頭という規模の闘犬を行ったと記録にはあるので、最初は寄せ集めの犬たちで行ったにしても、徐々に強い犬を集めて行うようになったであろう。
闘犬は北条高時に始まると言って良いと思う。
闘犬で遊び暮らして最後は鎌倉幕府を終わらせてしまうのだから、よほど能力のない権力者であったのだろう。
ところが、相模入道(北条高時)のほうは、そんな妖怪変化などにはびくともせず、いよいよ風変わりな遊びを愛好して、とどまるところを知らなかった。
ある時、庭さきに犬が集まって噛み合っているのを見ておもしろいと思ってからは、仏門にはいった身でありながら、犬令戦にうつつをぬかすようになり、諸国へ触れを出して租税の代わりに犬を集めさせたり、勢力家や高貴の家柄の者に言いつけて犬を送りとどけさせたりしたので、国々の守護や国司、諸所方々の大名たちから、十ぴき、二十ぴきと鎌倉へ送りとどけてきた。
鎌倉では、これらの犬に魚や鳥を食べさせ、金や銀を鏤めた綱で繋いでおいたので、その費用は莫大な額にのぼった。
犬をのせた乗物が通りかかると、急ぎの用事で道を急いでいる人も馬から下り、道ばたにひざまずいて礼をしなければならず、農夫は使役に駆り出されて犬の乗物をかつがせられた。
このように下へもおかぬ可愛がりようだったので、肉を食いあきて肥えふとり、美しく飾りたてられた犬が鎌倉じゅうに満ちあふれて、四~五千びきの多数にのぼった。
月に十二回、日を定めて犬合戦が催され、その日は一族の者をはじめとして、譜代、外様の諸大名が、あるいは部屋の中に居並び、あるいは庭さきにすわって、見物した。二つの陣に分れた犬を百ぴき二百ぴきと追い放って闘わせ、互いに入り乱れて追いかけ合い、上になったり下になったりして噛み合う声は天にとどろき地をゆるがすばかりであった。
無知な人々はこれを見て、「ああおもしろい、人間が合戦で勝負を決するのと少しも変わらない」と思い、思慮のある人は、「いとわしいことだ、まるで野良犬が野原で死骸をうばい合っているのとそっくりではないか」と言って悲しんだ。
見る人、聞く人によって、いろいろ意見は異なるであろうが、しかし、この犬合戦の酸鼻をきわめた情景が、人間の争い合い殺し合うことの前兆であったことにまちがいはなく、まことにあきれはてた催しだったといわなければならない。
『太平記』尾崎士郎訳
しかし、記録にはないものの、闘犬はこの後、少なからず行われていたと考えられる。
その理由として江戸時代の後期に突然闘犬が行われるようになったと考えるには無理がある。
ただ、それは後に述べるように徳川綱吉の「生類憐れみの令」など、時には闘犬を行うには難しい時期もあったであろうし、それほど表立って活発に行われたものではなかったはずでもある。
土佐山内藩では十二代豊資の時に江戸幕府に功績があって少将に任ぜられた祝いに闘犬を行ったことが記録に見られる。
明治維新直前の慶応元年の眞覺寺日記にも、「犬を噛み合わせ、(中略)五両も十両も出して犬鶏を買い求め、勝負を争うもの多し」とあって盛んに闘犬や闘鶏が行われていたことを窺わせる。
明治以降になっても各県の条例で禁止されあるいはまた許されて今日を迎えている。
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興味深いです!…なんでもそうだけど…てへっ♪
私も動物一般大好きなので、なるべく客観的にとらえるように
世の出来事を観察しています(^^♪
動物好きの異常的な感覚も、人間と動物と自然が調和できてる
範囲なら、問題は少ないかもですニャ(^^♪
現在の人間界での地球生物とのありかた…
みつめなおす事が多々ありますね(^^♪と言っても
愛護的なものが前面的にですぎるのは落とし穴があるし
忌み嫌われた歴史の出来事と隅に追いやられるような事でも
意外と有意義な意味が、その当時はあったのかも…などと…
なにはともあれ、U・ェ・Uワンコと人間に幸あれ~☆彡
地球VS人間頑張ってほしいと思うこの頃です…
長文書いてしまいましたけど、もし来るな!とかコメするなっ!
と思うのでしたら、削除依頼を受付ていますので、伝コメ下さいです<(_ _)>
闘犬は、いまは昔のようにとことんかみ合わせると言うことではなくなっています。
昔は、野試合と称して(今でもときどき馬鹿なのがやっていたりするのも居ないわけではないですが)、戦意を失った犬でもかまわずに殺し合いさせるような場合がなかったわけではないようです。
今は、戦意を失ったらそこで終わり。
昔は犬も食用にしているので、それはそれであることだったと思います。
豚を殺して食べるのと何ら変わりはない。
人間と動物の関わり方が変わってきたから、ある種の過剰な憐憫が表明されるようになった。
でもこれは人間のおごりのように思えてなりません。
いうなら、犬たちがダメで、魚の命を食べるのはかまわないのかと?
私は人後に落ちないくらい動物が好きです。
でも、自分の価値観で伝統の文化を推し量るのは怖いことのように思います。
選別することが、人への差別にまでつながる。
私自身自分の能力にうぬぼれたいという欲求を消し去ることはできない弱さがある。
他人に対して公平な目で見ることができているか、自信がありません。
動物を選別して、擬人化し判断するのは、極力控えよう。
そう思うことで、ようやく普通の食事ができる。
あまりに動物が好きなので、感覚が異常になっているのかもしれないなと時々思うのですよ。
スピリチュアルな部分もあるので、どうしてもどこかで無理しなければならない。
調べて書くのだと、裏を取りながら書かなきゃならないので、このくらいでも数時間かかるのです。
下手すると2~3日なんてことも。(^^;)
先の話に出たマタギの犬などは、資料はほとんど手持ちできているので決まっているけれど、歴史物になると範囲が広いから。。。
無理しないでくださいな。
高時さんが、闘犬やっていたのは知っていたけど
ここまでとは・・・。
犬は上下関係決めるところあるから、そこから来る喧嘩は
自然だけど、闘犬はやっぱり個人的には
かわいそうに見えます。