クソバイスというのを聞いて。
- カテゴリ:ニュース
- 2015/12/10 13:08:16
ニュースと言うよりも、朝のワイドショー。
モーニングショーで出ていた言葉で、
クソバイスというのがあると聞いて、
いやーな予感に苛まれつつ、
たまたま用事で手が使えなかった為、
チャンネルを変える事が出来ず、
見てしまったのですが・・・・
あれは・・・・。
アホですね。
いや。あくまでも個人的な見解ですけど。
良太郎♪的には他人から貰ったアドバイスをクソバイス扱いする方がアホ。という個人的見解です。
そもそもこういうものは相対的なものであり、
客観視をきちんとしない番組、
ただ、クソバイスという言葉でウサバラシを促すだけの番組構成だったなぁ。と
思いつつ・・・これを知識人を自称する人が出てきて、
こういうのは・・・と知ったかぶって話すのは如何なものか。と
嘲笑すると共に、これを間に受ける人もいるのだろうな。と
暗澹たる気分に…。
番組の内容的には、
巷で言われるクソバイスとは?
から始まり、
なんの役にも立たないアドバイス=クソバイスと紹介されていたのですが、
たまたまなのか所詮、クソバイス呼ばわりされるものはただ、言われた本人の耳に痛い、
聞きたくないアドバイスでしかないのかという例がいくつか。
耳に聞こえの良い、
愚痴と共に発する、こうでしょ?私は正しいでしょ?を迎合する、
甘い言葉=アドバイスが欲しければ、
善き隣人、友人や知人ではなく、
詐欺を目的とした悪人か、他人を陥れる事で喜びをえる。
もしくは、無責任に他人のご機嫌を取る中身のない話をする人と
話すべきですね。
そもそもそこで出てきた例が酷かった。
保育園に乳幼児を入れようとしたら、そこにいた見知らぬお母さんから、
これくらいの歳の子はまだ母親の側においていたほうがいいのにねぇ。と言われた=クソバイス。
違いますね。
このお母さんの場合は、そもそもアドバイスというモノを理解出来てない。
これは、そもそもアドバイスですらないし、言った本人もアドバイスだとは思ってない可能性が高いでしょう。
こんなものは、いわばお天気話、隙間を埋める、乾燥シロツメグサ。
他に話す事がない時に入れる前座みたいなもんです。
ただ、これをアドバイスのつもりだろうと受け止めたのは、
受け止めた本人が罪悪感と共に子供を預けたから。
本来ならば、まだ預けるべきではない。と本人が解っていながら、預けた。
故に、他人の事情を知らない無責任な言葉をアドバイスして受け止めた。
本当に、問題がないと本人が思っていたならば、
うちにはうちの事情がある。ときちんと反論出来ただろうし、
しなくても、
ああ。この人はそう言える、生活環境にいる人なのだな。
私とは違うな。で終わる。
アドバイスというのは、アドバイスが欲しい。と求めた人に対して、
求められた人が回答するもので、求めてもいないのに、勝手に降ってくる言葉は、
知識として入れておけば良いだけで、その知識をどう活かすかは本人の力量。
そしてアドバイスを求めるという行動は、
他人が様々な経験の果てに蓄えた生活の知識を、経験値ゼロで
おいしいとこだけタダで貰おうという、ムシの良い行動で、
その結果何を受け取るかは、受け取った人自身の問題です。
そしてアドバイスがうまく行かなかったからと言って、
クソバイス呼ばわりする人は、何を受け取ってもクソバイスにしてしまう人というだけです。
相手は神様ではない。
対等な、ただ、問題の件について、何らかの経験、もしくは見解を持っているだけの対等な立場の人間でしかないのです。
間違いない正しい知識、誰が使っても間違いない知識。
それは有料に相応しい。
そんなものを無料で貰おうとしたけど、失敗した。
クソバイスだった。と恨む態度は
・・・・・・・・・まるで、万引きしたお菓子が不味かった。と、
スーパーを恨むつける子供みたいです。
笑えます。
アドバイスにふさわしい人はもらったアドバイスが自分の立場に即してなかった場合は、
それをアレンジして考えられる人。
このアドバイスをくれた人はこうだったから、これで上手く行ったんだろうけど、
うちは、こうだから、こうしてみようかな。
この人はこの経験で経験値を増やして、また誰かにアドバイスが出来る。
アドバイスをくれた人に、アドバイスをありがとう、
うちは、こうだったから、こんなふうに工夫してみたら、上手く行ったわ。と
伝えることが出来れば、アドバイスの内容であった知識に共通の厚みが出来る。
アレンジも何もなしでただ、アドバイスをくれた人を恨んでクソバイスだった。
等というような人を・・・・・こう言うんです。
心がけの悪い人。
他人を恨む前に自分をふりかえれ。
なんてことを思わされた年末の今年の総まとめ番組に出てきた新語。
クソバイスでした。