ありがとう、よろしく。④
- カテゴリ:日記
- 2019/05/03 00:28:39
続きです。
私の受験から。
私は、何度か触れられたかと思いますけど、
地元神奈川県を飛び出し、東京都内にある私立の女子高に通うことになりました。
公立は最初から私も親も誰も諦めていました。
これは本当の話ですけど。
私、入学から卒業まで1度も、
数学と理科、5段階評価で1以外を取ったことありませんでした。
上記の通り数学や理科は万年1、
国語だけまれに3、だけど主に2、
他は2や1をウロウロ…真面目にやっていたつもりの体育も1を取ったことがあるほど。
起きてはいましたけど、小説ばかり書いて真面目に授業は受けず、理解していないのに質問していませんでしたから、わからないままテストを受け、それじゃ下がりますって当たり前の結果です。
数学のテストはいつも1桁台を取っていて、学年最低点として言われたこともあります。
成績は酷く悪かったものの、中学3年間無遅刻無欠席で卒業まで行けたので、成績より出席日数を重視する私立になりました。
本当はたった1日、休もうとしました。
卒業遠足で、かの有名なランドに行くことになった時です。
回る人いなかったので、
欠席しようとしましたが、「これ欠席すると無遅刻無欠席記録が駄目になるから、さすがに出て」と担任に言われ、
渋々参加しました。
ただ、ひとりではまわりませんでした。
当時はもうすでに関わりたくないと思っていた、
同じクラスの友人と部活仲間に、まわろうと誘われました。
断りたい気持ちを我慢して良いよとしましたが、
その時撮った写真は見れたものではないです。
元々写真写りが良い方ではないですけども。
これはさすがに酷すぎるって思うほど、しかめっ面でぶすっとした表情で写真に撮られています。
話は戻って高校受験。
学校は、塾の塾長に紹介してもらいました。
塾行っておきながらの成績でしたが、
そこを教えてもらえたので、行って良かったと今は凄く思っています。
最初女子高に抵抗があったのですけど、
ある日ひとりで移動教室をしている時、
たまたま当時同じ班で掃除などをしていたクラスメイトの女子に、
普段は全く関りがないのに、
突然「一緒に行こう」と誘われ、私はそれが酷く嬉しかった。
「人間はいつでもひとり」
「ひとりだって生きていける」なんて考えていた私だったのですけど、
クラスメイトの誘いに危うく泣きそうになったほど、嬉しかったので。
何となくそこで、女子高に行こうと決意がつきました。
卒業後、部活仲間から遊びに誘われたりして、
1度会いに行きましたが、
良い経験はせず、むしろ何故か服装チェックが始まり、
「高校に入るのにこれはないわww」みたいなこと滅茶苦茶言われて、
不快になったのでそれ以降会っていません。
当時は私たちの世代だと携帯電話を持っている人が珍しく、
持っていても折り畳み式のいわゆるガラパゴスケータイだったので、
現在スマートフォンを持つようになった今連絡先は一切知りません。
というか、中学卒業の日、全部連絡先は削除しました。
余談。
この間職場で「ガラパゴスケータイってまだ持っている人いるんだね」って言ったら、年下の子たちに「何ですかそれ」言われました。
私が時代遅れなのか、それとも彼女たちが無知だったのか…。
とてもどうでも良い話でした。
さて。
実はこれ、誰にも言ったことないのですけど、
実は私、密かに高校デビューを果たしました。
といっても地味だった子がいきなりギャルに!みたいなものではなく。
話すのが滅茶苦茶苦手でした。
今も苦手なのですが。
ただ当時はもっと酷く、話しかけられても、「あ、はい」とか「そうですね」で会話が終わってしまう事態をよく招いていて。
自分でそこから話しかけられたら良かったのですけど、
そこに至れなかった。
ただ中学同様またひとりぼっちで過ごすのはさすがにごめん、だったので
どうにかして友達を維持でも作らないといけないと決め、
まずは会話を終わらせず続けることを意識しよう、としました。
同じ中学から同じ高校に進んだのは、ひとりだけいました。
だけど彼女はクラス違いましたし、成績は良かったのですけど休みがちだったというのもありますし、
途中で退学してしまったので、
ほぼひとりでの進学でした。
なかなか話しかける勇気が湧かず、
とりあえず辺りをキョロキョロしていた時、
出席番号後ろだった子と目があい、
何となくお互いぺこりとして、そのまま自己紹介。
という流れで初めての友達が出来ました。
中学の頃などは班などありましたけど、
高校は特になかったので、
彼女と机を並べてご飯を一緒に食べたりもしました。
最初は滅茶苦茶意識して、
「あ、はい」などでは終わらせず、そこから頑張って話を探して続くようにしました。
今では流れるように出来るようになりました。
中学までの友人と呼べるような子たちと縁を全て切っていた当時、
ほぼ初めての友人として話すようになっていたので、
初めての友達である彼女はとても貴重な存在でした。
そこからまた、別の子と仲良くなったり、
頑張って私から話しかけて仲良くなったような子もいました。
高校生活も高校生活で、色々ありました。
なにぶん女子、人間関係問題が物凄く多かったです。
でも、ひとりぼっちになる寂しさを身に染みて知っていたので、
途中自己防衛に走ってしまった部分もあったかもしれないですし、
疲れた結果、またひとりで生きて行こうとした時もありました。
でもその度に、やっぱり思い出すのは中学3年生の時ほぼひとりで過ごした日々の辛さでしたし、
友人を自分の手で失ったからこそ、高校で出来た友達は少なくて良い、失いたくないですし幸せになってほしいって、心から願っていました。
傷ついた人が、必ずしも人を傷つけないかって言ったら、そうではないと思っています。
勿論そういう人もいると思いますけど、傷つけられたから傷つけ返すって人の方が、圧倒的に私は多い気がします。
だけど、私はそうはなりたくない。
ひとりになる痛みを知っているからこそ、ひとりぼっちにはさせたくない。
1度、クラスメイトでよく私に話しかけてくれていた子が、クラスメイト全員を敵に回したことがあります。
というのも、彼女は何かと悪口が多い子でした。
私も正直、悪口をよく聞かされていて、それがまた友達のことだから聞きたくない。
ただ、一緒に移動教室へ行こうと誘ってくれる子は、中学3年生だった私にとってはとっても貴重な存在に思えましたし、
悪口を言わなければ一緒にいて楽しい子だったので、周りから「なつかれているから離れたら」って言われたことありましたけど、
離れられないでいた矢先、ずっと悪口を言われ続けていた私の友達が、
教室で泣き出してしまって。
それをきっかけに全員が貯めていた不満が爆発しました。
そして未来かな