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南北朝の時代~1333年室町時代~


 さて、蒙古襲来ののち、再び世は覇権争いの時代に
戻ります。

●1192年に源頼朝が鎌倉幕府を成立させました。
  その後、源家は数代続きますが、相続争いか北条家
 が原因かわかりませんが、相次いで不審死が起きます。
 その後は北条家の時代が続き、朝廷(天皇)も政権を
 回復させようと必死でしたが失敗に終わっています。
  千葉氏一族は、源家に仕えていたこともあり、政権
 を事実上奪取した北条家に従いました。

●1274年、1281年、蒙古襲来が起き、私の祖先は肥前国
小城郡(現在の佐賀県小城市)に留まっていました。
  千葉宗胤の代に千葉氏の家督を奪われ、平胤貞→平高胤
 と続き、高胤は若くして亡くなったため、兄弟が千田荘
 (現在の千葉県多古町)を相続しました。

●1333年、後醍醐天皇vs鎌倉幕府
  後醍醐天皇は鎌倉幕府を討伐。ようやく朝廷政権が
 回復しました。(南朝の時代)
  この時代、南朝(朝廷)と北朝(幕府)は激しく争い
 ます。旧幕府軍の北条時行は南朝方の足利尊氏に抵抗、
 南朝方を倒し、一時鎌倉を占拠しますが再び情勢が変わり
 逃亡。今度は南朝から離反した足利尊氏が北朝を成立。
  このころは関東に限らず、全国が混沌とした世の中
 だったことでしょう。
  私の祖である平胤雅は平高胤が亡くなった後も肥前国
 に留まっていましたが、南北朝の時代に海路で現在の地
 に来たようです(この頃は10歳にもなっていなかったで
 しょう)。戦乱の世ということもあり、鹿島で剣術、武
 術を身につけ、祖父の胤貞が足利尊氏に従った経緯もあ
 り、足利義詮の命で千葉満胤の補佐人となり、再び下総
 国に領地をもつことになりました。
  今後は千葉氏の傍流として活躍することになります。

今回はここまで。

<補足>
 利根川は今では水門があり、海水は入ってこないように
なっていますが、利根川が整備され始めたのは江戸末期頃
からであり、昔は利根川、霞ヶ浦は海と繋がっていました。
 300~400年前の千葉県は島国で、海上交通が主でした。
高瀬舟という帆船で交通しており、かなりの大型船だった
ようです。(種類は多くあり、現存しているものは最近の
ものなので、1000年前の船がどういうものだったのかは
わかりません。)

 オレは武術も好きですが、泳ぐのも好きです^^
やっぱり「血」なんですかねぇ^^;金槌じゃ海に落ちたら
死んじゃいますからx_x





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