Nicotto Town


心理カウンセラー


【臓器を提供すると言う事】

※御注意:文章中、亡くなった方からの臓器提供の内容が含まれます。


先週、健康保険証が届きました。


その裏には「臓器提供」の承認記入欄がありました。


私は毎回、同意しようと考えているのですが、いざ、記入するとなると勇気がいります。


「体は死んでも心が残っていたら。。。怖いよなぁ。。。」


とか「もしも、生き返ったらどうするんだろう。。。」とか色々と考えてしまいます。

 

臓器提供者として登録すると、当然、脳死判定及び心臓の停止が確認されれば、臓器の摘出をされるのでしょうが、この脳死判定は国によっても基準が違うようです。


日本では大脳の部分、いわゆる脳の外側の部分が死んだら脳死と判定とするそうです。


脳の外側の部分は、大雑把に一言で言うと私達の意識的な部分を司っています。


一方、イギリスなどの外国では、中脳や脳幹と言った脳の中心部分が死んだら、脳死と判定するそうです。


この脳の中心部分は、自律神経系で内臓の働きを司っている部分と言えます。


いずれにしても、脳が完全に死滅した状態では、臓器の移植は難しい?ので、この様なギリギリの判定基準があるのかな?と思います。


チョット話は変わりますが、生前より、角膜の提供者として登録していた方の話です。


亡くなった次の日に医療関係者が来て、角膜を摘出するTV放送を見た事があります。


亡くなった「次の日」とは喪中の事です。


喪中の最中(その日の夜)に、医師が訪れ、喪主に挨拶も早々に済ませ、布団に横たわる提供者から「ササッと」手早く角膜を摘出し、クーラーボックスに角膜を入れて足早に出て行くのです。


執刀している医師の術姿は、亡くなった方の頭の「上座」に正座で座りながら、瞼を開けて摘出していました。


私が感じた事は「とにかくすべてが早い」という事でした。


執刀した医師も極力、ご家族や葬儀の雰囲気を壊さない様に、急ぐ気持ちを抑えながら出て行く様子でしたが、明らかに急ぎ足でした。


臓器の摘出は、本来ならば、亡くなって何時間も経過した臓器より、早々に摘出したほうが移植の成功率も高いのでしょが、その辺りに倫理的な問題が山積している様に思われます。


この摘出のあと、喪主の方のコメントも収録されており、とにかく「理解はしていたけれど・・・」と、驚きの様子を隠せない映像が収録されていました。


本人の意思で、生前に登録していた為、御遺族も何も言わなかったのかもしれませんが、臓器提供は、本人だけの問題ではないのかも?。。。と考えてしまいました。


勿論、御遺族の意思も必要なので、拒めば本人の意思があっても提供は行われないと思います。


逆に本人の意思が曖昧であった場合、ご遺族の意思で臓器提供が行われる場合もあるそうです。


その一例に、御自分のお子さんが亡くなったあと、移植可能な臓器を全て提供したご両親のお話もTVで見た事があります。

 

いずれにしても人の命の終焉と他者の命の存続とが、複雑に絡み合った問題です。


限局的な答えを出すのは難しいと言えます。

 

ジョンハリスと言う人の思考実験があります。


彼は論理学者なのですが、「サバイバル・ロッタリー」という題名で人間の功利主義を問う問題を提議しています。


一人の生命と大勢の生命を臓器移植を課題にした内容です。


論点としては「臓器が提供されれば生きれる人を、そのままにするのか?」とか「臓器提供に怯えて生きる事になるのでは?」とか「犯罪者なら臓器提供を強制して良いのか?」など色々な問題が論議されています。


ただ、これら思考実験は、設定があまりにも非現実的です。

しかし、その反面、とても考えさせられる課題もたくさん出てきます。


サバイバル・ロッタリーの他、「トロッコ問題」、「カルネアデスの板」などがあります。


最近の現実的な問題としては、トリアージュ(緊急事態における災害者の救出順番について)の問題があります。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.