【怒りのベクトル】
- カテゴリ:人生
- 2013/10/26 00:00:10
心底。。。人を憎んだ事はありますか?。。。。。
その怒りはどこに行きましたか?。。。。
心理学で言われている定説に「怒りのベクトルは下がらない」と言われています。
楽しかった事。。。。
嬉しかった事。。。。
悲しかった事。。。。などなど、これらは時間が経つと薄れて行くと言われています。
しかし、怒りのベクトルは、その当時の事を思い出すと、当時と同じベクトルで怒りの感情が蘇ると言われています。
勿論、人にもよるだろうし、長い年月の間に許している事もあると思いますが、喜びや悲しみに比べると「怒り」の感情は断続的に維持されやすいそうです。
この理論は長年に渡る民族紛争や外交問題などで、取り扱われる理論の一つとなっている様です。
私の友人に中国の方が居るのですが、「日本人の様になりたい」。。。と言っていました。
しかし、それは日本人を尊敬しているという意味でも、信頼しているという意味でもない。。。。。
。。。と面と向かって言われた事があります。
怒りと言うものは、自分を守る上でも大切な感情だと思いますが、そこに執着し過ぎると自分の視野も狭くなって行くという特徴もある様です。
私も当然、怒りの感情を人に持つ事があります。。。。そんな時、私は。。。。
「あの人には、あの人の人生があって、自分の人生とは関係ないんだから、憎んだり恨んだりはやめよう。。。その分、もっと素敵な人と付き合って行けば良い。。。」と極力、憎しみの感情を引きずらない様にしています。
とは言っても、一度、人を憎むとなかなか忘れる事は難しいものです。。。。
なので、あまり人を憎んだり恨んだりしそうな場所や環境に可能な限り首を突っ込まないようにする事も自衛策の一つかも知れませんね。
これは、わたしもよく考えますね。わたし自身
ものすごい憎しみを抱えた時期があったものですから。
怒りや憎しみという感情は、自分自身をも壊しますよね。
ところで、クラーク勧告というものを受けているのですね。
とっても日本らしいなぁと感じてしまいました。
中国のかたのお話もブログに出てますが・・・
いろいろな国があり、いろいろな価値観があり・・・
日本にも、いろいろな問題がありますが、まだ
比較的、平和で生活しやすい国なのかなと感じます。
↑ブログの内容と関係ありませんね。こんな、まとめで
ごめんなさい。
心理学上は どうなのでしょうか?
自分は 「怒る」 ことはありますが
「憎む」 という感情については ???という感じです
自分には 客観的に見て 「憎むべき人」 がいます
ただ 自分自身は その人に対し そういった感情は無く・・・
憎むどころか 怒る気も 苛立ちも 全く湧いてきません
なので 「憎む」 という感情は 頂点に達すると
「無」になって 何も感じ無くなるのかなぁ・・・と
思ったりしていました
怒ることは 常にあるので(^^ゞ
近くにいると ついイライラしてしまう人には
極力近づかない様にしています^^
触れないのが 一番~ ♪
絵になぞらえて、【怒り】の遠近法を考えてみますと、
消失点のひとつは【叱る】でもう一つは【憎む】かな。
愛着の反対は無関心とはよくいわれていますけど、
遠い距離から静観するだけの崇高な愛もありますね~
怒りの遠近法にも、ショートレンジな憎恨を超えた、
静かに覚醒した怒りもあって欲しいような気もします。
ドロドロした怒りだけは、三十六計逃げるに如かず^^
肉親とか身内だと切るに切れないので怒りのやりどころがなくて非常~~~~~に悶絶します
昨日も私の父親のことで怒り心頭なのが収まらず、ブログで吐き出そうかと思ってますが
他人が見ても楽しくないのは確かなので、やらないでおこうと思って悶々としております
一人カラオケでも行こうかなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
他の動物類で、縄張り争いになった時…一方を殺すまではいかないにしても、完敗と呼べる域まで暴力で追いやって、上下関係をはっきりしますよね。
人間の場合、縄張り争いではないでしょうが、ぶつかる事があった時そういうことはしませんね。
それが結局いつまで立ってもはっきりしないから、残ってしまうんでしょうか。
闘争を煽るわけではないですが、なんかより深いところに、ベクトルの根はありそうですね。
でも、今は娘のお父さんとして、責任果たしてくれたらまあいいかなって(笑)
その、許す気持ちになるまで、六年かかったけど!
それは おおいに言える
自分を傷つけてしまうので 極力 考えないように = 否認
するしかないかと でも kの 憎しみ 怒りの気持ち いったい
どうしたらよいものか と.....
いったん生じてしまった感情なかなか なかったことにするのは
他のことでまぎらわせても ひと時
かなり むずかしいかとも・・・:-(
今でも怒りがこみ上げてきたりしますね。でも、本当の喜びについても同じぐらいうれしい思いが出てくる気もします。悲しみにいたっては、わたしが楽観的なので、わかりませんが、大切なひとの葬式などを思い出すと同じぐらい出てくる気もしますね。そう考えると、怒りだけではないような気もしないでもないですね。どれも同じなのに、怒りや憎しみだけを強い感情だとするのはもしかしあらプロパガンダの可能性もありますよね。カウンセラーさんのいうとおり、人それぞれなのかもしれませんよ。国と国とを戦争にしたい人間が都合のいいことを頭に植え込もうとしているかもしれませんね。喜びのほうが強い感情だと広げたら、みんな「あ・・そうかも・・」って騙されるんじゃないでしょうか。