ライトノベルの危機
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- 2010/07/07 00:32:45
ライトノベルというジャンル自体の危機だと言える。
先月の哀川譲に続き、葵ゆうというライトノベル作家が盗作を認め、その作品は絶版、書店から回収されるという騒ぎになった。
哀川氏は電撃文庫、葵氏は角川ビーンズ文庫の作家でレーベルは違うが、どちらも角川グループの出版社である。
哀川氏は何とデビュー作が盗作だった。葵氏もデビュー2年目の若手。
もう一つ共通点がある。両氏ともそれぞれのレーベルの大賞コンテスト、つまり新人発掘のための賞に応募して大賞にはならず、葵氏は「激励賞」、哀川氏は最終選考まで残ったため、編集者が特別に改稿させてプロとしてデビューを果たしたという点だ。
だが、この二つの盗作騒ぎ、少し様相が違う。
小説に盗作は昔からつき物である。名前は忘れたが、昔ヨーロッパの小説家で盗作したとして裁判になり、その法廷で「盗作した事は認める。しかし私の作品の方が面白い」と豪語した人物もいた。
ただ、従来の小説の盗作と言えば、ストーリー構成、プロット、ミステリーにおけるトリックなどのアイディアの盗用の事であった。
ところが上記の二人のライトノベル作家の盗作は「表現の流用」、つまり文章表現をパクったという話なのである。
小説におけるこんな「盗作」は我輩はそれまで聞いた事がない。
新聞記事などで似たようなパターンはあったが、小説で文章表現を盗用とは前代未聞なのではないだろうか?
2ちゃんねる等のネット掲示板から「盗作じゃないのか?」という声が上がり、それが発端で「表現流用」がばれたらしい。
盗用された作品もライトノベルで、それらの掲示板で両方の作品の類似箇所が並べてあるのを見たが、盗用された箇所というのは情景描写や台詞などの部分で、先行作品の中の気の効いた表現を部分的にコピーしたようだ。
両氏もそれを認めているという事だから、これはもう「盗作」という以前の問題ではないだろうか?
逆に言えば両氏の作品、アイディアやストーリーはちゃんとオリジナルの物で問題は無かった。むしろ編集者にも読者にも評価されていたという事だ。
ライトノベルも「粗製乱造」になってきている事の証拠だろうと思う。
ライトノベル作家は十代、二十代でデビューするケースが多い。そして近年の大賞受賞者はライトノベル作家を養成する専門学校の卒業生というケースも多い。
それがただちに悪いとは言わないが、ライトノベルと言えど小説である以上、書き手にはそれなりの教養と人生経験が必要だろう。
専門学校で書き方のノウハウやテクニックだけ習っても、人を感動させたり面白がらせたりするには、様々な知識や経験が必要だ。
が、最近のライトノベルは何か「自分の半径十メートル以内」の話や、感性だけで書いたような作品が多くなってきている。
もちろん傑作もあるのだが、人生経験の少ない若者を作家不足を補うための手っ取り早い手駒としてデビューさせるというケースが増えているのではあるまいか?
またライトノベルは人気が出た作品だと次々に続編が出る。その間隔が4カ月から5カ月という場合が多い。
読者が飽きないうちに次の巻を、という商売上の都合があるのだろうが、作家にかかる負荷は非常に大きいだろう。
涼宮ハルヒシリーズの第十巻が3年も遅れているというのも作家が疲れきってしまったからかもしれない。
だとすれば、ライトノベルというジャンルそのものの存続が危うくなる。
マンガ、アニメもそうだし、現在は芸術として確立している一般の小説や映画なども古くはそうだったが、黎明期には玉石混交の状態で下らない内容の作品の方が多かった。
しかし歴史を重ねて行くうちに芸術的な内容の作品がちらほらと誕生し、それに触発された若い才能がその傾向に磨きをかけ、やがて大の大人、教養ある知識人の観賞に耐える作品が生まれてくる。
ライトノベルという言葉が一般化したのが2000年頃だそうだから、既に十年の歴史がある。
初期のファンだった中高生は今では20代半ばの社会人になっているはずだ。
講談社などはライトノベルを「大人になったら卒業する物」ではなく、明らかに20代以上の大人向けの読み物として確立しようとしているようだ。
まさにライトノベルから「芸術」「文学」と言っていいような作品が生まれるかどうか、その転換期にあるのではないだろうか?
その大事な時期に、ストーリーやアイディアの盗用ならともかく(もちろんそれがいいというわけではないが)、自分で文章表現を作りだす事も出来ない「プロの作家」をデビューさせてしまったというのはあまりにもまずい。
ライトノベルというジャンルそのものの存亡に関わる。「ひどいプロの作家がいたもんだ」では済まない話だと思う。
角川グループは4レーベル合わせるとライトノベル業界で圧倒的なシェアを持つ巨人である。もう少し新人作家の育成を真剣に考えてもらいたい。
ヨーロッパのつわもの小説家の言うことももっともなんですよね、ネタ元より面白ければいいという面は否定できません。
しかも「文章表現の盗作」って??
読んでないからはっきり言えないけど 文章表現なんてお決まりの形ってのが必ずあるから、1シーンの描写がそっくりでもそれを元に「盗作」を叫ぶのはどうかと思います。
それにしても最近もライトノベルって、面白そうと思うとすでに何巻も出版されててとても読み切れません。
あと、やっぱり角川もどうかと思う。若い才能がネット社会に潰されちゃうんだ。それをなんとかしないのかな。
表現の全文盗用なんてのは、
インターネットで発表されている作品をコピペできるからこそ起きること、という気がしてます。
昔から小説家は、
自分の好きな作家に文章が似てきたり、あえて真似たり、ということをしてきたけれど、
それは一度自分のものとして相手の文章を取り入れて、
そのうえで自分の文章として吐き出しているから、それは盗用ということにはならない。
2ちゃんなどで、2つの作品の文章を揃えて比較検討できてしまうというのは、
あきらかに、コピペの産物、ということですよね。
だからこそ、従来のように「良い作品の文章を真似した」「倣った」ということにならずに、
「盗作」と判断されたんでしょうから。
コピペに関する盗作判断は、いまだルールが完全に確立していない気がします。
二次小説への転用も含めて、
今回の事件が、その大きなきっかけになってくれるといいですね。
盗用というには、微妙な感じが、、まぁ、、そこは、あえてパクりました。。ぐらいの意気込みでも。。
いんじゃないかと??てか、、編集者は、気がつかなかったのかな??
製造業みたいな斜陽感が漂っている・・・
「文化の死」を感じる
今日、この頃