Nicotto Town



秋葉原のフィギュア供養神社

東京の秋葉原に面白いスポットがまた増えた。
ビルの一階のフロア全体に、神社のような空間が広がっている。
入り口から見て右手の壁には、三段ぐらいの棚があり、一面にアニメフィギュアや美少女フィギュアがずらりと並んでいる。

案内している巫女さんが、今日は三人。
いずれも「アイドル目指してます」と言われても、何も違和感のない、妙齢の美女ばかりである。
ほほう、巫女コスプレの新しいカフェでも出来たかと思って立ち寄ってみた。

そうしたら「神社みたい」なのではなく、れっきとした正真正銘の神社なのだそうだ。
その名も「秋葉原神社」と言う。
調べてみたらホームページもちゃんとあった。

http://akihabarashrine.jp/about.html

この神社の最大の特徴は、アニメフィギュアなどを依頼に応じて供養してくれるという点である。
人形供養のポップカルチャー版といったところ。フィギュア専門というわけではなく、従来の西洋風ドール人形や日本人形の供養も引き受けてくれるそうだ。

まだ「一般参拝」を始めて三週間ほどとの事で、つい最近出来た神社である。
巫女さんの説明によると、関西に本拠のある神道教団が設立した神社。
きっかけは、その手のフィギュアを供養してくれる所はないか?という問い合わせがあった事なのだそうだ。

雛人形、武者人形、伝統的なドール型人形なら、人形供養をしてくれる神社や仏教寺院は首都圏にもいくつもあるのだが、そういうオタク的なフィギュアだと引き受けてもらえなかったのだろうか。

まあ、寺社側は引き受ける気があるとしても、いい年こいた大人の男が、女子高生制服姿の美少女フィギュアや肌も露わな魔法少女ナンチャラのフィギュアを、そこまで持参するというのは、持ち主にとっては抵抗があり過ぎるのかもしれない。

ポップカルチャー、サブカルチャーがそこらじゅうに溢れている秋葉原の一角にある神社なら、まあ安心して持って行けるのかもしれない。

人形供養の原点は平安時代の付喪神(つくもがみ)信仰だと言われている。
長年使った、唐傘、提灯などの道具を、壊れたからと言ってゴミとして捨てると、魂が宿っていて妖怪化するという話である。

特に形が人間を模している人形には魂が宿りやすいと信じられていて、雛人形などが壊れた場合には、化けて祟りをなす事を避けるために、供養するようになった。
これが江戸時代の後期ごろに、愛着のある人形を単なるゴミとして捨てるのは忍びないという感情に変化し、現在のような人形供養の形式が確立されたらしい。

そういう意味では、フィギュアがあちこちで売られている秋葉原にそういう神社が出来たのは不思議ではない。
だが、この秋葉原神社、単に「オタク御用達」というだけの存在にはとどまらない可能性を秘めていると思う。

秋葉原神社の主祭神、つまり祭られている神様は「天照弥勒大神(アマテラスミロク・オオミカミ)」という。
聞きなれない名前だが、日本神話の最高神である天照大御神(アマテラス・オオミカミ)と仏教の救済仏である弥勒菩薩が、合体というか、一柱の神になったものだそうだ。

これは神仏習合の典型的な例である。
日本の仏教は、インドから中国経由で伝わったものと言われているが、中国や朝鮮半島の仏教とは、非常に異なった信仰形態になっている。
日本列島の土着宗教である神道と、いつの間にか同一視されるようになり、神道の神々と仏教の如来や菩薩が、渾然一体になっている。

似たような例は、仏教の「~天」と呼ばれる諸王が、元はヒンズー教の神々であったというのもあるが、この場合は諸王が仏の配下であるという関係で、明らかに上下関係になっている。
日本の場合は、神道の神々、仏教の如来・菩薩のどっちが上とか下とかいう関係ではなく、基本的に対等である。

異なる宗教の崇拝対象を、同等の存在として併存させてしまう、この日本人の宗教観は、よく言われるように、神社にもお寺にもキリスト教会にも時々の都合に応じて行く、という行動に表れる。

これゆえに、日本人は宗教に関して節操がないとか、そもそも無宗教なのではないかと言われる。
特にキリスト教やイスラム教のような厳格な一神教の世界の人たちには長らく、奇異、理解不能な行動と思われていた。

だが、その無節操さ故に、日本は長い歴史があるにも関わらず、血生臭い宗教戦争をほとんど経験しないで済んだとも言われる。
また、日本のマンガやアニメが世界のあちこちでウケるのも、特定の宗教的価値観に基づいていないストーリーの自由奔放さにあるのではないだろうか?

また、無生物に魂があると考えるのも、日本独特の宗教観である。
一神教であるキリスト教やイスラム教では、人間以外の生物に魂はないと考える。
仏教やジャイナ経では人間以外の全ての生き物にも魂の存在を認めるが、それでも生物でない物にまで魂があるとは考えない。

したがって、人形供養という風習は、我輩の知る限り、日本にしか存在しない。
秋葉原神社は、神仏習合、無生物にも魂の存在を認める、という二つの日本特有の独特の宗教観を体現しているのである。

おそらく外国人には、伝統的な人形供養は理解しがたい迷信としか映らないかもしれない。
しかし、アニメフィギュアという、日本のポップカルチャーを媒介して、日本人特有の宗教観に触れれば、心理的抵抗は少なくなるかもしれない。

日本人は無宗教なのではなく、無党派層ならぬ「無宗派層」なのだと思う。
つまり全ての宗教を同列に扱い、平等に敬意を払い、自分の都合によって異教の神も信仰する。
これこそが日本の「共通信仰」なのではないだろうか?

宗教的な観点からは、それが良い事か悪い事かは分からない。
だが、「無宗派」という宗教観が、日本社会の世界でも稀な平和共存をもたらしているのだとすれば、宗教の違いが世界中でテロなどの悲劇を引き起こしている最近の世界情勢において、何らかの解決策を示唆できる可能性はある。

そう考えると、かの秋葉原神社、単にオタク向けの奇をてらった宗教施設とばかりは、言い切れなくなる。
最近とみに外国人観光客が増えている秋葉原の街にそういう神社があるというのは、時代の絶妙な配置かもしれない。

さして大きくはないビルのワンフロアだけの敷地なのだが、床は一面、石畳と白い玉砂利が敷き詰めてあり、鳥居もあるし、拝殿、絵馬奉納所もある。
ミニサイズながらも、決してお遊びではない、本格的な神社である。

とは言え、壁の一面にびっしりフィギュアが並んでいるという光景や、巫女さんとインスタントカメラで記念撮影が出来るなどという点は、メイド喫茶のノリでもある。

どこまでが真面目で、どこからがシャレなのか、その境界線が曖昧な雰囲気なのだが、その曖昧な部分こそが、この神社の最大の魅力なのかもしれない。

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2016/08/21 12:49
ぬいぐるみはやってないのかな(。´・ω・)?
縫いぐるみは人形供養のとこもやってくんないの~
フィギアが良いなら縫いぐるみもやってくれるといいのになぁ~
 
生き物は死ぬし物は壊れるし
地球も太陽も宇宙も消えるなら魂が全ての世界に有っても不思議とは思えないですよね。
魂が無いと思う世界より魂が有ると思う世界のほうが見える世界が綺麗になると思ってるデス♪
アバター
2016/07/18 21:52
へぇ〜〜面白いですね

アニメや、、フィギュア、、ポケモンなど、、そういったサブカルが、、世界平和に

貢献するなら、、素晴らしいですね、

確かに、、八百万の神、、聖お兄さんなど、、

そもそも、、宗派が違っても、、

神様なんだから、、喧嘩は、、いかんよねー




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