人形供養
- カテゴリ:その他
- 2010/08/04 21:16:58
人形供養の依頼をインターネットで受け付けてくれる会社があるそうだ。
花月堂というのだが、別に宗教団体とかではなく純粋にビジネスとして人形供養をやっているらしい。
ネットで手に入るサービスも多種多様になっていて大抵の物では驚かないのだが、これはさすがに驚いた。
どうもお寺や神社が多忙のために個別の人形供養の依頼に応じてくれにくくなったようで、この会社が不特定多数からの人形を集めて数カ月に一度まとめて供養を依頼する、というシステムらしい。
それならお寺のお坊さんや神社の神主さんもスケジュールが組みやすいので、こういう仕組みが出来上がったのだろう。
ただもっと驚いたのは、この機械万能のご時世に人形供養の依頼が、ビジネスとして成り立つほどに存在するという事だ。
この人形供養という習慣、我輩が知る限りでは日本独特の物のように思う。
そう言えば針供養というのもある。
人形や針などという無生物をゴミとして捨てるのに抵抗があり、お坊さんや神主さんに供養、つまり葬式、をやってもらうという感覚は、少なくとも欧米人には理解不能だろう。
人形供養も針供養も神道と深く結びついている。
キリスト教やイスラム教では「魂」というのは人間にしか存在しないと考える。
仏教では動物にも魂があると考えるが、無生物にまで魂がある、あるいは後から宿る、という概念はない。
神道では石や樹木(これは正確には生物だが)、道具などの人工物にも魂が宿る事があると考える。
代表的なのが「九十九神(つくもがみ)」という概念である。
この場合の九十九とは文字通りの数字ではなく「数え切れないほどたくさん」を表す言葉だ。
人工物でも長い年月を経ると魂が宿る。それが宿った物が九十九神と呼ばれる。
ただしこれは民間伝承だったので現在の神道では正統な概念ではなくなり、お化け、妖怪の類として扱われる。
お化け屋敷の定番である唐傘お化けや提灯お化けなども、元は九十九神だったのだろう。
ちなみに「地獄少女」で閻魔愛ちゃんの使いをしていた「一目連(いちもくれん)」も九十九神である。元は日本刀。長年人を斬り続けた後に魂が宿って妖怪化し、愛に拾われたという設定だった。
またテレビドラマの「大魔神カノン」に出てくる「オンバケ」と呼ばれる妖怪たちの中にも元は道具だったという設定がある。
例えばタイヘイは元は武将の兜だった。これも九十九神の一種である。
まして人間や動物をかたどって作られた人形やぬいぐるみなどはなおさら魂が宿りやすいと考えられる。
だから古くなったり壊れたりした物であっても、ゴミとして捨てる事に何となく抵抗を感じる、というのが日本人の伝統的な感覚なのである。
最近は金のためなら肉親でも道具としてしか見ない、あるいは血を分けた我が子を平気で死に追いやるような人間が増えている。
日本人の生命倫理もここまで落ちたか、と思える中で物に過ぎない人形への愛情がちゃんと残っているというのは何となく救われた気分になったのだが、それは我輩だけだろうか?
ちなみに花月堂では、まだ使える人形なら日本文化理解のために外国へ寄付するなどの再利用もしてくれるそうだ。
もう要らない人形があって捨てられないでいる人がもしいたら考えてみてはどうだろう。
依頼のHPはここ
↓
http://www.kagetsudoh.com/
この人形供養という風習、外国でも有名になりつつある「もったいない」精神のルーツではないかとも思える。
物にも魂があると思えばむやみに捨てたり無駄にしたりはできまい。
ついでにこういう事を大真面目にやってくれるというのが日本の宗教の面白いところであり、世界に類を見ないユニークな特徴である。
アニメ「屍姫」の中で田神景世がこんなセリフを言っていた。
「坊主は死んだ人のためにいるんじゃない。生きて悲しんでいる人たちのためにいるんだ。」
人形供養もまた、壊れた人形のためというよりは、長年愛した人形と別れをしなければならない持ち主の心の癒しのための儀式なのかもしれない。
アンティークとして販売されてるのも見たことがあります。
人形や物に魂が宿るという考え方は日本人特有のものですか。。
勉強になりました^^
異国の地でお人形が可愛がられるのもいいですね^^ いい勉強になりました^^ありがとうございます^^
そして、当たり前に、そんな感覚を、持ててる事に、感謝します。
世界中の人が、そう思えるようになれば、また世の中変わるかも。。。