日テレ記者事故死の本当の問題点
- カテゴリ:ニュース
- 2010/08/06 21:46:40
埼玉県秩父市でレスキュー用ヘリコプターが墜落し5人が死亡した事件の現場へ、日テレのカメラマンともう一人の取材記者が行こうとし、今度はこの二人が死亡したという事件が先日あった。
どうやら山道を歩いて事故現場へ行こうとし、滝つぼから転落して水死したらしい。
当時は埼玉県警でさえヘリ事故の現場へ行く事ができず、報道陣へも現場へ近づかないよう自粛要請が出ていた。
夏山とは言え服が軽装過ぎたとか、山登りの装備が十分だったのか、その点につき日テレの責任は?という議論が起きているようだ。
だが、我輩はピントはずれもいいところの議論だと思う。
これまでの各社の報道内容を総合すると、この日テレのニュース部門で「墜落したヘリの機体を地上から撮った映像が欲しい」という声が上がり、その結果の危険な山登りをして案の定遭難した、という事だったようだ。
本当に問題にすべきなのは「そんな映像に人の命をかける価値があったのか?」という点の方なのではないだろうか?
ロバート・キャパという写真家の名前ぐらいは若い人でも知っていると思う。
第二次大戦からインドシナ紛争(ベトナム戦争の前哨戦)にかけて世界各地の戦場を渡り歩き、銃弾砲弾の飛び交う戦場の様子を写真に撮って世界中に送り、いわゆる「戦場カメラマン」として名をはせた人だ。
一応自国あるいは同盟国の軍隊と行動を共にしていたとはいえ、いつ死んでもおかしくない危険極まりない仕事だ。
そして案の定、1954年にベトナムで地雷を踏んでしまって、41歳の若さで死んだ。
しかしロバート・キャパを「命を粗末にした馬鹿な奴」と思う人はまずいないだろう。
それは当時、戦場の現実をビジュアルに伝える手段が写真しかなく、彼が命をかけて写真を撮らなかったら一般人が永遠に知る事が出来なかったであろう情報を多く世界中に報道したからである。
もう4,5年前だが朝日新聞を退職した記者が「『朝日』ともあろうものが。」というタイトルの告発本を出した。新聞社の内部がいかに腐敗しているかを告発した内容だが、こういうエピソードがある。
この人が地方支局の下っ端だった時、交通安全ポスターで何かの賞を取った中学生が列車事故で死亡した。その記事を書くために被害者、つまり死んだその少年の顔写真を手に入れようと奔走。
悲しみにくれている最中の両親の所まで押しかけ、母親をだまして写真を撮り、それで結構大きな記事になって新聞紙面に載ったという経緯だ。
だがこの元朝日記者は「そんな写真を載せる事に何の意味があったんだ?被害者の母親をだますような事してまで?」と激しく後悔している。
この話は多分20年ぐらい前の新聞、かたや2010年のテレビ記者だが、問題の根っこは全く同じである。
墜落したヘリを上空から撮影した映像は既にテレビニュースで何度も流れていた。おそらく日テレは上空からの撮影で他社に先を越されたのだろう。
だから地上からの撮影は一番乗りで、という意識が働いたのではないだろうか?
大量殺人の犯人や、死んだのが有名人ならともかく、ありふれた事故の被害者の顔写真が載っているかいないか、そんな事のために被害者の遺族をペテンにかける価値があるのか?
ヘリの墜落が機体の重大な欠陥のせいだという情報があり、その証拠をカメラに収めるためにあえて無謀な登山をしたとかいう話ならこれも理解は出来る。
だから許されるとは言えないが、ジャーナリストというのは真実追究のためには一般人とは違うモラルで行動しなければならない場合もあるだろう。
だが、そういう本当の特ダネを狙った事故現場入りだったという話は出ていない。
それ以前にさんざんニュースで流れていたのだから、墜落したヘリがどんな状態になっているかぐらい素人でも容易に想像はつく。
その機体をテレビ局の中で最初に地上から撮影しました・・・・・そんな物、視聴者は本当に見たいか?
新聞の被害者の顔写真といい、今回の地上からの墜落ヘリの映像といい、読者、視聴者にとってはどうでもいい事。
新聞社同士、テレビ局同士の内輪の競争意識の産物に過ぎない。
読者、視聴者にとってどうでもいい物のために二人の記者に命を賭けさせた、この点こそが問題なのではないだろうか?
少なくともロバート・キャパの命がけとは、レベルが違う。命を賭ける理由の程度が低すぎる。
日テレ幹部の責任を問う声も出ているようだが、装備が十分だったか?とか安全面に配慮があったか?とか、そんな事は問題の本質ではない。
視聴者にとってはどうでもいい映像のために社員を危険にさらした。そして、そんな低レベルな「一番乗り」にこだわるという時代遅れの判断をした。
この点においてこそ、日テレの幹部は責任を追及されるべきだと我輩は思うのだが、どうだろうか?
そういえば御巣鷹山でも日航機墜落事故の時にあやうく遭難しかけたとか、どっかでちらっと読みました。
装備が不十分とか死んだ記者たちを責めるような報道は責任転嫁ですね
仮に取材が成功していたらと考えても「ある日のトップニュースになりましたとさ」くらいの扱いだと考えると引き合わないと思います。
ガイドが無理と判断したものを引き返すということは、幹部が否定しても現場には「写真を撮ってナンボ」の空気があったということ。
登山経験があるカメラマンと直前まで事故現場の県担当だった記者のコンビで行かされたら、「危ないことをするな」と表向き言われていたとしても手ぶらで帰れないと感じてしまいかねない。
警察から「危ないから行くな」と言われてまで取材に行かせる必要もなかったし、ましてや死ぬ必要など全くなかったと思います。
poohさんのご意見ですが・・・
朝日新聞阪神支局襲撃事件も少なくとも地元では今でも事件の日には特集記事を組んでいます。
あの事件が小さかったとは思わないけど、新聞記者だけが表現の自由があるというわけではないとも思う。
それこそ新聞社に権利を妨害された人も多くいるのにそこだけ取り上げるのに違和感を感じてしまう。
命を懸ける必要があるのかどうか、考えるべきと思います。
使い捨てみたいな感覚でしか、社員を見ていないんじゃないでしょうか。
日テレ側は責任を追及されるべきです
ちょっと感じていたのは、山岳ガイドさんのコメントなんかいらんやろ!
ということでした。
記者の自己責任やろ!それに尽きるやろ!
視聴者にとってどうでもいいことが、
情報提供者にとってはどうでもよくないことだとされているって
何でなんでしょう??
情報提供者側の自己満足の世界があるんですかね?
また、視聴者の中には
興味本位的に加害者の顔とか身上・癖知りたいって思って
報道に踊らされる市民も現にいるわけですし・・・
テレビ見続けてもテレビ依存症とはいわないけど、
PCばっかやってると依存症っていわれますよね。
テレビつけっぱなしを止めて、報道者側からの情報一方的垂れ流しを
やめる風習ができたら、いろんなもんが変わるような気がします。
もし、東京大震災で私が埋まって生存していたら、そのときの救助作業は撮らないで欲しいな。
事故や、事件の報道の仕方、、特に垂れ流し的な、TVは、、報道する側の、モラルを、疑いたくなる時が、
ありますよね。。
小さな子供達も、視ているってこと、考えてるんでしょうか?(親の問題もあるけど。。)
斜陽になっていくんじゃなかろうかとさえ思われます。。
なりつつあるのかな?もうすでに。。。
上に立つ方々の、感覚が、、古いのかな??
もっと、クリエイティブな、、意識で、改革していってほしいと思います。
当然、幹部になるようなのの馬鹿さ加減は、筋金入りですので、そういう責任追及なぞ
されるはずもないでしょうねぇ~。
亡くなった人たちの気持ちってどうだったんだろう?
行きたくなかったのかな?行きたかったのかな?
数字目的のために手段を選ばない時代なの?おかしいよね。
少し別の観点ですが、このニュースで僕が一番違和感をもったのは、日テレ以外の報道各社の扱いの大きさですね。
名もない一介の記者とカメラマンの死亡にしては破格の一面トップ大見出し。たぶん国会議員が事故死したケースと変わらない扱いだと思いました。で考えられる理由は二つ。
①記者やカメラマンはそれほど崇高な職業であるという身内に対する自意識過剰、つまり「自分たちはこれほど偉い人種なんだ」と勘違いしている結果である。
②「競争相手の日テレがこんな馬鹿なことさせました」というネガティブキャンペーンである。
実際の記事の内容をみると、②でないことはすぐにわかります。ということは、日テレだけじゃなくて、報道各社すべてが、馬鹿ナルシストで、jokerさんのおっしゃるような日テレ幹部批判なんて夢にも思ってないんでしょうね。まことに残念です。