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イラン:中東の誇り高き問題児

イランの元王子、つまりパーレビ国王の息子がアメリカで自殺した。
知っている人にはイランおせっかいだろうが、イランという国の特殊性を振り返ってみたいと思う。

イランは中東にある国家でアラブ人の国だと思っている人も多いようだ。
だが、イランはかつてのペルシャ帝国の末裔であり、国民の半数以上は「ペルシャ人」あるいは「ペルシャ民族」に属する。
人種的には「アーリア系」で、白人に近い。

が、少数民族も50%に近く、かつアゼリー人、クルド人、ユダヤ人、アラブ人など十以上におよぶ。
かなり複雑な多民族国家である。

最近は核兵器開発疑惑でアメリカから目の仇にされているが、実はアメリカとは同盟国と言ってもいい親密な関係の時代があった。

イランは中東の問題児と見られがちだが、その遠因はペルシャ民族が抱える三重のコンプレックスにあるらしい。

第一に、イランは言わば「中東の中華思想」とでもいうべき高いプライドの持ち主である。
古代のアケメネス朝からササン朝、アッバース朝などのペルシャ帝国の名は歴史の授業で聞いたことぐらいはあるだろう。

かつて広大な地域を支配したペルシャ帝国の末裔であるイランは、本来もっと偉大な国である。今はたまたま欧米キリスト教圏の後塵を拝しているに過ぎない。
少なくともペルシャ人はそう思っている。これが第一のコンプレックスである。

第二に、にも関わらず、歴史的に遅れた民族であったはずのアラブ人の宗教に席巻されてしまったという否定しようのない歴史がある。
ササン朝までのペルシャ人はおおむねゾロアスター教徒であった。しかしイスラム教が広まるにつれ、それに征服されてしまった。

だからイランでは、同じイスラム教でも、発祥の地のアラビア半島では異端とされる「シーア派」という宗派が圧倒的多数を占める。
周辺国のシーア派イスラム教徒に「援助」という名目でちょっかいを出すので、スンニー派が多数、あるいは支配層であるアラブ諸国からは「ああ、うざってえ!イラン口出しをすな!」と言われて、いさかいが絶えないのである。

第三のコンプレックスは欧米キリスト教圏に、近代化、経済力という点で遅れているという、これも否定しようのない事実である。
特にパーレビ王朝が成立して以来、このコンプレックスが欧米諸国に対するあからさまな敵意として表れるようになった。

1921年に軍人であった、後の初代パーレビ朝国王がクーデターで政権を奪取。パーレビ朝が始まる。
二代目の国王「シャー」の時代、イランの豊富な石油資源に目をつけたアメリカが、イランの近代化を援助。シャーの時代にイランとアメリカは蜜月関係にあった。

シャーはイラン社会全体にわたって西洋化を進め、イスラム教の影響力を弱めた。
が、その近代化政策があまりに性急だったため、国内の保守的なイスラム教徒の反発を買い、1979年、イラン革命が起きる。

イラン革命には二つの顔があった。
一つは王政を打倒し、共和政治を樹立した事。シャーとその一族は国外へ亡命した。

もう一つの顔、これがアメリカをびっくり仰天させた。
当時は冷戦時代であり、アメリカに盾ついての革命と言えば、ソ連にそそのかされての共産主義革命のはず、であった。

ところがイラン革命は、共産主義ではなく「欧米的な価値観を否定、排除してイスラムの伝統に回帰する」という「イスラム革命」だった。
そしてシャーが進めた西洋化、近代化を全否定し、「イスラムを国教とする政教一致の国家」になってしまった。

現在でもイランで一番偉いのは大統領ではない。
イスラム教の最高指導者が国のトップであって、大統領はその下で政府の長を任されているに過ぎない。

これがどこぞの辺境の国ならアメリカも「ああ、そう。じゃあ、まあ勝手にやって」という態度を取ったかもしれない。
しかしイランは世界最大の産油地帯にあり、中東各国のシーア派イスラム教徒に一定の影響力を持っていた。

そこであわてたアメリカは、似たような革命や反米運動が他の中東の国に広がるのを防ぐため、イランのライバルとなるべき国を育成した。
それは隣のイラクである。イラクも古代帝国の末裔なので、イランへのライバル心は強かったから、アメリカの誘いに乗った。

そして、イラン型革命を撲滅すべく仕掛けたのがイラン・イラク戦争である。
この時のイラクの最高権力者は大統領サダム・フセイン。
2003年のイラク戦争で、かつての盟友アメリカに処刑された、あの人である。

8年にもおよぶイラクとの戦争でイランは国力を消耗したが、決定的なダメージは受けず、ますますアメリカ憎しの感情を高ぶらせていく。
しかしアメリカは一つ重要な勘違いをしていた。

イランはアラブ民族に囲まれた孤立民族の国であり、中東の盟主になれる可能性は低い。
イランがアメリカに敵対し、周りの国にちょっかいを出したがるのは、上記の三つのコンプレックスのせいだったのである。

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2011/01/06 19:42
アメリカは未だにフロンティア精神が抜けていませんからね~
中国を意識しながらも何かと中に入ろうとしたがるのも日本でいうところの幕末明治時代頃からの100年越しの野望ですし。
北朝鮮に対する扱いの変化に地下資源が関与していないなんてことがあるのかな。
そういった点において中国とアメリカは似たもの同士です。
ただ、かの国は歴史が短いので分裂した時代というのが南北戦争くらいでしょう。
中国のように本当に何回か分裂してみればしたたかさも出るのかも。
そのまま沈んでしまわなければね。

イランは100年前の中国のようなものでしょう。
国家の体をなしていないが古くから大国として周囲に影響を与えてきたというプライドと列強にあちこち租借されて租界の方が過ごしやすいという現実と。
中国は皮肉なことに日本という対立軸を見つけることで国家としてのまとまりを見せましたが、イラクはどうなるか。
アメリカは当時の日本足りえるのでしょうか。
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2011/01/06 05:45
「12イマーム」がどうのこうのって国でしたかね・・・
「日ユ同祖」なんてオカルトですよ!オカルト!
フフフ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=whWs2L0k0bE
http://www.youtube.com/watch?v=eVBnJixN70U
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2011/01/06 01:05
世界史ニガテな僕が理解できた・・・!←

さすがアメリカ、頭のキレが違いますねww

フセインが処刑されたニュースはうろ覚えだけど覚えてるなーw
地下に隠れてたトコロを発見された、的なニュースもww
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2011/01/05 23:49
すごいですね・・・・
訪問感謝です☆
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2011/01/05 23:09
なんで、王子は自殺しちゃったの??

もしかして、、暗殺??
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2011/01/05 21:51
よく、わかりました・・・。




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