慶応がセンター試験から撤退
- カテゴリ:学校
- 2011/01/16 17:56:54
慶応大学が今年を最後にセンター試験への参加をやめるそうだ。
我輩は良い事だと思う。優秀な学生を確保するために独自の入試をやりたい、という理由から、だからだ。
最近読んだ本に面白いエピソードがあった。
とある学習塾で、そこへ通うと学校での試験の成績が急激に上がる、という評判の塾がある。
百点満点を取った例も続出した。
仕掛けは簡単。塾の生徒の通う中学校なら中学校の、担当の先生の名前と試験問題を何年も前から生徒から聞いて、データベース化しておく。
すると非常に多くの学校の先生が、教科書会社からもらった「試験問題のひな型」を使って、試験問題を作っている事が判明。
同じひな型を塾が入手して、あの学校の~先生なら、このパターンをいつも使っている、という事が簡単に割り出せる。
それをあらかじめ塾の生徒に教え込んでおけば、点数が上がるのは当たり前。
中には毎年全く同じ試験問題を使いまわしていた学校の先生もいたそうである。
この場合、試験問題が全部、一言一句まで事前に塾に分かっているので、どんな馬鹿な生徒でも百点満点が取れてしまう。
その塾は奇跡だの、預言者だの言われていたそうだが、何の事はない。
学校の教師の怠慢を利用していただけなのだ。
センター試験をこれと一緒とは言わないが、教科書の範囲内から出題する以上、20年も30年も続いていれば、どうしてもパターンは出尽くしてしまう。
塾や予備校が本気で暴きにかかれば、似たような事が起きてしまうだろう。
最近「ゆとり教育」が日本の学力低下の原因、諸悪の根源のように言われているが、少し論点がずれていると思う。
ゆとり教育の理論が提唱された時に目指した物は、「自分の頭で物を考え、判断できる能力をもっとつけさせる」という事だったはずだ。
その方向性自体は別に悪いわけでも間違ってもいなかった。
ところが、いざゆとり教育を学校現場で実施したら、生徒が覚えなければならない内容を減らす事が自己目的化してしまった。
その結果、上記のような怠慢学校教師がはびこり、最低限詰め込まれていなければならない知識がない生徒が増えた。
つまり「知識もなければ自分で考える能力もない」生徒を量産する教育になってしまった。
得をしたのは塾などの民間教育産業だけ、という結果。
これがゆとり教育の最大の問題点なのだ。
政策転換はいいのだが、今度は逆に「いかに暗記する項目を増やすか」ばかりに力が入ってしまわないといいのだが。
教育政策というのは「詰め込みか、ゆとりか」の二元論ではなく、「何をどの程度詰め込むのが適当か?」という視点で論じるべきだ。
自分自身の頭で物を考え判断できない大人が増えた結果が、今の日本社会の様々な矛盾を生んでいるのではないだろうか?
慶応大学がセンター試験を見限った事が、いい方向へプレッシャーを与えてくれる事を願いたい。
対象となる世代の人口が減少傾向にあるのだから、どんどん差別化を図っていかないとね。
私は日本にこれだけの数の大学は必要ないと思います。
文系理系それぞれを極めるための卒業が難しい大学と卒業したら即戦力になりそうな各種専門学校に分ければよい。
日本の伝統工芸の名人などを教授として招聘して伝統を伝えていくための学校補助金なら有意義だと思いますし。
横並びにセンター利用、全入状態というのは変えたほうが今後のためでしょう。
教え方がもっと楽しく自主的に取り組める様に工夫が必要だと思います。
先生方も大変だろうけど、、
もっと興味がわくような生活の中で役に立つような問題作りが、必要ですよね。