この冬に食べたくなるもの
- カテゴリ:グルメ
- 2011/01/19 21:28:43
かまどと羽釜で炊いたご飯と、クジラ肉の焼き肉である。
小学生の時、いやと言う程食べさせられたものである。
こう書くと今の若い人は「一体どこの財閥のおぼっちゃまだ?」と思うかもしれないが、当時は貧乏の極みだったから、こういうメニューだったのだ。
前にも書いたが、我輩も親に育児放棄されて、小学校卒業まで父方の祖父母に育ててもらった。
祖父母は商売に失敗して極貧の生活で、当時たいていの家にあった電化製品などには無縁。
電器炊飯器なんて物はもちろんなく、毎日のご飯は時代劇に出てくるようなかまどに薪をくべて、でっかいお釜で炊いていた。
我輩も時々、青竹でかまどの中の火に息をフーフー、あれをやらされたものだ。
しかし今では、あのご飯の味が忘れられない。どんな最新型の炊飯器で炊いたご飯も、あのかまどで炊いた飯にはかなわないように思うのだが、これは昔の記憶を美化しているせいだろうか?
月末になってお金が苦しくなると、おかずの定番はクジラ肉であった。
当時は日本が商業捕鯨をやっていて、クジラ肉はたいていの魚屋さんに置いてあった。
当時我輩が育った町は海から遠かったので、魚は安くはなかった。
多分、同じ重量なら魚屋で一番安く買えたのがクジラ肉だったと思う。
サバより安かったように記憶している。
それも冷凍した肉の塊、レンガみたいなやつで、ほとんど脂肪の部分がない、赤っぽい肉の塊で置いてあった。
おそらくナガスクジラとかの巨大なクジラから取った肉だったのだろう。
小さなミンククジラとかからでは、あんなでかい赤身の塊は取れないと思う。
これを魚屋のおじさんが薄くスライスして竹の皮に包んでくれた。
夏はそのまま刺身で醤油をつけて、冬は我が家の唯一の暖房器具であった七輪で、網の上であぶって食べる。
食べ盛りだから、一回あたりクジラ肉を100グラムから200グラムは食べていたはずだ。
当時の同級生とかからはさんざん馬鹿にされてからかわれたものだ。
「やーい、貧乏人はまたクジラかよ」てな感じだ。
だが、かまどとお釜なんて今では相当なド田舎でも日常的に使ってはいないだろう。
むしろ高級和食料理屋ぐらいじゃないだろうか?そうやってご飯炊いているのは。
また、今東京でクジラの赤身肉の刺身なんて、一皿10グラムあるかないかだ。
以前銀座で「お釜で炊いたご飯」を看板で宣伝している店があったのを見かけた。
一度入ってみようかと思って、入口にあるメニューのぞいて、値段を見て目ん玉が飛び出そうになってやめた。
かまどで炊いたご飯にクジラ肉の刺身やステーキを、カミさんと二人で腹いっぱい食った日にゃ、万札一枚軽く吹っ飛ぶだろう。
かつての貧乏人の食事が今は超高級料理なわけで、時代の変化というのは面白いものである。
好きだったなぁ。
ご飯も電気で炊くより、直火で炊いたほうが美味しいんですよね。
うちはお風呂が凄かったようなw
お湯が出なくてシャワーもない。
広い空間に、木製の風呂がドーンって置いてあるだけだった。
食べてないかなぁ~・・・・。
あれはかなり美味しく、残飯が出ないくらいの人気メニューでした。
家では専らハリハリ鍋。
水菜は鯨のためにある野菜だと母親はよく言ってました。
鯨が取れなくなるというニュースを聞いたときには、水菜との縁も切れたと思っていましたが、今は様々な料理で大活躍しています。
かまどはうちの祖母宅にありましたが、多分年末の餅つきのときしか使っていなかったと思います。
美味しいけど手間がかかりますからね~
あ、世代がばれますにゃ。。
裕福な家では ございませんでしたが、ギリギリ クジラの味を知ってる世代だとおもいます^^
本当に、時代の流れって面白いですよね、今は、炊飯器もわざわざ、お釜で炊いたような味になるように
研究されて製造されていますもんね、それも、けっこう高いですよ^^;;
昔って 手間暇かかり 不便な時代でしたが、とてもお金に変えられない いいこともいっぱいありましたね^^