生活保護200万人突破
- カテゴリ:仕事
- 2011/11/08 09:14:58
生活保護というのは生きるための最後の砦と言われていますが、その受給者がリーマンショック以降増え続け、派遣村が話題になったころから、受給する人がわの心のハードルが低くなり増え続けているとか。
ニコタにいる人たちは、通信環境を持っているので、ヒトゴトなのでしょうけど、わたしも危ないところでした。
新聞の記事では現在56歳の男性が平成0年までは老舗百貨店で勤めており年収1000万円もあったが、父の介護のために退職し、父はすぐに亡くなったので、それまでの職場のツテでスポーツ用品店に管理職ではいったが、人員整理で退職したあとは、競輪の売り場のアルバイトなどを点々とし、生活保護を受けるほどになってしまったとありました。
現在の日本では1度 筋道を外れると、中高年だと再帰するのは不可能のようですね。
私が整体師の資格を取ったのは、妻が朝と夜の用意をするとき以外はいつも寝ていたというほど体調が悪く、整体に行ってかろうじて維持しているので、整体師の資格を取り、妻を治しつつ、定年後に備えようと思ったからでした。
ところが、定年を迎えるまえに、「君の職場、来期から無いからね」と言われ、腎臓が片側が機能していないとう問題点から再就職も難しいことから退職したあと、整体を本業にすることにしました。
それでも、最初は辛かったですよ。
技術も巧い巧いと持ち上げられてはいましたが、今とは桁違いにヘタクソだったのも事実ですし(笑)
要するに、お客様が来ないと、収入にならないのです。
そのため、月収が6万なんて月もあり、貯金を切り崩しながら生活してました。高校生の娘も辛かったんじゃないかと思います。娘くんは奨学金を受け、大学の学費もバイトで稼ぎ卒業することができました。(ついでながら、東京で就職し、独り立ちしました)
それでも、実績を積み、技術を向上させ、お客もついてきて、リーマンショックでお客様が激減したものの、なんとか盛り返し、ドバイショックを乗り越え、東日本大震災でまたまた激減したものの、なんとか、完全ではないものの回復して、食っていけるようになっています。
整体師をやっていて、東日本大震災で避難生活を余儀なくされた仲間も、ほかの仕事をしていたら、収入はゼロだけど、整体師をやっていたおかげで食っていけるよと言っていました。
わたしも、あの生活が苦しいときに、踏ん張らなかったら、今ごろ生活保護受給者になっていたことでしょう。シミジミ・・・
今日の新聞を読んでいて、わたしも記事の人と一つしか違いません。なので他人事とは思えませんでした。
結婚1年ちょっとという天国から、失業という地獄まで急転直下じゃありませんか。
そりゃぁ大変でしたでしょう。
そんな状況を乗り切れたというのも、夫婦の絆があってこそですね。
整体の資格は、もっと楽に行くと思ったのですが、
予定がちがってしまって意外と大変な結果になってしまいました。(笑)