暴力団対策法とフーテンの寅さん
- カテゴリ:その他
- 2012/03/10 22:03:34
東京の上野、浅草あたりは観光スポットである神社仏閣が多く、年中屋台が出ている。
近年、この屋台風景に深刻な変化が起きている。
地方でも神社の縁日などの時だけ屋台がずらりと並ぶ光景は残っているだろう。
ここから先は首都圏限定の話になるので、他の地方ではどうなのか、知っている人がいたら教えてもらえるとありがたい。
現在小さな神社や商店街の夏祭りなどのイベントで屋台を出しているのは、その地元の商店街組合や町内会というケースが増えている。
だから食べ物の屋台しかない。
金魚すくい、射的、水風船釣りなどの遊戯の屋台が一軒もない場合がある。
これは近年の暴力団排除運動の副産物である。
本来ああいう屋台は「テキヤ」と呼ばれる、その道のプロの団体が出していた。
ところが首都圏ではテキヤ団体が「暴力団の周辺関係者」とみなされて、警察が商店街やイベントの主催者に出店を認めないように指導しているのだ。
歴史的にはヤクザとテキヤは別物と認識されてきた。
確かにテキヤは親分子分の関係でつながった集団が「一家」を成し、ケンカ等のトラブルには物理的実力行使で介入するという特徴がある。
この点でヤクザ組織と似た点があった事は否めない。
日本映画の名作「男はつらいよ」シリーズの初期の作品では、寅さんが中腰の姿勢で右手を前に伸ばし「てまえ、生国は葛飾、柴又……姓はクルマ、名はトラジロウ。人呼んでフーテンの寅と……」というセリフを披露する場面がある。
あれは昔のテキヤ同士の挨拶の流儀で、ヤクザ社会と共通する文化をテキヤが持っていた事を表している。
寅さんも自分の仕事を「ヤクザな稼業」と言っているが、あくまで「ヤクザな」であってヤクザそのものではない。
むしろテキヤは「カタギではないが、ヤクザにまで落ちぶれちゃいねえ」という矜持を持っていた集団であった。
またヤクザの一家と似たような組織構造を持ち、万一の時は力ずくでの抗争も辞さないため、昔はむしろ祭りや縁日にヤクザが介入してくるのを防ぐ役割も持っていた。
テキヤには基本的には2種類ある。
一つは人口密集地を縄張りとし、比較的狭い範囲の神社仏閣の縁日や祭りに出店するタイプ。
東京の下町だと年中どこかで屋台の出店を必要とする催しがあるので、特定の地域に根を下ろして一家を構え、かつ収入も充分になる。
もう一つは広域巡回型。
本拠地はあるのだが、たとえば関東一円というような広い範囲で、縁日や大きなイベントの開かれる場所を次々に移動して商売をして行くタイプ。
このタイプのテキヤ集団は一カ所で二つ以上の団体が同時に出店する場合が多いため、いい場所の取り合いなどで争い事が起きやすい。
そういう時に地元の定着型テキヤ一家が場所割を決めるなどの調整役を果たしていた。
フーテンの寅さんはどちらでもない一匹狼のテキヤだが、現実にはそんなテキヤは滅多にいなかったそうである。
若い時に数年ならともかく、流れのテキヤがそれだけで生活していくのは戦後では不可能だったそうだ。
首都圏のテキヤが暴対法の取り締まり対象になったのは、関東最大のテキヤ集団であった極東会という一家が暴力団の傘下に入ってしまったからだ。
そのためプロのテキヤ集団全てが暴力団との関係を疑われ、地域のイベントなどからは排除されつつある。
商店街組合の出す屋台は食べ物はまだ何とかなるが、金魚すくいや射的のような遊技型屋台は無理である。
あれ簡単そうだが、特殊な装置が必要だし、素人においそれとは真似できない細かいノウハウがあるのだそうだ。
浅草、上野の屋台には遊技型があるので、プロのテキヤが全て排除されたわけではないようだが、ここ5年ぐらいで値段が5割増しぐらいに上がっている。
出店出来る場所や機会が限られて来たので、デフレの世の中にも関わらず値上げしないと採算が取れなくなったらしい。
以前は子供が金魚すくいに何回も挑戦して一匹もすくえないで、あきらめて去ろうとすると屋台のおじさんが小さな金魚の入ったビニール袋を「はい、がんばり賃ね」などと言って渡してくれる、なんて光景も見られた。
近年はそんな光景を見た記憶がない。
テキヤさんたちもそんな余裕はなくなっているのだろう。
テキヤとヤクザを厳密に区別するのは不可能だから、同じように取り締まらざるを得ないという警察側の事情は分かる。
しかしそうなるとフーテンの寅さんも「反社会的勢力の一員ないしは周辺関係者」という事になって、その生きざまを描いた「男はつらいよ」シリーズは「青少年に悪影響を及ぼす反道徳的な映像作品」という事になってしまいかねない。
もしそうなったら葛飾区にある「寅さん記念館」などはどうなるのだろう?
時代が変わったんだよ、と言われればそれまでなのだろうが、「カタギじゃないが、ヤクザにまで落ちぶれちゃいねえ」と公言出来る人たちの存在すら許されない社会というのは、本当に今より良い未来なのだろうか?
昔は胡散臭いのも含めていろいろあったものですが、今は遊戯系も少なくなってはいます。
うちの地域だけの話かもしれませんが。
近在の大きな祭りの店割を一手に仕切っていた人が亡くなって後継が前の人ほど仕切れなくなっているとか。
あれも簡単そうに見えて、よい場所を誰にふるかとか苦情のないようにするのは大変みたいです。
で、仕切り屋のいなくなったお祭りの仕切りは行政でやっているみたいなんですが、そういったノウハウがないので苦情が出ることもしばしば。
テキヤには場所が悪くても文句を言わないという人でも行政になら遠慮なく言えるという側面もあるのでしょうが。
金魚は最近は「金魚すくい大会」でよく使われるみたいですよ。
もしくは地域主催のお祭りとか。
そういった大会や祭りではお持ち帰りできることも結構あるらしいです。
でも、かわいいと思っていた金魚も上手に育てると体長20センチくらいまで育つらしいので、ひよこ並みに要注意です。
(そういえば、最近ひよこ売りも見かけませんね。)
コレって、今回のお話に関係あるのかどうか…は不明ですが、確かに食べ物関連の屋台が多かったような気がします。
『テキヤ』と『ヤクザ』を完全に見分けるのは難しいかも知れませんが、お祭から遊戯系屋台が減っていくのは、何だか寂しい気分がします。
未来は僕らの手の中に、、、
こんな記事を見つけました
http://from2062.com/