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選挙制度改正考察(5)中選挙区制限連記制

衆議院の選挙制度改正では、自民党や公明党からは「中選挙区の復活」という案が出ている。
戦後日本では、衆議院、参議院、地方議会とも制度としては中選挙区制で、1994年に現在の小選挙区・比例代表並立制の導入が決定され、1996年の衆院選から実際に施行された。

中選挙区と言っても物理的なサイズの事ではない。
小選挙区というのは「単一の選挙区から1人しか当選できない」制度の事であり、アメリカや少し前までのイギリスのように、政党が二つしかなく、選挙と言えば両者の一騎打ちである事を前提にした制度だ。

一つの選挙区から2人以上の当選者が出るのは全て理論的には「大選挙区制」という事になる。
かつて欧米にあった制度で、現在では一部の途上国にしか見られないようだ。日本でも戦前の一時期、これを採用していた。

ただし日本以外の大選挙区制では「連記制」が普通だった。
これは当選者の数と同じだけの候補者の名前を、投票の際書けるという事。
例えば、一つの選挙区から6人当選出来る場合、有権者は大勢の候補者の中から6人を選んで、投票用紙に6人の名前を書く。

日本の中選挙区では、3,5,7人の当選者が出る選挙区だが、有権者はただ一人の名前しか書けない。
これを連記制に対して「単記制」という。
この点で小選挙区制とも大選挙区制とも違っている。
そこで「中間的な制度」というような意味で「中選挙区」と呼んだ。

日本でも参議院や地方議会の選挙ではまだ中選挙区制を使っている。
参議院の場合、各都道府県がそのまま選挙区になるので、人口が多い都道府県は複数の当選者が出るが、有権者は一人にしか投票出来ない。
人口が少ない県だと割り当て議席が1しかない所も多く、事実上は小選挙区と同じになっているが、もし将来人口が増えて割り当て議席数が2以上に戻れば、複数当選かつ単記制になるので、制度としては中選挙区制である。

つまり中選挙区制というのは、一つの選挙区から複数の候補者が当選するが、有権者の投票は単記制で一人の候補者にしか票を入れられない、という制度である。
これは世界的にも珍しい制度で、日本以外で国政選挙にこの制度を使っているのはアフガニスタン、インドネシアなど両手の指で数えられる程度の途上国だけらしい。

さて衆議院の中選挙区を日本が廃止したのは、この制度が政治に悪い影響を及ぼしているという批判が高まったからである。

中選挙区制の時代はいわゆる55年体制、自民党が万年与党だった時代である。
この制度では、衆議院で過半数を握って政権を維持しようとすると、どうしても同じ選挙区に同じ自民党の候補者が二人以上出る事になる。

ところが自民党の支持者であっても一人にしか投票出来ない制度だから、自民党の候補者同士が同じ選挙区の中で相争う構図になる。
この結果、自民党の中でいわゆる「派閥」が形成された。

同じ政権与党の候補者が同じ選挙区で争うから、極端に言えば選挙資金が多いほど有利である。
そこで選挙資金の面倒を見てくれる大物自民党員が親分になり、若手の自民党員がその子分になって選挙の時に面倒を見てもらう。
こういう子分を多く抱えている自民党の大物が派閥のボスになり、自民党内部で派閥同士の抗争が日常茶飯事になった。

総理大臣になりたければ、まず自民党の中で大きな派閥のボスにならなければならない。あるいは有力なボスの一の子分になる必要がある。
しかし50人も100人もの子分の選挙資金などの面倒を見るためには、巨額の政治資金が必要。
その資金を稼ぐために、様々な企業と癒着が生じ、大物政治家の脱税、ワイロなどの不祥事が多発するようになった。

また1人の候補者がカバーする地域が広いため、てっとり早く票を確保するには金で釣るのが一番。
自民党は政権与党のメリットを活かして、公共事業の予算配分をちらつかせる事で各選挙区の有権者を惹きつけた。
都市部はまだしも、一次産業への依存度が高い地方だと、野党候補を当選させて公共工事を減らさりたりしたら地域の死活問題である。

この結果政権交代が起こりにくくなり、自民党の万年与党状態が続いた。
万年与党でいるとどうしても党員がその地位にあぐらをかくようになり、自民党内部の腐敗が進む。
かつ自民党内の派閥のボスの発言権が極めて大きいので、民意を無視した「密室談合政治」が常態化したと言われた。

1990年代になって自民党の中ですら、こういう弊害が指摘されるようになり、小選挙区制の導入が検討されたが党内の反対が多く挫折。
が、1993年に転機が訪れた。

自民党内の対立の果てに、あの小沢一郎氏とその同調者が当時の宮沢内閣に対する内閣不信任決議に賛成して解散、総選挙に持ち込み、小沢氏とその一党はそのまま自民党を離党。
選挙の結果、自民党は衆議院の過半数を失った。
ここで日本共産党以外の8もの中小政党が「アンチ自民党」で連立政権を組んで政権を自民党から奪い取った。
細川内閣の誕生である。

これで選挙制度改革が可能になり、翌年衆議院の制度を中選挙区制から現在の小選挙区・比例代表並立制に変更した。
この時の制度が現在まで続いているわけだ。

このアンチ自民党連合は2年足らずで瓦解し、また自民党が与党に返り咲いたが、一度改正された選挙制度をもとに戻すわけにはいかず、アンチ自民の各政党はその後離合集散を繰り返して現在の民主党に統一された。

しかし小選挙区にも欠点があり、2大政党が当選したいばかりに有権者にサービス合戦をやる傾向が日本でも出てきた。
また地元の人気が最優先、国家の抱える課題などに興味はない、という国会議員も増えてきた、と少なくとも自民党の再改正派は言っている。

そこで「低下した政治家の質を高める」という理由で自民党、公明党から選挙制度を中選挙区制に戻そうという声が出ているわけである。
しかし中選挙区制に戻すとまた、派閥政治、金権政治が復活するのではないか?

自民党の改正論者が、それを防ぐためと言って提案しているのが「制限連記制」。
かつての中選挙区では有権者は何人当選者が出ようと一人にしか投票できなかった。
一方、完全な連記制を取ると多党乱立の危険がある事は歴史的に分かっている。

そこで当選者3人の中選挙区に統一し、かつ有権者は2票行使できるようにしよう、というのが自民党の改正案である。
これなら有権者の選択肢は広がるし、同じ政党の候補者が2人同一選挙区で立候補してもライバル関係や共倒れになる危険が小さくなる。

また選挙区で2の政党、比例代表で1の政党、合計3つの政党を選ぶ事も可能になるから、適当に票がばらけて「穏健な多党制」が実現すると、自民党、公明党は言っている。
つまり大きな政党が二つ、中ぐらいの政党が1か2、あと小政党も存続可能。
大政党と中政党が連立政権を組んで、その組み合わせが選挙ごとに変わる事によって、政策の大幅変更も可能になり、政権交代も容易になる。

その結果、候補者は選挙区の人気取りに必死になる必要はなくなり、もう少し国家的課題に真剣に取り組むようになるだろう、というわけだ。

昔の選挙区と違って、複数の当選者が出るが単記制ではない。
かと言って有権者が持つのは3票ではなく2票なので「中選挙区・制限連記制」と呼ぶわけである。





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