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水戸黄門型人権活動の限界

最近どうも人権擁護を旗印にしている活動家やNPO,NGOなどと、その人たちを批判する個人のネット上での論争が目立つ。
その論争が建設的な議論に結び付けばいいのだが、ほとんどの場合、お互いに罵詈雑言の応酬に終始しているだけのようだ。

活動家やNPOに対してアンチである人たちの方に明らかに悪意があるケースは論外だが、一部の活動家やNPOの活動の仕方に問題がある場合も多少はある。
彼ら、彼女らの主張が間違っているという意味ではなく、やり方が時代錯誤なのだ。

特に社会的弱者や、自らの方にも後ろめたい点がある「被害者」の救済を訴える活動家やNPOの中には、言っている事自体は正しいが、やり方にある共通点がある結果、本来なら味方になってくれそうな層をわざわざ敵に回している例が目につく。

その共通したやり方とは、言わば「水戸黄門型」とでも呼ぶべきパターンである。

今の若い人は知らないかもしれないので、一応説明しておく。
ここで言う「水戸黄門」とは1960年代から2002年頃までほぼ毎年にようにテレビで放映された時代劇シリーズの事である。

モデルは江戸時代の徳川御三家の一つである水戸徳川家の徳川光圀。
当主を引退後、商家の隠居に扮して、助さん格さんという侍(これも町人に扮している)をお供に諸国を旅して、行く先々で庶民を虐げている悪代官などを懲らしめるという話だ。

隠居とは言え徳川御三家だから、正体が分かると大名といえども「ヘヘえ~」と平伏する存在である。
身分を隠して悪代官や結託した悪徳商人(いわゆる「越後屋、お主もワルよのう」というアレ)の悪事を暴き、相手が襲いかかってきたら助さんあるいは格さんが、徳川家の家紋である葵の御紋が描かれた印籠を突き付け、「このお方をどなたと心得る?畏れ多くも水戸光圀公にあらせられる。ええい、頭が高い、控えおろう!」と叫ぶ。

悪人どもはたちまちひれ伏し、たまたまそこにいた根は善良な大名などの殿様が、悪代官一味を厳罰に処し、めでたし、めでたし、で終わるというお定まりのパターンである。

先日、国連の特別報告者の女性が「日本の女子学生の13%が援助交際の経験者」と公式の場で発表して、日本中の顰蹙を買った。
彼女の来日調査に協力した人権活動家やNPOもこれで一気に世間の信用を失った。

児童売買春が撲滅されるべきという主張そのものに異論がある日本人は少ないだろう。
だが、日本側の協力者が轟々たる非難を浴びた原因は、結局撤回に追い込まれた国連報告者の発言もさることながら、当該NPOのやり方が「水戸黄門型」だったからだ。

この場合、黄門様にあたるのが国連特別報告者、国連の権威が葵の印籠。
その印籠を高々と掲げて自分たちの「正しい主張」を通そうとしたわけだろう。
ここまでは必ずしも間違ってはいない。

だが、「悪代官」が誰なのか?
この点を事前にきちんと考えていなかったから、シナリオが破綻してしまった。
当該NPOの代表者が口を極めて非難していたのは、警察、児童相談所などの行政機関であったようだ。

警察などが真面目に取り締まりをしていないから、児童買春の被害者がなくならないと主張していた。
もしその通りなら「悪代官」は末端の行政機関である。

ではその悪代官を叱責、処罰して「あるべき状態」に戻す、「根は善良なお殿様」は誰になるのか?
行政機関の頂点にいるのは政府、あの国連特別報告者の騒ぎがあった時点では、安倍政権という事になる。

その日本側の活動家やNPOが、安倍政権に対して良好な関係にあったのであれば、水戸黄門型シナリオも機能したかもしれない。
だがそれに先立つ安保法制などの政治イシューに関して、そのNPOの代表者は見るに堪えないヘイトスピーチをネット上でまき散らしていた。

安保法制に反対の論陣を張る事はなんら問題ではない。
児童買春被害者救済を目的にするNPOが政治的発言をする事も、別に問題ない。
自国の総理大臣を「安倍が」と呼捨てにしていた事が問題なのだ。
その内容も感情論一辺倒の罵詈雑言に満ちていた。
あれでは安倍政権が「根は善良な殿様」の役を演じてくれるはずはない。

水戸黄門のストーリーでも、黄門様は藩の内情には直接干渉しない。
幕藩体制下ではそれは大名などの地方領主の専権事項であり、徳川御三家と言えど直接介入は許されないからだ。

したがって、国連などを葵の印籠として使いたいのなら、誰を「善良な殿様」に仕立て上げるか、この点を事前に考えておかないといけない。
ところが、あの児童買春問題の件では、明らかに安倍政権を「悪代官」に見立てて行動してしまった。

それで国連特別報告者の発表内容が、ぐうの音も出ない程反論の余地がない物であったならまだ良かったが、たまりかねた官房長官が「13%」の根拠を詰問したら、あっさり発言を撤回してしまった。
つまり「おらたちは悪代官にこんなにひどい目に遭わされてますだ」という、被害者側の言い分に重大な疑義が生じてしまったわけだ。

この根拠が崩れてしまった結果、国連の「黄門様」を担ぎ出してきた日本側の活動家やNPOは、一挙に世間の信用を失い、「反日売国奴」の烙印を押される事になってしまった。

政府に政策の再考を迫る方法として、外圧を利用するというやり方自体は、うまくやれば機能する場合もある。
しかし、児童買春問題に関しては、この構図は成立しない。

日本には、たとえザル法であっても、売春防止法は存在するし、18歳未満の売買春は児童福祉法、都道府県の青少年健全育成条例などで、二重三重に禁止されていて、違反者にはちゃんと刑事罰もある。
仮に「警察や児童相談所が本来の機能を果たしていない」という主張が事実だとしても、国連職員が安倍政権に改善を要求する事は出来ない。

禁止する法律がないという状況うなら、是正勧告ぐらいは行えるかもしれない。
だが法律などはちゃんと存在し、運用面で問題があるというに過ぎない。
この状況で日本政府に圧力をかけると、たとえ国連でもそれは内政干渉になってしまうからだ。

現在の日本は曲がりなりにも議会制民主主義である以上、葵の御紋に平伏して、全てを一気に解決できる「お殿様」は存在しない。
安倍政権であろうと別の政党の政権であろうと、時の政権こそが、国民から主権の行使を委託された「代官」のトップなのだ。

だから政権にすり寄れとは言わないが、政府に改善なりを求める活動家やNPOなどの団体は、政府をいたずらに敵視してはならない。
ましてやSNSなどの「公共のネット空間」で、現政権に対するヘイトスピーチまがいの書き込みをするのはもっての外である。

社会正義の実現を看板にしている活動家や団体であるからこそ、権力者に対しては是々非々の態度で臨み、批判する場合でも、理路整然と抑制的な姿勢で批判しなければならない。

現代日本では、権力者をひれ伏させる事が出来る葵の印籠は、選挙結果だけである。
国連が駄目だったから、次は日弁連とか、国内外から引っ張り出すべき「黄門様」をとっかえひっかえしている限り、彼らの言う「正義」が日本国民の多数意見になれる日は、いつまで経っても来ないだろう。





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