Nicotto Town



乳児院見学記

先日とある事情で東京都内の「乳児院」という所を見学した。
都の福祉施設で、親の無い子や親が何らかの理由で自分で育てられない子供を引き取って養育している。

原則として3歳未満までが乳児院、3歳になると「児童養護施設」という施設に移される。
名前は変わっても中身は同じ。まあ、昔で言う孤児院である。
こういう施設が東京都だけで20ほどあるそうで、全国だとどれほどの数になるのか想像もつかない。

行く前は「小公女」とかに出てくるような薄暗い陰気な建物を想像していたのだが、実際に見てみると、一見幼稚園か保育所と見分けがつかない、それなりに明るい清潔な建物だった。

広い板張りの床に十人前後の0歳時から3歳までに子供が集団で思い思いにおもちゃで遊んでいた。児童福祉法の規定で、子供1.7人につき1人、世話をする職員を配置する事が義務づけられているそうだ。

我輩が行ったのは午後の時間だったので、20代から30代とおぼしき女性の職員が、0歳児は抱っこして、他のもう歩ける子は好きに部屋の中でうろちょろさせつつ目を配っていた。

子供たちも歳相応に、キャッキャ行って走り回ったり、ブロック遊びに夢中だったり、けっこう楽しそうに過ごしていた。よちよち歩きの可愛い盛りの子供ばかりだから、見ていて思わずこっちの頬もゆるんできた。

が、その子供たちの全員が孤児か、親に育児放棄された子供なのである。
その現実の重さ、暗さと、子供たちのあどけない笑顔のギャップを考えると何とも言えない気持ちになった。

熊本市の通称「赤ちゃんポスト」がまた話題になっているが、なんと東京から熊本のその病院まで産んだばかりの赤ちゃんを預けに行ったケースが複数あったという。
母親がどうやら未成年だったらしい。自分の身元は知らせたので、東京都の児童福祉施設の職員がわざわざ熊本まで、その赤ちゃんを引き取りに行ったそうだ。

そういう場合、その後の養育は母親の居住地である自治体の責任になるのだそうで、だからその赤ちゃんもいま東京のどこかの乳児院にいるはずである。

どこの自治体も可能な限り、そういう子供には里親を見つけるべく奮闘している。
一番いいのは物心つく前に心やさしい夫婦に養子にしてもらえる事だ。だが、不妊治療だの代理出産だのの技術が進んだせいなのか、なかなか養子に欲しいという人は見つからないそうだ。
また、養父母の方も人格的にちゃんとした人でないと困るので審査はかなり厳しいらしい。東京都の場合、正式に養子縁組して引き取られる子供は年間で20人前後に過ぎないという。

一時養育里親というのもある。これは比較的年齢が高い子供を、登録されたボランティア家庭が一時的に自分の家で養育してくれるケースだ。以前NHKの「瞳」という朝ドラにそういう家庭が出てきたので、「ああ、あれか?」と分かる人もいるのでは?

ただボランティア里親になるのも簡単なことではなく、数が絶対的に足りないらしい。
そこでかなりの数の子供が乳児院や児童養護施設で、集団養育という形で18歳になるまで生活することになる。

まあ衣食住は最低限保証されているし、公費で学校へも行ける。
だが、普通の家庭生活、あるいは「家族で暮らすとはどんな事なのか」をほとんど実際の経験として知らないまま18歳で社会に放り出される事になる。

こういう子供は成人しても、社会に適応出来ないとか、普通に周りと人間関係が築けないとか、結婚しても配偶者や子供とどう接していいのか分からない、などいろんな困難に直面するそうだ。

最近は何十人も一緒の集団養育ではなく、5~6人の子供と職員を独立した家屋で生活させて、出来るだけ一般家庭に近い環境、雰囲気で養育しようという試みが各地ではじまっている。

グループホーム方式などと言うのだが、これも始まったばかりで施設数が少なく、まだ我輩が訪れた集団養育方式の施設の方が主流らしい。
それにグループホーム方式も完全に一般家庭と同じではないし、世話する職員さんもあくまで雇用された労働者である以上、原則1日8時間、週5日しか子供たちの世話は出来ない。また、同じ職員1人が同じ子供をずっと面倒見るのが理想だが、これは現実問題として不可能である。

さらに驚いたのは、そういう施設の子供で親が死亡したとかの文字通りの孤児はむしろ少数派で、多くは親の虐待が原因で行政が親元から引き離した子供だという。あるいは親が「とうてい育てられない」と言って自分で預けに来るケースも多いという。

確かに他人には計り知れない複雑な事情がいろいろあるのだろうが、一方で少子化だ、わあ大変だ、と騒いでいる国で、これほどの数の子供が「実の親にちゃんと育ててもらう」という最低限の権利すら享受出来ない。これが今の日本の現実なのだ。

「乗るなら飲むな」という標語とともに、「育てられないなら産むな」という標語も欲しい。
未成年の場合「産みたくないなら乗るな、乗せるな」でもあろうか。

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2009/12/12 01:02
もしかすると、こういった児童養護の問題と妊娠中絶の話は近いのかもしれませんね。
事情はあるでしょうが、どちらも生命に対して無責任な気がする。
誰もが産める訳ではない命をなぜ大切にできないのか考えると悲しい気がします。

今の時代、子どもにお金がかかると言われていますが、社会が学歴重視以外の価値観を持つことで負担は減るのではないでしょうか。専門知識が必要であれば進学も必要だけど、机で学ぶより見てやってみて学ぶ世界というものの価値もあると思う。けど、一般には、他人が中卒から職人の世界に入って道を究めたと聞くとすごいと思っても、自分の子が中卒でそこに弟子入りしようとしたら「とりあえず進学してみてもう少し考えてみたら」と言ってしまったりするしね。

養親になる条件を緩和すればもう少し多くの子どもが家庭を知ることができる訳ですが、なるべくまともなご家庭にお願いしたいという行政の考えもわかるので、この問題は本当に難しいですね。
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2009/12/09 19:23
困難に直面することが多くても 何とかそこを乗り越えて せっかく生まれてきた自身の人生を

どうかどうか 大切に生きて 幸せを感じて欲しいと 願わずにはいられないです・・・ 悲しい

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2009/12/07 16:39
初コメ です 
「育てられないなら産むな」という標語も欲しい。
未成年の場合「産みたくないなら乗るな、乗せるな」でもあろうか。
その 意見賛同です。

1歳健診の時には、 すでに 名前が変わっている・・・もう離婚
バースコントロールしないから  すぐ できる  年子ごろごろ
自分が楽しみたい親が多すぎると思います <m(__)m> 
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2009/12/07 14:59
そうなのよね・・・
母親学級って、母親になってからなのよね・・・
性教育と同様、子供を育てるということ、を学ばねば。
昔は、子供がたくさんとか、近所のチビさんと遊ぶとか
ちびっ子にふれる機会がいろいろあったのに、
今はないからねぇ・・・
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2009/12/07 12:40
深い問題でね・・・
私は子供を産んでいないのですが、
きちんと育てる自信がなかったというのも、大きな理由です。
少子化の問題もありますが、
産めばいいというものではないですよね。
でも、考えすぎると誰も子供を産めなくなるし・・・
もっと社会として考えていかなくてはならないですね。
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2009/12/07 11:14
この問題ゎけっこう深刻ですよね・・
eliyも、育てられないなら産まなきゃぃぃのに!
って思ってました(>_<)
だって、テレビとか見てても
育てられないからって捨てたり・・
悲しいですよ。。
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2009/12/07 11:06
いつ誰が言ったのか知りませんが、
「親は無くとも子は育つ」なんて言葉がありますね。
とんでもない!
食事をちゃんととっていれば、からだは勝手に大きくなりますが、
心は勝手には育ちません。

子どもの育て方はどこも教えてくれないので、自分の親から学ぶしかないのですが
それを自分の子どもに伝えられない親がたくさんいます。
例えば、ファミレスなどで走り回っている子どもを注意しない親、
お店の商品を子どもが壊しても謝らない親など。
両親がそろっていても、こういう親では
その子が社会に適応できなかったり、人間関係を上手に築けなくなるのは
養護施設に入っている子どもたちと同じです。

子どもを育てることは時間がかかるし、
ものすごくエネルギーを使うことなんですが、最近の少子化問題の扱い方では、 
「収入が少ないので子どもを育てられない。
 収入があれば子どもを育てられる」というような
簡単な考え方がされているような気がします。
出産した人にお金を助成すればちゃんと育てられる、というものではありません。
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2009/12/07 08:02
nagataさんと同じようなことを考えながら読んでいました。
人間は先を生きる年長者をモデルにして学習していくから、
環境によっては、適切な生き方を学べなくなる場合がある。
だからこそ、なんとか少しでも近い形での養育を、と考えるわけですが。

性と出産に関してもしかりで、
適切なモデルを大人が子どもに示せないでいるのが、今の日本の現状だろう、と。
なんでも短く印象的なことばで内容を表すのが今風なので、
「産みたくないなら・・・」の標語は非常によいかもですね。(笑)
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2009/12/07 01:26
生物として ある程度のレベルを境にして 本能として子育てを行える種類と 学習によって 子育てを身に着けないとできない種類にわけられるんです。
動物園の実例をみれば その境界線がどのへんにあるかわかります。
群れで生活する高等動物は 学習が必要なんですが、人間は 大家族 近所づきあい などがなくなって 学習していないんですね。
学習の対象が親しかいないのです。親と同じ方法だから 親がまちがってれば 子もまちがった方法で子育てする、負の連鎖になることがある。
施設で育つと  なーーんにも 学んでないということになるのか・・うーーん
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2009/12/06 22:58
DVで困って実家にいるよりも、施設の方が安心して暮らせるのだとすると
なんともやりきれない感じがします。
傷つきながら実の親と暮らすよりもいいのかもしれませんね。
人間不信になるのも当然だし、
将来の人間関係の構築がうまくいきにくいというのもわかるような気がします。

祖母の女学校時代の作文を読んだことがあります。
「女学校を出たらすぐに結婚して、お国のために子供を産む」
大変驚きました。
そんな時代があったのかと。
女性への教育が全く変わって、男女平等に働くという教育になったので、
こういう母性をはぐくむという考え方が失われたのが原因でしょうか?

悲しい話です。




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2009/12/06 21:55
悲しい現実ですね。
こういう部分はなかなか表には出てこない話ですもんね。
最低限の権利・・・
それは守ってあげたいですね。
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2009/12/06 20:23
もっともっと性教育はやるべきだと思う
日本は隠したがる
教育が中途半端
どういうものかどうすればいいんかきちんと教育の現場
家庭でするべきことだと思う。
この前ニュースで乳児をビニール袋に入れスポーツバック隠し
放置しているのを発見されている
恐ろしい世の中です
愛情をもらわなければやはり愛情は生まれない。
もっと真剣に命を考えてほしい




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