Nicotto Town



十代のためのカンボジア現代史(3)

十代のためのカンボジア現代史(2)の続きである。

さて、カンボジアがいつまでも4つの政治勢力が三つ巴どころか四つ巴の内戦を続ける事になると他の国も困る。
特にこれから経済発展をして豊かになろうとしている周りの東南アジア諸国にとっては迷惑もいいところ。

そこで国際連合に介入してもらい、なんとかカンボジア国内の4つの勢力を仲直りさせようという動きが始まった。
国連が、カンボジア人自身で統一政府を作れるまでの間、一時的にこの国を統治するUNTACという組織をカンボジアに置き、その代表には日本人である明石康という人が就任、ヘン・サムリン政権とゲリラ3派をなんとか仲直りさせようと奮闘した。

また1990年には日本政府が音頭を取ってカンボジア和平会議というのを東京で開催、なんとかカンボジア統一政府への道筋をつけた。
そしてパリで1991年に開かれた会議でカンボジアの4勢力が最終的に平和的なカンボジア統一の合意、1993年に国連監視下で総選挙が行われ、シアヌークをシンボルとしての国王にし、実際の政治は選挙で選ばれた政府が行うという現在のカンボジア王国が成立した。

ちなみにこの総選挙までの間、国連のPKO(平和維持活動)というのがカンボジアで行われた。国連加盟各国が軍隊をカンボジアの各地に駐留させ、国内4派が約束を破って戦闘を行わないよう監視するという任務だ。

というと難しく聞こえるが、要するに「約束破ってドンパチやったりしたら世界各国から来てる怖い軍隊の兵隊さんたちが黙ってませんよ。そこんとこよろしく!」とにらみを効かせるという事だ。

そして日本も陸上自衛隊の部隊をこの国連のPKOのためにカンボジアに派遣している。
これが自衛隊の歴史上最初の国連PKOへの参加である。

もちろん統一政府が出来た後もカンボジアでは不安定な情勢がしばらくは続いたが、今ではどうにかこうにか血みどろの戦闘が起きないという程度には平和が回復した。
ただその総選挙をポル・ポト派はボイコットし、クメール・ルージュ時代の大虐殺に関わった連中が今裁判にかけられているわけだ。

7月26日に禁固35年の刑を言い渡されたカン・ケ・イウという人物はその一人だったわけである。

アバター
2010/08/01 01:39
ベトナム戦争のことは昔は漫画(バナナフイッシュとかサイファとか)の中にも出てくるくらい断片的ではあっても一般的に認識されていたと思うけど、カンボジアは「やたらシアヌーク殿下とやらがニュースに出てくるなぁ」くらいの認識でした。
ようやく当時を振り返る過程に入ったということなのでしょうね。
アバター
2010/07/27 19:38
10代じゃないけど良くわかりました。
カンボジアの内戦もややこしいですし、シアヌーク国王は突然帰ってきた人って感じだったんですよね。

甘いと思うけどカンボジアの内戦の怖さは映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」であっさりゲリラ兵士が仲間に粛清されるシーンとか、主人公を囲んでいた人々のことが最後に「行方不明」「処刑」「生存」。。とか解説されていた点です。




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