自宅で死ねる幸福
- カテゴリ:人生
- 2010/08/28 21:02:43
先日カミさんのお母さんが他界した。今日ようやく葬儀全般が済んで自宅に帰って来た所である。
その間、ニコッとタウンには出没出来ず、訪問して下さった方々には失礼した。
二か月前に倒れてそのまま寝たきりになり、入院はせず在宅看護という形で義父が付きっきりで介抱してきたのだが、徐々に体が衰弱し意識も少しずつ薄れていき、最後は点滴と呼吸補助の機械でかろうじて命をつないでいるという状態だったそうだ。
そして数日前の夜、義父に看取られながら、ろうそくの炎が燃え尽きてスーッと消えていくがごとき最期だったそうである。
カミさん、その間しょっちゅう義父を手伝いに実家へ行っていたのだが、時間が深夜だったため臨終には立ち会えなかった。
それでもなんとも安らかな死に顔であった。多分思い残す事はなかったのだろう。
今回、考えさせられたのは死に方にもいろいろある、という事である。
我輩が真っ先に考えたのは東京都内の大きな病院に入院させて最先端医療を試す、という事であった。
商売柄、医者ではないが多少先進医療には詳しいので、カミさんには内緒でそういう設備のある病院をリストアップしたりしていた。
実は倒れてからかなり早い段階で医者から義父と我輩のカミさんに「時間の問題だから覚悟をしておくように」みたいな事を言われていたらしい。
それでも駄目で元々で大病院へ・・・というのが我輩の考え方なのだが、義父がそれを望まなかったらしい。
我輩の方の親戚で、延命治療を何カ月も行ったあげく苦しみ抜いて死んだ人もいる。
だいぶ昔の話で、生命維持装置も今ほどスマートな物ではなく、体中にチューブを差し込まれ身動きも出来ない状態で、見ているこっちが目を背けたくなった。
病名が全然違うので単純に比較は出来ないが、どっちが人間として「幸せな死に方」だろうか、という事を考えさせられた。
カミさんのお母さんの場合、文字通り延命、つまり単に死期を遅らせるだけの効果しかなかった可能性が高いから、義父の決断の方が正解だったのかもしれない。
一番良かったのは住み慣れた自宅で最期を迎えられた事である。
首都圏のような大都会では、自宅で死ぬというのは思いのほか難しい。
特に何カ月も寝たきりや昏睡状態が続いたあげくの死の場合、在宅で看護はやりたくても出来ないのが一般の家庭だろう。
カミさんの実家のある自治体は医療、介護サービスが充実していて、電動ベッドなどが安くレンタル出来、医者が自宅に定期的に往診してくれ、しかも義父は既に年金生活だったので在宅看護が可能だったが、そういう好条件がたまたま揃わないと、なかなか自宅で死ぬのは難しいのが都会の現実である。
「寿命が来たんなら、後はいかに安らかに逝かせてやるかだ。」
義父の言葉であった。
どちらが人間として幸せな死に方だろうか?そんな事を考えさせられたこの数日間であった。
まず、御冥福をお祈り申し上げます。
恐らく、文面から拝察しますと、医療に近いお仕事をなさっている方なんですね!
ある程度の収入と自宅が持家でないと、自宅で、臨終を迎えることは難しいと
自分も存じております。 すぐに福祉がなんでもやってくれるほど甘くもありません。
「どんな介護状態であった方でも、可能な限り人間らしく、臨終を迎えられれば、
それは、不幸ではなく、立派な旅立ちであると、自分は、考えております。
今では確かに自宅で臨終を迎えるのは非常に難しいですね。
臨終どころか、介護の段階で自宅介護が困難ですから。
命が尽きようとしている時の事、千差万別、様々な考え方が人の数ほど存在するのでしょうね。
私は、痛々しい入院の様は見ていられません。お見舞いの足が遠のいてしまいそうです。。
苦しまないのが一番な気がしますが。。
私は、誰に看取られることもなく、白骨化しそうだわ。
私も同じく、最先端の医療について調べてしまう方です。
しかし、ご指摘の通り、延命の弊害があることも事実です。
在宅看護ができるなら、そのほうが現実を受け入れやすいのかもしれません。
ご冥福お祈りいたします。
父が入院中で、なるべく見舞いには行くようにしています。
隣の市なのですが、来週は仕事の都合上行けそうもないので、
今週は、4日連続行っています。
明日も行くつもりです。
父の場合、もう自宅に帰ることはできないかもしれません。
寿命だと自分を納得させるのはとても難しいです。
1日でも長く生きていて欲しい・・。
生きていてくれるだけでいい・・どんな形でも・・。
今はそれしか考えられなくて・・。
奥様の心中お察しします。
お義父様は、お元気で長生きなさいますように。
それを思えばずいぶんと幸せな死に方なのかもしれません。
でも、自宅で、あるいは誰かがいる場所で死ねる、というのが当たり前であってほしいとも思います。
自分はまだまだ子供で、そういったことはよく分からないですけど・・・。
死んで何日も放置されてから気づかれる『孤独死』や、ましてや死んで30年経って白骨化して、なんて
あまりにも死んだ人が可哀想ですから・・・。
確かに、私もそう思います。立派なお義父さんですね。。
お義母さんも、住み慣れたお家で、夫に見守られて、、幸せだったと思います。
出産もしかりで、、、あります。。
一昔前までは、当たり前に、お家の中に遇った生と死。その中で、学べる事は、たくさん遇ったはずです。
命の、儚さ、尊さ、大切さ、そんな当たり前の事が、体験できないのは、ある意味不幸かもしれませんね。
ちなみに、私は、勉強会などにも参加して、自宅出産することが、できました。
人生の中で、そう何回も無い事なので、いろんな方、特に、
パートナーの協力もあって、貴重な体験をさせてもらいました。近頃では、自宅とは、いかなくても、
自然分娩を、選ぶ方も増えて来てるらしいです。
なにもかも医者におまかせ、、そういう医療では、立ち行かなく成ると思います。
財政も、病院も、保健体育、技術家庭、そういう中で、、生きる知恵を、病気にならない、
栄養学(西洋式だけではなくて、、)怪我をしない為の、運動療法、古武術など、伝えていく事が、
これから大事だと、思いますが、、どうなんでしょうね??
長々、、すみません。医に知を、、命を大切に、尊厳をもって接することができる人で、ありたいです。
昔と違って大家族で三世代・四世代が一緒に過ごしているなんていう例は少ないから安定して介護する環境にないし。
うちの母方の祖母は糖尿で少し寝込んだ後、叔母(つまり母の妹)の付き添いで通院している時に容態急変してあっさりなくなりました。
ちょっと前までそんな感じでなかったので、当時はびっくりしましたが、今になってみればあれも幸せな亡くなり方だったかもしれませんね。
jokerさんの義母さんも義父さんに看取られての最期、おそらく幸せだったことと思います。
集中治療室や病棟で勤務してて思ったのは…自分は延命治療を受けたくないという事。
出来ればPPKが良いですねぇ。
胸にDNRのタトゥーを入れるべきか、真剣に考えてますww