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センター試験は必要か?

大学入試センター試験の願書提出が今日締め切られたそうだ。
過去最多の829校(短大を含む)が参加するそうだが、この制度果たして意味があるのだろうか?

そもそもこの制度の前身である「共通一次」と呼ばれた制度が始まった1970年代末期、導入の目的は「大学間格差」をなくす事だった。
しかしその目的は達成されず、それどころか就職活動における出身大学による差別はエスカレートしているばかりだ。

戦前、国立大学は「帝国大学」と言われ全国にわずか七つしかなかった。
現在の東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学である。(ソウルと台北にもあったが、これは戦後消滅した。)
今でも「旧帝大」として別格中の別格の名門大学である。

戦後、各都道府県に最低でも一つは国立大学を、という政策が進められ現在の都道府県名を冠した国立大学が新設された。
当時の口の悪い評論家はこれらを「駅弁大学」と呼んだ。駅弁を売っている程度の駅の近くには必ず大学がある、戦前に比べて大卒の値打も下がったもんだ、という皮肉であった。

ところがこの「駅弁国立大学」の中でも一流、二流という見方がされるようになった。
戦前の旧制高校などそれなりに格式のある機関から大学に昇格したところは「一期校」、それ以外の格下の機関から昇格した大学や、完全に戦後になって新設されたところが「二期校」と呼ばれた。

これは当時の国立大学の入試日程が二つに分かれていて、一期の早い日程で受験して落ちた学生は二期の日程の大学にもう一回チャレンジできた。
つまりその年の国立大学入試のチャンスが二回あったわけだ。

ところが、自然と優秀な学生は一期校、一段落ちる学生が二期校という偏見が世間に根付いてしまい、就職などで後者が不利になる事が多かった。
この格差を是正するべく導入されたのが共通一次試験であり、これ以後国立大学の入試は一年に一回、つまり一校しか受験できなくなった。
それが約十年後「センター試験」と改称されたという経緯がある。

ところが共通一次の段階から、かえって大学間格差がより細分化されるという弊害が起きてきた。
試験最終日の翌日、各高校、予備校、塾などで自己採点を行い、大体何点取れたかが分かってしまう。

その結果、A大学に入るには何点、B大学なら何点、という風に数字による序列化がかえって進んでしまい、導入の目的とは逆の結果を引き起こした面があった。
さらに一部の有名私立大学や短大までがセンター試験に参加できるようになった結果、私学の序列化まで起きてしまった。

そこで同じ大学の入試を「前期日程、後期日程」という名で二回行うようになったが、これは小手先の改善でしかあるまい。
また現在は定員割れの大学が続出する、いわゆる「大学全入時代」である。

今度は入試を突破したはずの大学生の深刻な「学力不足」が問題になっているという有様だ。
さらに入試問題の作成を大手予備校に丸投げする大学まで現れ、学生だけでなく大学の教育力低下まで引き起こしている。

そもそもどこの国でも名門大学と二流三流大学の区別は存在する。
戦後の過度な平等主義で格差をなくそうとして、かえって教育制度全体を歪めてしまったような気がする。

もともと共通一次試験はフランスの「バカロレア」という制度をモデルにした物だった。
バカロレアはいわば「大学入学資格試験」で、大学に入れるだけの学力が高校終了時にちゃんと身についているかを全国共通試験でチェックする制度だ。

バカロレアに合格しないと大学の受験資格そのものが得られない。その代わり「落とすための奇問、難問」は必要ない。基礎学力がちゃんと身についていればパスできる試験だ。
バカロレアを通った学生が改めて各大学の入試を受ける。これがフランスの制度である。

しかし日本のセンター試験は、その時点で「大学に入るにふさわしい学力」をチェックしない。センター試験で「落ちる」ことはない。
だから高校、中学レベルの問題が解けない大学生が出現してしまうわけだ。

上っ面のやり方だけ真似て、バカロレアとは全く違う制度になってしまっている。
しかも大学間格差は解消するどころか、ますます細分化して固定化されている。
これが大学生の就職活動を不必要に複雑化させている。

センター試験を完全にバカロレア方式にするか、各大学の個別の入試に戻すべきだろう。
昭和恐慌の時「大学は出たけれど」というのが流行語になった。しかし当時の大卒の学力は今の大学生の平均とは比較にならないほど高かった。

平成の「大学は出たけれど」は就職先がないだけでなく「大卒にふさわしい学力がない」という話でもある。
企業側が出身大学の「ランク」にこだわる傾向も、無理のない面もあるのである。

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2010/10/16 04:45
センター試験の問題は新聞にも掲載されますが、行平さんがおっしゃるように、特にひねくれた問題という訳ではなく、かといって安易でもなく、結構いいラインだとは思います。

が、おっしゃるようにこの試験が大学の序列化に貢献することはあっても大学生の学力保障につながっていないのは確かです。
受験生の能力確保より大学運営の安定の方に軸足置きすぎているのでしょう。

関係者は猛反発するでしょうが、大学はもっと数が少なくてよい。
センター試験も最低学力のない人は受験資格を与えないようにすればよい。
無駄に数が多いから、学力のない人も「大卒」になるし、研究・教育能力のない教授が大量生産される。
大学が狭き門になれば、(学問が苦手という人には)他の生き方というのも進路指導に入ってくるのではないのかな。
本来同年代がそろってホワイトカラーを目指すというのはいびつな状態だと思うし、いろいろな生き方があっていいと思う。
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2010/10/15 00:42
私は特に教育関係の仕事をやっているわけではないので
専門家の方からは異論を受けるかもしれませんが、
センター試験の問題はそこそこ難問・奇問が少ない、良質の問題が多いと思います。
そういう意味では、問題作成者のリファレンスとなるような問題と言ってもいいでしょう。

ただしその良問をきちんと運営できているかというと、異論はあろうかと思います。
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2010/10/14 21:50
ああーそういうからくり。。。だったのか///




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