Nicotto Town



サブカルと芸術の境界

この前までフジテレビ系「ノイタミナ」でGenji というアニメをやっていた。いろいろ賛否両論あったらしい。
だが、源氏物語の楽しみ方としてはあれが本来の姿ではないかと思う。

そもそも源氏物語は、後世に残る偉大な文学作品たるべく作られた物ではない。
平安貴族の娯楽として書かれた物で、だからひらがなで書いてある。権威ある文学書として作るのなら漢文で書くのが当時の常識だ。
源氏物語はだから平安時代のサブカルチャー、ポップカルチャーだったのだ。今のマンガやアニメみたいな物だったのだ。

同じ事は歌舞伎にも言える。
現代で「毎週欠かさず歌舞伎を見に行っています」と言ったらソンケーのまなざしで見られるだろう。
だが、歌舞伎が芸能として確立した江戸時代に大の大人が同じセリフを言ったら「しょうもない人だな」と軽蔑のまなざしを受けただろう。

浮世絵も然り。あれは江戸時代のイケメン、美少女のブロマイドやポスター。現代で言えばポップイラストだろう。
明治時代になっても芸術作品だなどとは思われていなかった。外国人が珍しがって買っていたのでどんどん売り払ってしまった。
だから現代なら国宝や重要文化財に指定されそうな本当に価値のある浮世絵の大半は外国の美術館にある。

現代では文句なく尊敬の対象になるこういった芸術形態は、それが生まれて発展していく過程においてはその時代のポップカルチャーであり、権威ある人たちからは低級低俗な文化、女子供の遊びとしか見られていなかった。
当然いい歳こいてそんな物に夢中になっている人たちは、しょうのない人間、悪くすれば奇人変人扱いされた。
これは現代で言えば、オタク、腐女子だろう。

だから、サブカルか芸術か、オタクか教養人かの違いは、一つには対象の歴史の長さの違いだけだとも言える。

もちろん歴史が長ければ何でも芸術になれるわけではない。
源氏物語が描かれた当時は印刷機など無かった。
あれを全巻一言一句、毛筆と墨で紙に書き写した人たちがたくさんいたわけで、そういう平安時代のオタク、腐女子がいたからこそ千年後まで正確に内容が残った。
歌舞伎や浮世絵にしても、当時は庶民の低級な娯楽だったのだから、権力者からは弾圧こそされ保護などされなかった。
その「低俗」な物にお金を使って夢中になってくれた無数の無名の庶民がいたからこそ、役者や絵師が食べていくことが出来た。
もし「権威ある大人」の言う事を鵜呑みにして誰もお金を払って芝居小屋へ行かなくなっていたら、歌舞伎はその時点で滅んでいたはずだ。

そのお客の欲求に応えるべく、たとえば歌舞伎役者の一門は次々に新しい演目を考え、演技のテクニックを磨き、演出の技法を開発した。
その血のにじむような何代にも渡る努力があってこそ、21世紀の日本人は歌舞伎という世界に誇れる芸術を持つ事が出来た。

それと同じ事がマンガやアニメやゲームソフトに起きないと断言出来る人間がこの世にいるだろうか?
実際既に亡くなった大御所の漫画家、手塚治虫さんとか、の原画はもう現在でも美術品並みの扱いを受け始めている。
今我々が楽しんでいるマンガやアニメの作品が数百年後にはどこかの美術館や博物館で「21世紀前半の芸術作品」として展示されているかもしれない。

歌舞伎や浮世絵にお金出す事で芸術を存続させた無数の無名の大衆、それは今現在お小遣いでマンガ雑誌を買ったりアニメにチャンネルを合わせている人たちなのだ。
だから、ある意味オタクも腐女子も、数世紀後の人達から見ての「歴史」を作っている事になるのだ。

オタクと腐女子諸君、君たちは今歴史を作っているのだ。もっと胸を張ろう。

アバター
2012/04/22 18:21
本当に、不思議ですね。
文化や価値観は、国や民族だけでなく、時間にも左右されていくのですね。
光源氏時代の美男美女も現代の私たちからしたら、相当........らしいですし。

訪問かきこみありがとうございました。
少しずつブログ拝見させていただきます(^-^)。
アバター
2009/04/16 17:59
とても納得のいく文章ですね。
なるほど、そう考えてみると、今現在娯楽の一部でしかないものも、
未来を考えれば価値あるものと見られていく感じですね。
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2009/04/15 19:23
ぶろぐにコメありがとんでーす☆

ジョーカーさんもないかぁー。。当たったコトw
うちもかなりびっくりだぁぁぁぁww




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