昭和の終焉また一つ
- カテゴリ:小説/詩
- 2011/05/06 22:12:34
作家の団鬼六氏が死去したそうである。享年79歳。
また一つ昭和の遺産がこの世から去ったという気がする。
団鬼六と言っても若い人は知らないかもしれないが、日本で「SM」という概念を確立した小説家である。
しかし、意外な事にこの人、デビュー作は相場師の世界を描いた今で言う「経済小説」であった。
少年期から青年期を戦後すぐの関西で送り、自身も先物取引や株式投資にのめり込んだ時期があった。
その経験を生かして経済小説でプロになったが、その収入だけでは食べて行けず、やむなくエロ小説に手を出したところ、あにはからんや、こっちが大ヒットしてしまい、しかもそれが今で言うSMだったため、その世界の重鎮になってしまった。
このSM小説家としてのデビュー作が有名な「花と蛇」である。
何年か前、映画のリメーク版が作られたから題名ぐらいは知っている人も多いだろう。
花と蛇は終戦直後、まだ高度経済成長前の日本が舞台で、金持ちの後妻になった美人の若妻が、それを快く思わない義理の娘に罠にかけれら、やくざの一家に山奥の豪邸に拉致される。
ところが相手はやくざだから、この義理の娘の方も餌食にされてしまい、二人そろって大勢の男女からよってたかって・・・というストーリーである。
(念のため言っておくが、我輩はその作品を読んだ事はない)
ここで縄で亀甲縛りとか、ロウソクとか、三角木馬とか、現代のSMの原型のほとんどが確立されたと言っていい。
こういう性愛趣味は昔から世界中にあり、小説のジャンルとして確立したのはヨーロッパの方が先である。
ちょうどフランス革命の前後に作家として活動した「マルキ・ド・サド」という貴族の私生児がいた。
俗に「サド侯爵」として知られているが、この人が執筆した一連のエロ小説が現在のSM小説の開祖と言える。
「サド」「サディズム」という言葉はこの人の名に由来する。
(繰り返すが、我輩はその作品を読んだ事はない)
サド侯爵より少し前の時代、オーストリアにザッヘル・マゾッホという作家がいて、この人は被虐趣味の方のエロい小説で有名だった。
「マゾ」という言葉はこの人の名前に由来する。
(くどいようだが、我輩はその作品を読んだ事はない)
後に心理学者が、異常な加虐趣味、被虐趣味をそれぞれ「サディスム」「マゾヒズム」と名付け、それが日本では頭文字を取って「SM」と呼称されるようになった。
ただし意外に思うだろうが、性愛行為としてのそれを「SM」と呼ぶのは和製英語である。
欧米、少なくとも英語圏では「BD」あるいは「B&D」と言うのが一般的である。
Bondage & Descipline の略で「拘束と服従」という意味になるだろうか。
団鬼六氏が関西の出身である事は興味深い。
SMというのは貴族や超富裕階級などの特権階級にだけ可能な趣味であったからだ。
中国の歴史書「史記」の異本にも、そういう趣味を楽しんでいる地方豪族が描かれている。
「花と蛇」の場合はやくざだが、戦後の混乱期に山奥に豪邸を所有する程の経済力を持っていたという事は、その時代の特権階級であったわけだ。
関西は日本の貴族文化の中心であるから、SMはともかく、貴族的文化の色濃く残る土地で人格が形成されたという面はあっただろう。
それがSM小説でありながら、単にエロいだけの作品にならず、現在まで受け継がれている原因ではないだろうか?
が、団鬼六氏は欧米風のSMと同一視される事を非常に嫌っていたと言う。
というのも欧米のSMが女性を暴力的に扱う事を好むのに対し、日本の、少なくとも団鬼六氏の開拓したSMは、精神的な責めを重視する。
つまり女性に「羞恥心」という物が強固に存在する事を前提にして初めて成り立つわけだ。
現在では若者が「あいつはドS」だとか「ドM」なんて言葉を日常会話で普通に使う。
昔に比べれば男女ともに性に関する「羞恥心」という物が希薄になっている。
こういう世相では「秘め事」としてのSMは、もう特別な魅力はないのでは?
最近は成人向けのラノベでもSMなんて珍しくもないが、昔ほど興味がわかない。
だいたい女の子の方から誘って来たり、女の子の方が道具出してきたり、女の子の方が喜んで服脱いだり、女の子の方が先にあえぎだしたりとか、あれでは羞恥心も何もあったものではなく、かえってつまらないと思う。
(しつこいようだが、我輩はその作品を読んだ事は・・・・・・)
SM小説家と言うと怖そうだが、団鬼六氏は学校教師をしていた時期もある。あの年代ではかなりのインテリである。
また将棋好きでも知られ、日本アマチュア将棋連盟の機関紙の発行を引き継ぎ、この赤字穴埋めに私財を注ぎ込んで、SM作家時代の財産を使い果たしたという噂もある。
我輩も作家志望者として挑んでみようかと思うが、その手の事に関する知識と経験があまりにも乏しいので、それは無理だと思うのだが、どうだろうか?
杉本彩さんは美しいけれど、SM物は私の感性では観るに忍びなくて、
面白くもおかしくもない、という印象でした。(一応最後まで観ましたけれど)
歴史小説しか書いたことない作家さん、
というのは、実は珍しいですよね。
(ラノベしか書いたことない作家さんは多いでしょうが)
日本の官能小説は情緒があっていいですが、
欧米の官能小説は即物的でうっかりすると医学書のようでした…。
あれは訳が悪いのかとも思いましたが、でもよくよく考えると、
言語的に日本のような趣を求めること自体が間違っているんだなという
結論に達しました。
日本語の場合、漢字が淫靡な雰囲気を醸し出す面もありますから。
「一つの失恋から百の恋愛が書けるようじゃないとだめだよ」というのがありました。
とても印象的で、なるほど~と思いました。
確かに羞恥心がなければSMといってもただの変態になってしまいますからね。
変態でないSM小説チャレンジしてみてください。
私は数年前にマルキ ド サドの「ソドムの1000日」が新しい翻訳本がでたのを
しり、読み始めましたが><でもほとんど同じ内容の羅列につかれはて、確か最後まで
読めなかった記憶が・・・団鬼六さんてお名前だけはやはり「花と蛇」はDVDで
見たような・・・でもいろいろととっても御存知なんですね@@
杉本彩主演でエロティックなシーンは多々ありましたが、下品な感じはしませんでした。
杉本彩の体がきれいでした。団氏の本は以前「エッセイを書く」講座を受講していた時に、講師の萩原朔美さんに「1度は読んどくべきだよ」と言われ何冊か読みました。
けっこう面白かったです。貞淑な奥様がだんだん欲望に目覚めるあたりが醍醐味なんでしょう。
ぜひチャレンジしてみてください!
是非トライして下さい〜〜(^^)V