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武道必修が武術必修にならないように

この4月から中学での武道が必修化されるそうである。
剣道、柔道、合気道、なぎなた等から各地の教育委員会や各学校で選ぶそうだが、どうも意図がよく分からない。

武道を習う目的は一つには「体を鍛える」事だろう。
最近の子供には転んだ時に反射的に手をつけない例が多いそうだから、柔道や合気道の基礎を習うのは、そういう意味では効果的かもしれない。

多分もう一つの狙いは、失われてしまったと言われる「日本人の精神性」を身に着けさせようという事だろう。
そのための手段として日本の伝統武道を、というのは理解出来る。
本格的に武道をやっている人の立ち居振る舞いが優れている事が多いのは確かだ。

ただ中学レベルでは、形だけ体験します、という事になるだろう。
それを各武道の専門家ではない学校教師が教えるという事になると、高校での教科改革とセットでやらないと、武道ではなく「武術」を教える事になってしまう危険がある。
中学で武道を必修化するなら、高校での日本史必修を全国的に同時に徹底するべきである。

そもそも武道はもともと戦場での実戦的な「格闘術」だったのであり、実用的でなくなった時に「道」に転じる、という歴史がある。

柔道は江戸時代までは「柔術」と呼ばれ、本来は戦場で武者同士が取っ組みあって最後に相手に短刀でとどめを刺すための、格闘技術だった。
だから柔術は投げや固め技に加えて、拳や指先による突きや蹴りもある、どちらかと言うと拳法に近い物だった。

それが明治維新後に警視庁の捕縛術の一つとして採用され、被疑者を拘束すればいいのだから突きだの蹴りだの危険な要素を排して行った結果、現在の柔道の基本形が出来上がった。
つまり「相手に無用な負傷をさせない」事が柔道の本質なのであり、ここに武道としての精神性がある。

剣道も明治維新前までは「剣術」であって、勝てば何でもありの戦闘技術であった。
「武士」というものが存在しなくなった明治以後、武士道精神を残そうという事で現在の竹刀と防具を使う稽古法が一般にも普及した。
だから剣道の目的は「武士道精神」を会得する事である。

さらに言えば「武士道」という概念そのものが、武士が戦闘集団ではなくなったからこそ出来た物である。
武士道の名著である「葉隠」が書かれたのは18世紀初頭。
徳川幕府の下で戦など昔話でしかなくなった時代の産物だ。

この頃の武士階級は既に行政官僚化していて、かつ身分的特権階級でもあったため、私欲に走らないように制御する必要があった。
つまり武士が戦闘従事者ではなく官僚化したため、忠義や公と言った新しい道徳が必要になり、その結果「武士道」なる物が発明されたわけだ。

武道のこういう精神性の部分は日本の歴史をちゃんと知っていないと身に着かない。
言いかえれば「ノブレス・オブリージュ」である。
これは「高貴なる者の義務」という意味のフランス語で、今の若者はアニメ「東のエデン」で知ったかもしれない。

封建時代までのヨーロッパでは、王侯貴族や富裕層に生まれる事自体が特権であり、その気になれば好き勝手のし放題だった。
その最たる物が中世ヨーロッパの一部の地方貴族が領民に課していた「初夜税」だ。
結婚する時は、貧しい農民の花嫁はその最初の一夜を領主である貴族に捧げなければいけないというとんでもない話が堂々とまかり通っていた時代があったのだ。

封建領主に細切れに支配されていた土地が、例えばフランス王朝とかのもっと大きな国にまとまって行くと、そんな好き勝手やらせておくと国民が離反してしまう。
そこで王侯貴族だからこそ、貧しい庶民のために奉仕しなければならない、という概念が広められた。

これを「ノブレス・オブリージュ」と言う。
現代でもイギリス王室の男子は、たとえ皇太子でも、若いころ一度は軍隊に入らなければならない、というしきたりがある。
王族自ら命の危険のある軍隊に志願しないと、一般国民にしめしがつかない、と考えるわけだ。

中国にも武術は多数あるが、日本で一番有名なのは少林寺拳法だろう。
名前の通り、もともとはお寺のお坊さんたちが身に着けていた武術である。
これは仏教の「不殺生」の教えを守りつつ、避けられない盗賊や掠奪者との戦いを行うために、僧侶が致命傷を与える武器を持たずに戦う、という必要性から発達した格闘技である。
ここにも、武術ではあるが可能な限り命を奪わない、という哲学がある。

極論すれば、日本武道を学ぶ目的は、正しい日本の歴史観に基づいた「我慢、辛抱」の精神を学ぶ事であり、ひいては日本式「ノブレス・オブリージュ」の概念を体得する事である。

その後の日本史の学習とセットでやらないと、武道を教えたつもりが「武術」を教えた結果になってしまい、かえって暴力事件が増えました、というオチにならないようにして欲しいものである。

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2012/01/30 23:38
根本的な価値観が「権利」のみしかない人が武道を学んでも顰蹙ものであることは確かですね。
コメントされている方がおっしゃるようにボランティア等の奉仕精神だとか「義務」の大切さも併せて教えないとバランスを欠いた話になります。

武道が必修化ということは必然的に体育だか何だかの授業の時間が減るということですから、更に別の授業を付け加えるというのは難しいでしょう。
ならば公民の教科書でとか、小学校のうちに道徳や社会科等で教えておくという配慮も必要なのかも。
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2012/01/30 19:11
おお〜〜^^b^^b

東のエデン視ましたよ。

精神性を教える、、古武術介護なるものも、ありますね

生きていくための、老人や子供のケアなども、保健体育の必修科目にしたらいいと思います。

今の子供たちが無事に大人になる頃は、半数近くが老人なのですから、、




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