頑張るべきは被災者ではない
- カテゴリ:人生
- 2012/03/12 01:27:29
東日本大震災から満1年が経った。
追悼、鎮魂の行事が各地で行われたが、これで一区切りつけるべき時が来たと思う。
「東北がんばれ」と呼びかける時期は終わった。
「東北のためにがんばろう。では何をすべきか?」を、被災地以外の土地の人間が考えるべきフェーズに入ったと考える。
被災者が故郷の復興、生活の再建のために「がんばる」のは当たり前である。
被災地のために何かしようというのも、今までは「可愛そうな被災者のために何でもいいからしてあげよう」でよかった。
だが、これからは「がんばっている被災者を正しく助ける」事が最重要になる。
支援物資の寄付やボランティア活動などは、役に立とうが立つまいが、とにかく何かする。
震災から1年間はそれでもよかっただろう。
震災ボランティアを「しょせん自己満足のためだろ?」と茶化す輩もいたが、たとえそれが目的であったとしても、被災者がわずかでも助かるならそれでよかった。
しかしこれからは、被災者が自分の力で故郷を復興させ再建し、新たな自分の生活、人生をどう切り開いていくか、それを正しく見守って、正しい手助けをする事が被災地以外の住人の使命になる。
被災者は「可愛そうだから助ける」のではなく、「必死に頑張っているから助ける」存在に変わるべきなのである。
被災者にとって最も大事な事は「自分たちが忘れ去られてはいない」という意識を持ち続ける事が出来る、という事である。
例えば宮城県では、仙台、石巻などの大都市、産業拠点に関しては復興復旧が進んでいる、あるいは進んでいないということ自体がニュースになる。
しかし同じ津波に壊滅させられた宮城県の沿岸部でも、南部の亘理郡という地方は農業地帯なので話題になることは少ない。
こういう地方の被災者は「俺たちの事なんてもう誰も気にしてないのかな?」という心理に陥り易い。
これから精神的支援が必要なのは、むしろそういう「注目されていない田舎の被災者」である。
アメリカから日本に帰化した日本文学研究者のドナルド・キーンさんがいみじくも言っていたが、被災地外の日本人の言動は「がっかり」である。
被災者が頑張るのは当たり前。被災者でない日本人が東北のためにどう頑張るのか?
今後はそれが重要なのである。
別に特別な事をする必要はない。
自分の普段の生活、仕事の中で「あ!これ、ひょっとしたら被災地のためになるかも?」ということを常に意識するだけでいい。
放射能汚染の風評被害を嘆くなら、スーパーで福島県産の商品がないかどうか、常に探してあったら買おう。
ダイエットのために肉より魚をもっと食べようと思うなら、三陸で獲れた魚を買おう。
福島から避難して来て住んでいる人たちに「お宅の子供を公園で遊ばせるな」などという心ない言葉を浴びせる「安全圏の住民」がいると聞く。
その土地の個人商店の店主さんたちなどは「福島の人(特に原発事故からの避難者)歓迎の店」という張り紙を店の入り口にデカデカと張って欲しい。
普段の仕事でも、東京のような物流、情報の集積地では「当たり前に頑張る」事が被災地を助ける事になる場合もある。
被災3県への商品の搬送、あるいはそこからの仕入れ伝票などを気合いを入れてチェックする。
これだけでも被災地が助かるかもしれない。
義捐金の寄付、ボランティアで現地に行く、といった非日常の支援は、出来る人はやればいいが、そういう特別な事をする事だけが被災地支援という段階は終わったと思う。
岩手、宮城のがれき受け入れに反対する近所の人を説得するとか、そういう行動こそが被災地支援のキーになる段階に移ったと考えよう。
がんばれ!東北の被災地!
そして、被災地の外の我々は「東北のために頑張ろう!」
被災地では「これからどうしよう」と途方に暮れるお年寄りに
「大丈夫、僕らの代できっと立て直すから」と言った学生さんが
いらっしゃったようです。
被災地の方々はもう、すでにご自身で立ち直ろうとされています。
神戸の時より被害は甚大でも、その意思がある限り
復興は成し遂げられるでしょう。
私たちに出来ることは、それが1日でも早く実現するように
助力することだと思っております。
各々が成すべきを成せるよう、共に歩んでまいりましょう。
全く同感です。それぞれが自分の本分を尽くことで経済も活性化し、被災地の為にもなると思います。
ただ、被災地の復興に関して、町ぐるみの移転計画の候補地で遺跡が見つかったため文化財保護法に基づく
調査に3年もかかるということで当事者や住人が困惑しているそうです。こういう問題にも国民は
政府に対してメールを出すなど発言していくことも必要だと感じています。
なかなか頭の中から いいアイデアが浮かばないまま時間がやみくもに過ぎているのです><
ただ私は神戸ですが、結局表面だけはきれいになりましたが その実は資本力のある人が
生き残っているように思えるのです。 哀しいかななんですがね