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三丁目の夕日と旧校舎の夕子さん

「三丁目の夕日症候群」という言葉がある。一部の評論家などが現在の世相を指して言っている事である。
マンガ「三丁目の夕日」が非常に人気で、そこに描かれた昭和30年代の生活を懐かしむ風潮が広まっている。

それ自体は別に悪い事ではないのだが、「あの時代は良かった」という価値観を現代の日本にそのまま当てはめようとすると若者の判断基準を狂わせてしまう。
経済活動に持ち込むとゾンビ産業の温存になってしまって国の進路を誤らせる。

「三丁目の夕日」の時代を懐かしむのは個人の自由だが、同時にそれは年寄りのノスタルジーに過ぎないという自覚を忘れてはいけない。
昭和30年代がどんなにいい時代だったとしても、その時代の「良かった部分」だけを現代日本で再現するのは不可能なのだ。

さて、では今の若者世代はあの時代をどう見ているのだろう?
これは最近のマンガやアニメに徐々に表れてきていて、かつ結構冷静に見ているようなので感心する。現在テレビアニメになって放送中の物だけでも「黄昏乙女×アムネジア」、「坂道のアポロン」、「氷菓」が直接、間接にそれを描いている。

「氷菓」では第1エピソードでヒロインである千反田えるのおじさんの学生時代の過去という形だが、高校での学生運動が原因である事から考えて1960年代の出来事だと思われる。

昭和30年代というのは西暦で言えば1955年から1964年。ただし三丁目の夕日に描かれているような経済成長、社会情勢の激変は東京と地方では最大10年ほど時間差があるので、前後にもう少し長い期間だったと考えてもいい。

この時代、戦前のファシズム体制が敗戦で終わり、GHQによる占領からも解放され、大学生を中心に社会主義革命運動が全国を席巻した。
この波は高校にも及んだが、大学生が大真面目に社会主義革命を目指したのに対し、高校での運動は戦前的な権威主義が残っていた学校当局に反抗するだけというレベルだった。

「氷菓」で関谷純が退学に追い込まれる事になった騒動も、学園祭の期間短縮に反対するという程度の低い話であり、かつこのヒロインのおじさんはおだてられて名目上の運動指導者に祭り上げられただけ。
最後には学友全員に裏切られた形で騒動の全責任を押し付けられ退学させられた、という話である。

えるは幼い頃おじさんからこの話を聞かされショックを受けて、その時何の話をしたのか、を思い出せなくなった。
これが第1エピソードの発端なのだが、彼女の反応から分かるように今の若者にとっては「何だ、そりゃ?」という話なのだ。

昭和30年代の学生運動を引き合いに出して今の若者の政治への無関心を批判する年配者も多いが、あの時代の「政治に熱心な若者」の本質なんてその程度の物でしかない。
このあたり、今の若者は結構冷静に見ているようだ。

「坂道のアポロン」もビートルズがリアルタイムで流行っているという設定から1960年代中盤の物語である事が分かる。
この作品でも大学で政治運動に首を突っ込んでしまい破滅して行く人物として「淳兄」という人物が登場する。

またドラマーの千太郎はアメリカ人の父と日本人の母親のハーフだが、これが原因で母親と離別した事になっている。
この時代、庶民の生活はまだまだ貧しく、在日米軍基地に近い都市では米兵の現地妻になる女性が珍しくなかった。

千太郎の父親の素性が明らかにされない、またハーフである千太郎を生んだ事で母親が実家から絶縁された点から考えて、彼の母親は米兵の現地妻だったと推察される。
当時はハーフ、特に欧米人との間のハーフに対する差別は激しく、千太郎が不良に育っているのはそのためだろう。

また主人公である西見薫と千太郎の住む家の環境の落差から分かるように、当時の貧富の差というのは現代日本の格差の比ではない。
学生時代にはそれを超越した友情や恋愛もありだが、大人になって行くにつれて道を分かたねばならなくなる、そういう非情な現実がきちんと描かれている点で、この作品は年配者の「三丁目の夕日」礼賛とは一線を画している。

アニメ版の「黄昏乙女×アムネジア」では夕子さんが死んだのは1952年という事になる。
この年の4月にGHQによる占領が正式に終わり日本は独立を回復した。
戦後民主主義日本の出発点として明るい希望に満ち溢れた時代と語られる事が多いが、現実には社会のあちこちに戦前から続く身分差別的価値観、因習、迷信が色濃く残っていた。

夕子さんは村に流行った疫病を鎮めるための人柱、つまり生贄として地下に生き埋めにされ、幽霊になった後もその怨念を記憶から切り離して忘却し、そのまま60年間、地縛霊として学校内をさまよってきた。

1950年から始まった朝鮮戦争で米軍からの軍需物資の注文が急増、いわゆる「朝鮮戦争特需」が起こり日本経済は急激な復活を始めた。
だから1952年には工業地帯である大都市は好景気に沸いていたはずだが、夕子さんの村にはまだ戦後の近代化が届いていなかったようだ。
だから疫病対策に医者を呼ぶのではなく、神様への人柱などという馬鹿げた事をやったわけだ。

作品中では夕子さんの村で流行った疫病の正体はまだ明らかにされていないが、銅の鉱山で栄えた地域という設定からして、一種の公害病ではなかったか、と推察される。
足尾鉱山鉱毒事件というのが有名だが、銅などの金属鉱石を化学薬品を使って大量に製錬するようになった結果、使った強酸性の物質や毒性のある金属イオンが川や地下水に流入してしまい、その水を農業用水、生活用水に使っていた下流地域の住民に深刻な健康被害が多発した。

こうした「公害病」は1970年代前半ぐらいまで全国で発生し、特に有名な四つが「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市喘息」として知られている。
が、名前がつくほど有名にならなかった小規模な公害病は他にも多く存在した可能性があり、夕子さんの村を襲った謎の疫病が、企業と政府が存在を認めなかった局地的公害病だったとすれば、夕子さんはまさに「三丁目の夕日」の時代の影の部分の犠牲者だった事になる。

こうして見ると、今の若者と近い世代のポップカルチャーのクリエイターたちは「三丁目の夕日」の時代を「みんなが幸せだった古き良き時代」という単純なイメージでは捉えていない事が分かる。
特に「黄昏乙女×アムネジア」のストーリーは良く出来ていると思う。

ただ個人的には「黄昏乙女×アムネジア」の設定には違和感を禁じ得ない部分がある。
占領下の時代よりはましになっていたとは言え、当時の日本の食糧事情は現代と比べればはるかに貧しく、国民全体の栄養状態も貧弱だった。
内陸の山村では肉は夢、魚でさえ滅多に口に入らなかった時代である。

夕子さんは村では結構いい家のお嬢様だったらしいが、それを差し引いても……巨乳過ぎるんじゃないか?
あのバストは最低でも80のDカップだぞ!
あの時代のJC3があそこまでナイスバディだったという設定は無理がある気がするのだが、まあ、ここにツッコミを入れるのは野暮というものだろうか?





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