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理系科学者の「文才」

STAP細胞の論文に関して、コピペ疑惑まで取り沙汰されている。
博士論文にも大量にコピペした疑いがある部分があるそうで、勤務先である理化学研究所はそうだとしても論文の枝葉の部分なので、論文の根幹部分には影響ないと言っている。

仮にコピペだったとしても、あの女性研究者さん、現在30歳という年齢からみて、大学、大学院のレポートでインターネットからのコピペがありふれていた頃に、学部生、院生だったわけだから、一概に本人の非常識とばかりも言えない気がする。

あの論文が本当にコピペなのかどうかはともかく、大学教育の現場でコピペが蔓延しているのは事実。
日本の高等教育機関もそろそろ理系科学者に「文才」を身に着けさせる重要性を認識すべきだろう。

理系の科学者に「文才」が必要というと奇異に感じるかもしれない。
だが、どんな画期的な発見でもそれを専門外の人たちにきちんと理解してもらうためには、専門用語を正確に使えるというだけでは足りない。

特に現在は自然科学の分野が非常に細分化しているから、同じ「生命科学」という分野の研究者同士でも、たとえば片方が遺伝子、片方が生体機能という風に違っていると、お互いにさっぱり分からないという事が珍しくないらしい。

だから理系の科学者であっても、外部に公表する論文を書く場合には、文章にひと工夫もふた工夫もしないと、興味を持ってもらえない危険がある。
ましてや専門家ではないマスコミの記者や、一般市民へのレクチャーの場合には、「素人にいかにして理解させられるか」という部分が科学者の腕の見せ所なのだ。

どうも早稲田大学に限らず、日本の大学の理系の過程ではそういう「文才」を磨かせる教育をしていないのではないだろうか?
だからレポートや論文を書かせると、イントロ部分などでは「今まで大勢の研究者が似たような趣旨の事を書いているんだから」と思って、コピペで済まそうとしてしまう学生が出てくるのではないか?

これは別に理想論ではない。過去の歴史に名が残ったような一流の理系科学者は、けっこう優れた文才の持ち主が多い。

相対性理論で世界的に有名なアルバート・アインシュタインは多くの書簡を残しているが、特に母語であるドイツ語で書かれた物は「非常に味のある文章表現」と評されている物が多い。

日本では古くは明治から大正時代に森林太郎という軍医がいた。
東大医学部を卒業し、外国旅行など夢のまた夢だった時代にドイツに政府の派遣留学生として留学し、当時世界最先端の医学理論を習得。
帰国後は日本帝国陸軍の軍医になり軍医総監という、その分野ではトップの地位にまで上り詰めた。

経歴だけ見るとバリバリの理系人間だが、意外にも趣味で小説も書いていて、後にはプロデビューまでしている。
ペンネームは「森鴎外」である。

大正時代から昭和初期にかけて地理学の分野で第一人者だった寺田寅彦博士という人もいる。
東大卒の理学博士だが、随筆家、文筆家としても知られている。
真偽のほどは定かではないが「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉は寺田博士が残したという説が根強い。
ヤマタノオロチの正体が火山の溶岩流のイメージだと提唱するなど、民俗学的なセンスにも優れていた。

現在でも、iPS細胞の世界的権威である京都大学の山中伸弥教授は、レクチャーや一般向けの講演などでは、非常にユーモラスなスピーチをする、いい意味での「言葉達者」で知られている。
もしエッセイでも書かせたら、玄人をうならせるような文章を書くかもしれない。

戦前の大学に入るには旧制高校や予備門で、理系志望者にも哲学や文学を徹底的に叩き込んだ。
戦前の理系科学者に優れた文才の持ち主が結構いたのは、それが理由かもしれない。

戦後の日本では、戦前の「エリート」が国を誤らせたという反省から、エリート育成教育は悪とされ、一面では高等教育の大衆化が進み、良かった面もある。
だがその結果、理系の学生や研究者が「自分自身の言葉で巧みに語る」という意味での「文才」を失ってきたのではないだろうか?

現代のように科学が高度に専門化、細分化し、門外漢には理解不能という部分が増えた時代には、理系の科学者といえど「理系村」の中だけで言葉が通じればいい、というわけにはいかなくなっていると思う。

戦前とは違う形での「エリート育成教育の必要性」を、日本は再考すべきではないだろうか?





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