Nicotto Town



回らない回転ずしと労働市場の未来

「回らない回転ずし」という店に初めて行ってみた。
職人さんがカウンター越しに握ってくれる昔ながらの店を「回らない寿司」と言うが、回転ずしの進化型が「回らない回転ずし」である。

形容の仕方が論理矛盾だが、まだ適当な名称が思いつかないのだろう。
我輩に言わせれば「レーン寿司」と言ったところか。

客は最初に伝票を挟む四角いバインダーを一人一枚ずつ持たされ、それに書いてある番号の席に着く。
回転すし用のレーンはなく、客席はパチンコ屋の台のように横の列になって並んでいる。
客席の正面には小型のタッチパネルのスクリーンがあり、それで一回あたり3皿まで注文を出す。

目の前には電車のレールのようなレーンが上下に三列あって、大きなトレイに乗った寿司の皿がさっと滑ってきて客の前でぴたりと止まる。
客が皿をテーブルに下ろして点滅しているボタンを押すとトレイは帰って行く。
店によってはトレイが蒸気機関車や新幹線の形をしていたりするそうだ。

このトレイ相当なスピードで動いていて、ビールのジョッキなどはさすがに載せると危ないのだろうか、人間の店員さんが持って来た。
だがこれもそう遠くない将来、ASIMOのようなロボットの仕事になるだろう。
究極の省力化である。

その結果値段は「え?」と言いたくなるほど安い。
普通の回転ずしと大差ない大きさの二カン一皿で105円というのがほとんど。
渋谷道玄坂という土地柄もあってか、デザートなども豪華。
ケーキにプリンにティラミスまであった。こっちも150円ほど。

東京の地価の高さを考えると信じられない安さだが、徹底的に機械化しているため、店員さんの数が同じなら普通の回転ずし店の優に5倍ぐらいの客がさばける。
非常にお財布にフレンドリーな形態であり、今後増える可能性が高い。

こういう話をするとすぐ「伝統的な寿司屋がつぶれる」と危惧する人がいるが、それは心配ない。
東京浅草には昔ながらの老舗の寿司屋が集まっている地区があり、値段は回転ずしと比較したら「目の玉が飛び出る」ほど。

一時期ここから歩いていける距離に回転すし店が複数開店した。
だがそれでつぶれた老舗は一軒もない。
それどころか、回転すし店の方が閉店、撤退してしまった。
「通をも唸らせる」ような本物は放っておいてもちゃんと残るのだ。

テクノロジーの進歩が次々に新しい店舗形態を生み出すのはいいが、「非熟練労働者」の働ける場所の減少につながる可能性があって、我輩はむしろこっちの方が心配だ。
東京のような大都会の繁華街なら求人の方が多いだろうが、郊外の住宅地や地方都市ではどうだろうか?

仕事が楽になるのは一見いい事だが、「誰でも出来る仕事」になってしまうと、非正規雇用になって賃金は下がるし、その仕事を通じて将来のためのスキルを磨く機会が奪われる。

我輩も若いころ食品小売店でバイトした経験がある。当時は今のコンビニのような便利な読み取り機械はなかったので、店の百種類近い商品の値段を暗記しなければならなかった。
学生アルバイトであってもそうだった。これが出来ないと時給が低いままなので、必死で覚え込んだ。

近年はさすがに年のせいで衰え果ててしまったが、若いころの我輩の暗記力は結構レベルが高かった。
それは学生時代のバイトで、そういう訓練を余儀なくされたせいだろう。

今のコンビニの店員さんはそれは機械に任せる事が出来る。
だからコンビニ店員と言うと一時は「誰でも出来る仕事」の代名詞だった。
が、大手チェーンではここも変わりつつある。

我輩の勤務先があるビル内にもコンビニがあってよく利用しているが、ここの店員さんはロボットのようなマニュアル労働者ではない。
先日「煙草をまとめ買いしなくて大丈夫ですか?」と向こうから言われてハッとした。

消費税が上がる前にカートンで買っておいた方が確かにいい。
自分でもすっかり忘れていたが、お互いに名前さえ知らないコンビニの店員さんが我輩の顔といつも買う物をしっかり記憶していて、そういう提案までしてくれるのだ。

逆に言うと、よく来る客の顔と好みぐらいは覚えて、買い物の提案が出来るぐらいの人でないと、大手コンビニの店員は務まらないのだろう。
ここまで来るとコンビニ店員も「熟練労働者」と言い得るのではないか?

こういう風に低賃金や非正規であっても、その仕事を通じて人間としての「レベルアップ」が期待できるような職場が都会では年々減っているような気がする。
パートやアルバイトの求人が減ると、主婦や学生さんは困る。

また学校を卒業してもすぐには職に就けない若者も増えている。
彼らは労働市場では「非熟練労働者」になるから、スキルアップが期待できないような単純労働の職場ばかりになるのは、社会全体としてもいい事ではない。

こう書くと、労働市場の底辺にいる人たちの話と思うだろうが、大企業の管理職にも大いに関係のある話である。
一足先に社内のIT化をやった会社の人から聞いて、当時は「はあ????」としか思わなかった事がある。

曰く「部下が管理職を見る目が厳しくなった」というのだ。
自分の会社でも同じシステムを採用したので、段々理解できてきた。
会社のイントラネットを一人一台支給されたスマートフォンで、いつでもどこでも閲覧できるようになったのだ。

この結果、「なんだうちの上司、偉い人の言葉をオウム返しに言ってるだけじゃん」みたいな事があちこちで囁かれるようになったのだ。
管理職と我輩のような下っ端の社員との間には、会社の経営方針だとか業績の実態などに関して持っている情報の量に差がある。

たとえば社長とかのお偉いさんが何を考えているかについて、下っ端はほとんど知る事ができないが、管理職はある程度直接アクセスできる。
こういう状態を「情報の非対称性」と言う。

この非対称性の程度が高いほど、人は自らを「権威」に包む事ができる。
近年までは管理職はこの情報の非対称性だけに頼って、部下に対する心理的優越を保つ事が可能だった。

ところが企業のイントラネットが進歩し、スマホで一番下っ端の部下でも、直接社内で公開されている情報には簡単にアクセスできるようになった。
しかもその「情報公開」をやっているのは経営陣だ。

だから口先だけ、恰好だけ、上っ面だけの管理職は権威を保てなくなっている。
無能な管理職の自らの権威の源泉はたいていの場合、この「情報の非対称性」だけ、だからだ。
その非対称性そのものがどんどん縮小しているから、管理職が経営陣の言っている事をきちんと理解せず、矛盾した指示を部下に出すと、一発で部下にばれてしまう。

だから現在では管理職は「業務に関する専門性」で自分を権威づけしないといけないのだが、これができない管理職がどの業種のどんな企業にも結構いるらしい。

テクノロジーの進歩によって自分の存在価値が脅かされる。
これが大企業の管理職にまで及んでいるという点は、お気の毒と言うべきか、ざまあ見ろ、という言うべきか?

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2014/03/27 23:41
通常の回転寿司屋だと管理していても一定のロスは覚悟しなければならない。
より無駄のない回転寿司の形態と考えれば「安価な寿司」路線として回らない回転寿司というのもありなのかも。

単純労働が減るとうちのような福祉施設の作業種目にも影響があったりもしますが、これは逆に意識改革にも結びついていたりするのが面白いところ。
「利用者ができるような作業」ではなく「利用者の長所を活かしてより要求レベルの高いものを作り上げていく作業」に多くの事業所がシフトしつつあります。
今は福祉施設の商品の中にはデパートで並んでいても遜色ないものすらあります。
できないだろうではなくやってみようと考えることは個人レベルでも組織レベルでも大きな差をもたらすように思われます。

上司に求められる要件が昔より厳しくなってる感じは確かにします。
組織自体が縦一列みたいな構造で無くなっているというのもありますし、部下の性質も昔とは変わってきている。
求められる専門性(業務に関することはもちろん部下のてきせつな管理に関する事項も含む)も高くなってますが、みんながみんな上司として適任という訳ではない。
しかし管理職側にまで上がれれば昔以上の厚遇も期待できるのですから、「向いてない上司」はこれからも増えるのかも。
団塊の世代がのいてスペースができた企業もあるでしょうし。





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