「美味しんぼ」というマンガの、福島県の現状を扱った回が騒がれている。
我輩もエンタメ系小説を書く者なので成り行きを注視していたが、どうも騒ぎ過ぎという印象を受ける。

しょせんは売ってナンボの「たかがコミック」なのだから、極端な論を展開しているとしても、福島県民以外の人たちがギャーギャー騒ぐ必要があるのか？
福島県民は、現に住んでいる人、よそへ避難した人、原発事故とは無関係な理由でよそへ移った県出身者も含めて、まさに当事者であるから、その人たちが怒り心頭に発するのは理解できる。

個人的には、長期にわたる低線量放射線被曝の影響に不明な点が多いという原作者氏の主張は正しいと思う。
福島県は人が住める場所ではない、という極論も現実に主張する人物がいるのなら、それを紹介する事自体は悪いとは思わない。

ただ福島県民に対して無神経なストーリーの組み立てであった事もまた否定できないだろう。
問題になった部分のストーリーは、ウルトラＱのエピソードみたいなムードになっている。
作品そのものは所詮フィクションなのだから、もっと福島県民に寄り添った目線からのストーリーにしておけば、提示した事実関係が同じでも反応は違っていたのではないだろうか。

ただ、作品を批判するのは個人の自由だが、当事者である福島県民は別として、批判している側にも何か危うい物を感じる。
「福島県に関する正義」みたいな物が出来上がってしまっているのではないだろうか。

その正義とは以下の条件を全て満たしていなければならない、という思い込みだ。

（１）　住民の帰還が認められた地域の放射線量は絶対に安全の範囲内である。
（２）　放射線による健康被害は今後とも絶対に生じない。
（３）　福島県を思う人間なら反原発派であるはずだ。

こういう決めつけの方が、風評被害より危険だ。
我輩自身は（１）（２）に関しては、是非そうであって欲しいと願うが、（３）については条件付きで原発容認派である。
安全性を向上させた上で、核融合発電の実用化までは原発を使った方がいいという立場だ。

しかし同時に、（１）と（２）に関しても「絶対安全はない」という立場でもある。
大丈夫なはずだという論は、あくまで現在の科学の水準で考える限りにおいては、という話に過ぎない。
数十年単位の長期スパンでは、科学の進歩によって現在では予想もできない何かが判明する可能性もある。

したがって健康被害については、「大丈夫なはずだが、この世に絶対はないから、最悪のケースを想定して準備をしておくに越した事はない」と考えるべきではないか？
例えば、放射線被曝による健康被害として可能性が高いのは子供の甲状腺癌だ。

発症したら基本的に甲状腺を切除するが、切除すると身体機能を調節するホルモンのバランスが狂ってその後も様々な身体不調に悩まされる場合が多い。
ならば iPS細胞による再生医療の優先事項として、甲状腺の再生を実用化しておけばよい。

iPS細胞の研究は着々と進んでいるが、まだヒトの臓器を自在に再生できる段階には達していない。
将来的に特に子供の甲状腺を再生させる研究を今から加速させればいい。
必要がなければ、それはそれでよし。万一の場合には、多くの福島県の子供を救える。

こういう論争が起きると、日本人は二つのステレオタイプなイメージを作り上げて、そのどちらかに分類して決めつける傾向がある。
だが「世論を二分する」と言っても、きれいに真っ二つに分けられるほど、世の中は単純ではない。

歴史的な例としては、幕末の政治論争がある。
学校の歴史の教科書では「尊王攘夷」と習っただろうが、徳川幕府を巡る立場はそれほど単純ではない。

まず「尊王」にも２種類あった。
尊王というのは、朝廷の外国人打ち払いの命令、いわゆる攘夷を徳川幕府が約束通り履行できなかったため、「天皇様の命を守らないとは何事か！」という憤りから始まった。

だが最初の頃の「尊王」は「朝廷との約束を幕府は守れ」という事であって、イコール「倒幕」ではなかった。
尊王を叫ぶ志士たちであっても、攘夷を実行させる事で徳川幕府の権威を回復しようと考えた者もいた。
こういう人たちは「尊王佐幕攘夷」の論者と言える。

後に明治政府を建てる西日本の大大名勢力、いわゆる西南雄藩も全てが最初から倒幕を目指していたわけではない。
特に薩摩藩の当初の目的は、攘夷実行を迫って徳川幕府に圧力をかけ、外様大名も幕府の決定に参加する権利を得ようとした物だ。
幕府の改革をもくろんだのだから「尊王改幕攘夷」とでも言えるだろう。

また勝海舟のように幕臣でありながら早くから開国を唱えていた人物もいた。
これは「佐幕開国」とでも言えるだろう。
したがって幕末の騒乱が始まった時点では、以下の立場が乱立していた事になる。

佐幕型尊王攘夷
改幕型尊王攘夷
倒幕攘夷
佐幕開国
倒幕＆尊王開国

知っての通り、最後に出来上がった明治新政府は最後の「倒幕＆尊王開国」だった。
幕末期の日本人は、非常に考え方がフレキシブルだったわけだ。

どうも今回の福島県の事に限らず、今の日本人はこういう柔軟性を失っているのではないか？
ステレオタイプな「論者」を仕立て上げて、自分にとって二つのうちどちらかに分類し、「だからあいつらはこう考えているはず」と決めつける傾向は、第二次世界大戦時の日本人のメンタリティに近い。

そういう決めつけに基づいて万事を論じるのは、世の中のためにならない。
今回の場合、特に福島県民のためにならないのではないだろうか？