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「国民国家」終焉の時代?

東西冷戦が終結して第3次世界大戦の恐怖が消滅したとされてから20年以上が経ったが、世界は平和になるどころか、どんどんきな臭くなってきているように感じる。

国家間の力関係が変化している事もあるのだが、日本も含めて国民国家(英語で言う nation-state)の概念が揺らぎ始めているのではないかと感じる出来事が最近多い。
一方で「国民国家」の概念が逆に既存の国家の枠組みに対して遠心力として作用している様に見えるケースも増えた。

前者の最たる物はシリアとイラク北部で猛威を振るっている自称「イスラム国」だろう。
既存の国境線と主権国家の枠組みを完全に無視して新国家の樹立を宣言している。

後者は欧州やアフリカでの独立傾向である。
残留が決まったとは言え、スコットランドの英国(連合王国)からの独立を問う住民投票や、スペインで行われようとしているカタルーニャ地方の独立のための住民投票が好例だ。

では nation-state とはそもそも何なのだろうか?
ものすごく乱暴に言えば「今の日本みたいな国家」の枠組みである。

英語のnation は大雑把に言えば「民族的同一性」であり、state は「確定した国境の中の領土を持ち、かつ実効支配している領域」だ。
「日本は大和民族の国である」というのが nation としての日本。いわゆる日本列島と離島で構成される領域が state としての日本という事になる。

この二つの概念が表す国家領域がぴったりと一致しているのが、国民国家の理想的なあり方であって、島国であるが故に、現代日本は極めて一致状態に近い。
だが現在論議されている永住移民の受け入れが始まれば、いつまでも一致した状況ではいられないかもしれない。

国民国家概念の始まりは諸説あるが、一般的には1848年にヨーロッパを席巻した「諸国民の春」と呼ばれる一連の革命運動がそのルーツだとされる。
国家という概念はまず、古典的な王政から始まった。

日本が邪馬台国の時代から王政国家として始まった様に、現在のヨーロッパの大部分は、まず古代ローマ帝国の膨張によって王政の枠組みに組み込まれて行った。
先行していたギリシャの都市国家群における古代共和制も一旦ローマ帝国に吸収された。

ヨーロッパでは西ローマ帝国が滅亡後、各地に封建領主が乱立しいわゆる中世に入る。
ここで誕生した王国は、たいてい特定の民族が支配階級として君臨し、他民族を支配するという構図になった。

現在のイスラム世界でも、イスラム教の広がりと共に様々なイスラム王朝が出現しては消え、15世紀にオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼして中東、北アフリカ、東欧の一部を支配する多民族国家を築いた。

東アジアでは漢民族が幾多の帝国を興亡させ、時に異民族に支配された。モンゴル族の王朝である元、満州族の王朝である清が、その時代にあたる。
漢民族が支配、被支配どちらの立場にあったにせよ、中華文明圏は常に多民族国家だった。

このように nation と state は一致していない方が歴史の大半であって、今の日本の様に一見一致して見えるような状態の方が例外的なのだ。

現代日本の国民国家としての枠組みが出来上がったのは言うまでもなく明治維新の後である。
鎌倉時代から江戸時代までの幕藩体制は、基本的には地方封建領主の連合国家であり、nation は日本全体ではなくもっと狭い領域であった。
「河内の国」「武蔵の国」などという呼び名があるのはその名残りだ。

幕末の動乱期、英国は薩摩藩を中心とする反幕府勢力に、フランスが徳川幕府側にそれぞれ軍事援助、経済援助を行い、もし日本全土を二分する内戦に突入していたら、その隙をついて英仏に分割され植民地にされる危険があった。

日本は大規模内戦を回避し、結果植民地化の危機を脱したが、末期の中国清朝は事実上の植民地状態にあり、東南アジア諸国もタイを除いてほとんどが植民地時代を経験する事になった。

独立を保った日本では「日本人」という新しいアイデンティティが生み出され、アイヌや琉球の問題はあったが、nation と state がほぼ一致する近代国家の枠組みを作る事が出来た。

ヨーロッパではある程度国民国家の枠組みが固まったところで、強国の膨張主義が始まった。
国民国家は国際的に規定された「領土」を保障されるが、領土の外を支配する事は許されない。

ではその領土を広げればいいという事で、北欧ではスウェーデンとノルウェー、欧州大陸中心部ではフランスとドイツ系の国家、ロシア帝国とオスマン帝国の間、などで領土拡張のための戦争が幾度も起きた。

欧州大陸中心部や地中海世界で領土分捕り合戦に参加できなかったスペインとポルトガルは海洋進出に力を入れ成功した。
この成功を見た英国、フランスが参入し、いわゆる大航海時代が始まる。

中世的な封建王政が乱立していたアジア、アフリカはヨーロッパの強国が経済的に進出して来る過程で、政治的にもその支配下に置かれるようになった。
当時の「国民国家」という概念はあくまで欧州内部の混乱を防ぐための論理であって、それ以外の世界の地域をどうするかは、強国の実力次第だった。

ヨーロッパの「国民国家」群がアジア、アフリカの異民族を経済的にも政治的にも支配下に置いていった、そのプロセスが「帝国主義」である。
東アジアで独立を保った数少ない国家で、かつ真っ先に近代化に成功した大日本帝国はまず朝鮮半島と台湾を領土内に取り込み、さらに中国大陸に満州国を建国するなどの帝国主義政策を開始した。

しかし、中国大陸の権益を独自に得ようとする事は、英仏を中心とする西欧列強の財布に手を突っ込むに等しい行為だったため、国際的な孤立に追い込まれた。
同じように西欧列強の植民地経済圏から締め出されていたナチス・ドイツと手を組むしかなくなり、それが第2次世界大戦への参入につながる。

敗戦後、日本の領土はおおむね明治維新の頃と同じ領域に限定され、在日韓国・朝鮮人を多数抱えていたとは言え、政治的には再び nation とstate がほぼ一致する状態に戻った。
この状況が現在まで続いているのが日本なわけだ。

だが冷戦終結以降、国民国家概念の本家本元であるヨーロッパでは欧州連合(EU)が出現し、むしろ国家の枠組みを解体する方向を目指している。

中東、アフリカでは旧植民地が第2次世界大戦後に独立して国民国家になったはずが、その国境線は植民地時代に宗主国の勝手な都合で引かれた場合が多かったため、nation と state の領域が一致しないケースが多い。

その結果現存する国民国家の内部で、少数民族による分離独立運動が激化してきた国や地域が多数ある。
逆に中東のように、国境線はあっても名ばかりで、その結果国境をまたいだテロ組織が実効支配地域の独立を勝手に宣言してしまう「イスラム国」のような問題も起きている。

もし「国民国家」という概念自体が世界的に揺らいでいるのなら、国際社会は再び戦乱の時代に逆戻りするかもしれない。
その時、長らく日本を守ってきた海という「天然の壁」はもはや国家の防壁としては機能し得ないだろう。

国民国家という概念のあり方自体を、日本人も再考すべき時代が来たのかもしれない。

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2014/11/09 17:17
本当に、、先が、、わかりません、、

世界も、、、この国も、、、




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