Nicotto Town



商売のイロハを忘れた日本人

安倍政権の推進する経済活性化がなかなか進展を見せず、関係閣僚は相当いらだっているようだ。
原因はいろいろあろうが、どうも「笛吹けど踊らず」といった感が強い。
最近では企業が利益を内部留保として貯め込むばかりで使わないので、経済の好循環が回らないのだ、という論が聞かれる。

理屈としては正しいのだろうが、企業であれ消費者としての個人であれ、経済活動や消費行動というのは「説教」では絶対に変えられない。
昔日本経済が右肩上がりだった頃、過剰な消費を控えるようにという説教があちこちから出たが、それで日本人が一億総倹約化にはならなかった。
目指す方向は逆だが、いくら政府が説教を唱えても、国民や経営者の意識は決して変わらないだろう。

民間経済が思うように活性化しないのは、日本人全体が健忘症にかかっているからだ。
何を忘れているかと言うと、経済の原則である。
商売のイロハと言ってもいい。
これを国民の大半が忘れているなら、国の経済がうまく回るはずがない。

とあるジャーナリストのメルマガでこんな話を読んだ。
とある地方の百貨店で紙おむつを買おうとしたら、中国人観光客の爆買いで品薄。
だが店員に尋ねたら、奥の倉庫から持ってきてくれた。
地元のお客さんのために、売り場に出さないで置いてある分だったそうだ。

この話を周りの日本人にしたら、とんでもない反応をする人があまりにも多くて愕然とした。
こういう反応だ。
「地元のお客を大事にするいい店だねえ」
もし同じ感想を抱くなら、あなたも相当重症だと思った方がいい。

この話は商売のイロハを完全に逸脱している。
在庫が空になるほど売れるというのなら、相手が中国人だろうと宇宙人だろうと、ありったけ売ってしまえばいい。
在庫がゼロになりそうなら、ドカンと仕入れればいい。
仕入れが足りないならメーカーが増産すればいい。

工場の生産能力が足りないなら生産ラインを増やせばいい。
人手が足りないならパートでもアルバイトでもドカンと人を雇えばいい。
そうする事で生産が増え、売り上げが増え、雇用が増え、庶民の所得が増える。
これが安倍政権の言う「経済の好循環」だろう。

しかし上記の百貨店の件を「ええ話やなあ」と感じる人が大多数だとすれば、日本人全体がどこか壊れている。
一見地元への思いやりに見えるかもしれないが、実は活性化できるはずの地元経済を停滞させている事になりかねないからだ。

紙おむつや粉ミルクを中国人観光客が爆買いして日本各地で品薄になる事が多いと聞く。
ではそういった商品が値上がりしているかと言うと、我輩が見聞きした限りでは、東京都内では目立って値段は上がっていない。
「やはり日本のメーカーは良心的なんだね」と思うなら、それも大間違いである。

企業の活動はあくまで需要と供給の法則に従って行われるべきであって、紙おむつや粉ミルクが中国人に爆買いされて品薄の状況が長く続いているのなら、値上がりしないとおかしい。
値上がりすると日本人のお母さんが困ると言われるかもしれないが、消費者が値上がりに悲鳴を上げる事によって、企業は初めて増産する必要に迫られ、再び供給が増えて値下がりし、適正価格に落ち着く。

その過程で増産のための設備投資が行われ、企業は内部留保を吐き出さざるを得なくなる。
この起きて当たり前の現象が起こらないのは、日本人が作る側も売る側も買う側も、需要と供給の法則と言う、経済学のイロハのイすら忘れてしまっているからだ。

戦後の日本経済の発展は「いつでもどこでも誰にでも」を目指してきた結果だと思う。
1950年代までは富裕層の特権だった自家用車を、誰にでも持てるようにした結果、トヨタ、日産、ホンダなどの世界ブランドが誕生した。
部屋の中でしか聞けなかった音楽を「いつでもどこでも」にしたのがソニーのウォークマンだった。

だが、この方向性が行き着くところまで行ってしまった結果、何が起こったか?
「いつでもどこでも誰にでも」の商品が出そろったので、次は「いかに安く」が至上命題になっているのが、日本社会の現状だろう。

それ自体は悪い事ではない。
だが適性価格を越えて下がってしまい、それに消費者が慣れきってしまうと、新しい需要が発生しなくなる。

いい例は二つある。
ひとつはテレビ放送。正確には民放地上波の番組。
もうひとつはニュースメディアのネットサービスだ。

民放のテレビ番組は最初から受像機さえあれば「誰にでも」入手できるサービスだった。
ビデオデッキの普及で「いつでも」の視聴が可能になった。
そしてスマホのワンセグ放送の普及で「どこでも」が可能になった。

だが三拍子そろった結果、民放テレビ局が我が世の春を謳歌しているかというと全く逆で、テレビ局各社は「若者のテレビ離れ」を嘆いている始末。

ニュースメディアも紙媒体しかなかった時代には、それを持ち歩けば「いつでもどこでも」の商品だった。
だが購読者しかその情報にはアクセスできなかった。
ネットの登場によって「誰にでも」が加わったが、その結果タダ読みされるようになっただけ。

つまり「いつでもどこでも誰にでも」が実現している商品やサービスに、消費者は「金払ってまで使いたい」とは思わなくなったわけだ。
いつでもどこでも手に入る商品やサービスなら、今あわてて買う必要はない。
もっと値下がりするまで待とうという姿勢に当然なる。

その打開策として「最初は無料」が次々と出ているわけだが、そのビジネスモデルで成功しているのは、ソーシャルゲームぐらいのものだ。
文化教養に分類されるような商品、サービスでは「最初は無料」「一部無料」は、撒き餌としては全く機能していない。
企業はいいかげんそれに気づくべきだろう。

「いつでもどこでも誰にでも」に到達した結果、経済のイノベーションが止まったというのであれば、打開策は簡単。
その三つのどれか一つでいいから、180度逆をやればいい。

それに気づいているビジネスは既にある。
AKB48などのアイドルグループは「会いに行けるアイドル」というのが最大の売りだが、「いつでも」会えるわけではない。
だからコンサートや握手会に人が殺到する。

本来日本中どこでも同じ味、同じ品質がコンセプトだったファミレスチェーンなどが、地域限定メニューに力を入れ始めたのは「どこでも」の逆張り。
大阪限定メニューを食べたければリアルで大阪へ行くしかないから、人の移動が起こり、鉄道会社なども収入が増える。

今後企業が考えるべきなのは、「誰にでも」の逆張りをどうやるかだろう。
テレビ放送がらみでは、有料チャンネルがあるし、ネットフリックスもある意味「誰にでも」の逆を行っていると言える。

これを形のある「商品」でどう実現させられるか、ここが勝負所ではないだろうか。
そのためにはまず、経済学の初歩、商売のイロハを日本人全員が思い出す事が第一歩ではなかろうか。

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2015/10/29 07:18
コロは会社が社会に還元するのは当たり前だと考えマス。
会社が儲けていません。と、言うなら考えますが
今の世の中、会社の上層部が会社の利益を独占し
会社は利益の丸抱えと輸出すれば消費税還付金という利益まで持っていて
社員は正社員にせず、非正規の使い捨てです。
こんな使い捨て社員のままで中国人が買ってしまったからと言って高い商品はもともと買えません。
デパートやスーパーも今、来ている中国人は国家の一声で全く日本へは来なくなるでしょう。
(現在、中国は外国へ旅行へ行くより中国国内へ旅行するようにとシフトを切ってきました)
この中国人が居なくなった時、国内の人間の消費を頼るとしたら~
ここは今までの価格で日本人に便宜を図る必要がアルと商売人が考えるのは当たり前だと思います。
商売のイロハが売れれば高くなる商品とはいかないのでは・・・。
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2015/10/22 20:30
会社も、社長が独り占め。みたいなところあるんだな~。
こんな小さな会社で、スタッフもまともじゃないのに、根こそぎ行かれたら、たまったもんじゃない。
毎月、火の車で、会社の運営をしている。
でも、社長に、その自覚がない。

私も老後のことをおもうと、使えないんですよね。

社長も営業君も営業に出るけど、無駄な、接待ばかりで、実を結んでいない。

で、その言い訳を聞いたら、最初っから、無駄な話だったんじゃん。

どっかに行って、いい思いさせろって言って、接待させて、さいならって、無いよね。

営業君のボーナスから、ひかせてもらおうかと思ってしまうわ。

経営者のくせして、何もわかってない。

結局、経営者は、誰かに全部任せて、のほほんとしてる人が多いのかしら?と、思ってしまう。




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