あの素晴らしい放送禁止歌をもう一度
- カテゴリ:音楽
- 2009/10/17 21:18:42
元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦氏が今日長野県のホテルで自殺しているのが見つかった、というニュースを見て驚いている。
若い人は名前知らないかもしれないが、「あの素晴らしい愛をもう一度」という歌を聞いたか、学校の音楽の授業で歌ったことぐらいはないだろうか?
グループ解散後に別の歌手とデュエットで出した曲だが、今の中学生ぐらいなら「ああ、聞いたことはあるかな・・・」と思うはずだ。
いわゆる1960年代フォークというと我輩が思いつくのは、このザ・フォーク・クルセダーズ、岡林信康、そして「赤い鳥」である。
特にザ・フォーク・クルセダーズのデビュー曲「帰って来たヨッパライ」には衝撃を受けた。
音楽とか歌とかいうものは「こうあるべき」という既成概念を根底から覆されたような気がした。
この3組には実は共通点がある。
それぞれ最低1曲が「放送禁止」扱いになっていることである。
ザ・フォーク・クルセダーズの2曲目「イムジン河」はうって変わって哀調を帯びた美しいメロディーの曲だったが、政治的理由で発売禁止にまでなった。
日本ではもともと在日朝鮮人の若者の間で朝鮮語で歌い継がれていた曲を、日本語の歌詞に直し当時としては現代風に演奏した作品だった。
が、歌詞の内容が朝鮮半島の分断を、北朝鮮人の視点から嘆く、というものであったため、韓国系、北朝鮮系、両方の団体からいろいろな横槍が入り、現在でもオリジナルの音源を入手するのは難しいそうだ。
岡林氏は「手紙」「チューリップのアップリケ」の2曲が放送禁止扱いにされた。
もともと初期から「山谷ブルース」など社会批判性の強い作品を歌っていたのだが、この2曲は部落差別を題材にしたため、差別反対運動家の槍玉に挙げられるのを恐れた放送局、レコード会社によって葬られてしまった。
もちろん歌詞の内容は部落差別を助長するようなものではなく、むしろ情緒面から糾弾するような内容だった。
「手紙」は部落出身者であるために愛する男性との結婚をあきらめねばならなくなった女性の別れの言葉を歌詞にしたもの。
「チューリップのアップリケ」は被差別部落民の少女が、家出してしまった母親を恋しがる言葉で構成されている。
サビの部分の「みんなビンボ(貧乏)が悪いんや・・・おかあちゃん、ちっとも悪うない・・・」という歌詞はほんとに涙が出た。
赤い鳥は「竹田の子守唄」という名曲が一時放送禁止扱いにされた。が、現在ではCDでは手に入るようだ。
これも貧しさのためによその家に子守奉公に出された子供が、仕事のつらさを嘆き、早く自分の家に帰りたい、と独白する内容の歌詞だ。
ところが、この原曲が京都あたりの被差別部落に伝わっていた民謡らしいと分かって、コンサートなどでも歌わないよう自粛させられたらしい。
仮に被差別部落の歌だとしても、差別される側の苦しみ、悲しみを歌う事がなぜ問題なのか、我輩は今でも理解出来ない。
岡林氏はあくまで音楽の表現手段としてプロテストソングを歌っただけなのに、周りの学生運動家などから「社会への抗議者としての英雄」に祭り上げられてしまい、「政治的な歌手」のレッテルを貼られてしまって、それが嫌で何度も行方不明になっている。
現在でも岡林氏に会う事は音楽関係者でも不可能に近いそうだ。
ただし、制度としての「放送禁止歌」というのは実は存在しない。あくまで個々のラジオ局やテレビ局、レコード会社などの自主規制でしかない。
それも歌詞の内容をきちんと検討せず、「朝鮮とか部落に関係あると、なんかヤバイんじゃない?じゃ、放送しない方が無難じゃ・・・」みたいな形で放送禁止扱いされただけだ。
少なくとも上に挙げた作品は全てそうだと思う。
今の高校生までぐらいの人たちには信じられないような話かもしれないが、ほんの数十年前まで、そんな風に優れたポップスが闇に葬られ、ミュージシャンが最悪の場合活動出来なくなる、という例があったのだ。
加藤和彦氏の自殺がこういった過去の事と関係があるのかどうかは分からないが、ポピュラー音楽の世界にも、そういう暗い部分が存在するのは事実だ。
ここに挙げた曲を聴いたことがない少年少女諸君には是非、一度聴いてみて欲しい。ネット上でなら、あるいはどこかに音源が見つかるかもしれない。
改めて偉大な足跡を知りました。
「あの素晴らしい愛をもう一度」が新妻へのクリスマスプレゼントだったと聞き
驚きました。
2002年日韓サッカーワールドカップの時に『イムジン河』が発売されて、
喜ばれている姿を拝見しました。
歴史的な問題に巻き込まれたのかなあと感じました。
もう一度再婚されて支えてくれるよき伴侶に恵まれていたら、
こんなことにはならなかったのにと思いました。
「さすらいのヨッパライ」って曲が入ってる。
テレビでこの曲を作った人とかやってると全部聞いたことある曲でした。
すごい人だったんですね。
老人性の鬱病だったそうで、この病気怖いですね。
なんと、嬉しいことに私の経営するお気軽ゆるゆる変人さぁくる。の
おしゃべりトピが5000コメを突破しました。そこで、部外者様にも
5000コメ突破記念Partyに参加してもらおうと思い、この招待状を
お配りしています。
・ 主催場所
幸子(管理人)のマイホーム
・ 本日の主催時間
10月18日18:00から誰もいなくなるまで
・ 持ち物
ステプができる貴方の手
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①主催場所は気分で変わることがあります。
②いきなり友申されるかもしれないという覚悟を決めてから(?)お越しください←
*:;;;;;;;*(● ̄(エ) ̄●)ノ*招待状だったりする~♪*(● ̄(エ) ̄●)ノ*:;;;;;;;*
参加待ってます♪
ミカバンドもよかったし、木村カエラちゃんと歌ってましたね〜
自主規制って考えると、法律で規制されるよりよっぽど怖いことかもしれませんね。
昭和天皇崩御の時のテレビ局の歌舞音曲自粛もへんな話だと思いましたもん。
イムジン河が放送禁止になっていた事は、今回の加藤氏の訃報で知り
ました。岡林氏やチューリップも曲は覚えていないですが、そんな憂き目に
会ってたんですね。まぁ岡林氏というと、なんとなく学生運動のイメージあり
あますけど、実は学生運動家の方が利用してたんですか~。
差別用語とかって、いつもちょっと疑問を感じています。差別するつもりが
なくて使っても、あるいは悪意なく使っても、その言葉だけに神経を尖らせて
いる被差別サイドの意向がわかりかねる時があります。作品の質を損ねて
も、『騒ぐ』ことだけに意義を感じているのかなとか。差別を主張することで
さらに差別化を招いてはいないだろうか、とか。
音楽にしても、小説などにしても、枝葉末節をつつくことで、せっかくのテーマ
を損ねてしまう事が多々あると思います。だからみんな作り手も手を出さなく
なって、差別自体への関心も薄まっていくのに、と感じますね。
今回の加藤氏の自殺の理由が何かはわかりませんが、こうやって知らなかった
問題を再び呼び覚ましてくれたのは、一つの意味かもしれません。
加藤さんはこのニュースで初めてお顔を拝見しましたが温和そうな方でしたね
音楽にやるべきことがなくなったぐらいで死ぬのか?と思ってましたが色々あったんでしょうね・・・
心よりご冥福をお祈り申し上げます
放送禁止になった歌と言えば「きんたの大冒険」wなどのおバカなコミックソングしか思い浮かばなかったのですけど、
被差別者の感情如何でそうなってしまうことがあったのですね。
ハッピーエンドじゃない歌は受け入れがたいのでしょうか。
世の中には黒人奴隷の歌とかいっぱいありそうな気がするのですけど。
効いたことがあります。今ではどうか判りませんが。
イントロにSOSのモールス信号が入っており、
これが電波法に引っかかる懸念があったとか。
紹介してくださった放送禁止とは意味合いが違いますが。