Nicotto Town



生還(2)。

3月12日。
避難所からはまたとってもキレイな朝日が見えた。
また朝の配給ももらった。
あとは一刻も早くここを出なきゃなんない。
お客様を無事にお帰しするのもそうだけど、これ以上この避難所の食糧や水を減らすわけにはいかない。
これだけアタシたちを助けてくれた人たちのために、これ以上ここにはいられない。
どこへ出るか。

ラジオやネット、どれも断片的にしか届かない情報だけが頼りだった。
鉄道は運行再開の目処は立ってない。
飛行機は羽田が動いてはいるものの、既に1万7千人待ち。
高速道路はほぼ封鎖。

会社と相談して、新潟へ出よう、と決めたのは賭けだったかもしれない。
この時点で津波の被害があれほどまでに甚大だとは知らなかった。
同時に新潟港からの船の運航は全く保証されていなかった。
それでも太平洋から離れようとしたのは野生の勘だったのかな。

昨日のバス会社さんがドライバーさんを計4人、なんとか探して連れてきてくれた。
中には自分の家が潰れて今夜眠るところもない人もいた。
兄弟や親類の安否がわからない人もいた。
それでもウチのお客様のために、どの道路が無事かもはっきりわからないまま、水戸から新潟まで走りに来てくれたんだ。

断水によるトイレ休憩の失敗を繰り返しつつも、とうとう茨城を出た。
そこでようやく、会社から今晩のホテルが取れたと連絡があった。
取れた場所は越後湯沢。
空室状況もそうだけど、バス会社とのやりとりの結果、今晩ドライバーさんを自宅に帰すためには、この距離が限界だったそう。
朝の時点でホテル代はお客様の自腹である旨は伝えていた。
でもスキーシーズンであり、湯沢という温泉地である上、ちょうど土曜日に重なってしまったこの日の宿泊料金は本来9000円以上。
そこをなんとか8000円にしてもらったものの、その値段を聞いたお客様の怒りは爆発した。
元々10000円の格安ツアーだったのに約2倍の支払は納得できない、と。
最初はアタシもお客様も、みんな新潟のビジネスホテルに泊まる気だったからね。

幸い、アタシはまさかビジネスでそんなにするわけないだろうと思いつつも、
「安ければ4~5千円、高ければ8~9千円、高くても4ケタだと覚悟しておいて下さい」
と朝のうちに言っていたらしい。
その時はまだ土曜日だって気づいてなかったし、なんでそんなこと言ったかわからない。
でもその無意識の自己防衛が功を奏し、2号車のお客様は全員がしぶしぶでも納得の上そのホテルに泊まってくれた。
新潟市内と言っていたのが湯沢になってしまったことへのお詫びは正直に謝った。
1号車はちょっと個性の強いお客様が集中していて、添乗員が胸倉掴まれたあげく、結局数名がホテルに泊まらず自力で新潟まで出てスーパー銭湯で夜明かししたらしい。
なぜこんな大事になったかというと、ろくな食事も取れず横になって眠れず、お客様の気が立っていたせいもある。
がそれ以上に。
アタシたちがまともに映像で被災状況を目の当たりにしたのは、このかろうじて泊まったホテルのテレビが最初だったんだ。
ラジオで被災者何千人、とか聞いてても、アタシも含め誰もがこの震災の被害の大きさをわかってなかったんだ。

3月13日。
久々の暖かいご飯にふかふかのベッド、そして温泉のおかげで顔色の良くなったお客様。
朝、気持ちの落ち着かれたお客様多数から謝られた。
添乗員さん大変だったね、ありがとうね、って労われた。
テレビを見てわかった、こんな大変なことになってるなんて思ってもみなかったんだ、って口を揃えて言ってた。
アタシには誰一人責めることができなかった。
アタシ自身、思ってもみなかったんだ。軽く考えてたんだ。
何度となく阪神淡路大震災の展示館を見てようが、奥尻に行って南西沖地震の案内を空で言えようが、何一つ本当に理解なんてしてなかったんだ。
誰を責めれる権利もない。全てはアタシの力不足だ。

そうしてアタシたちは北海道行きの船に乗り込んだ。
もう相部屋だろうが寝台の上の段だろうが、誰一人何も言わなかった。
ただただみんな、無事に帰れることへの安堵感を抱きながら、同時にテレビを見つめて一人でも多くの被災地の人たちの無事と復旧を祈っていた。

3月14日。
朝4時半、アタシたちは苫小牧港に上陸した。
いつもの馴染みのドライバーさんの顔を見て、うっかり泣いてしまった。
会社に行って、無事帰着の報告と、サポートの御礼をして、帰宅。
たった4日ぶりの我が家がなんだかもう懐かしい。

アタシたちの旅はようやく終わった。

でも震災は終わっていない。
アタシよりずっと泣きたいのに泣けない人たちがたくさんいる。
帰るべき我が家がない人が数えきれないほどいる。
アタシが無事にお客様をお帰しできたのは、全てあの被災地の人たちの力添えがあったからなのに。
被災地の人たちにアタシが恩返しできることは、数えるばかりしかないんだ。
今回ほどに自分の無力さが歯がゆいことはない。

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2011/04/21 21:56
○ひかるママさん
芸能人ってあまり好きじゃない人たちというか、仮に大金払うからやってくれって言われても絶対になりたくない職業の1つだなぁとこれまでは思っていました。
が、こういう時に知名度を生かして力を発揮してくれている姿を見ると、捨てたもんじゃないなぁと感じます。
政府の方は…正直にいって気持ちがわからないでもないんです。
国民が首相に頼るように、バス車内のお客様はアタシを頼るしかないわけで。
状況が自分にもわかってない中で嘘もつけない、でも安心させなきゃならない、クレームに対処しなきゃならない。
規模はこちらの方がずっと小さいですが、どこか似たような立場なのかなぁと思うと、首相本人よりも周りの人たちがもっとそれぞれの得意分野で力を発揮して助けてあげてほしいなぁと思うところです。
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2011/04/20 11:25
ブログ読んでたら、涙がでてきちゃった><、無事に帰ってこれて良かったです。交通手段が全面的に
シャットアウトされていた中、よく頑張ってお客様のクレーム!?罵声?を浴びたんではないかと
思うと、伊達に修羅場(飛行機が飛ばないとか、船が出ないとかホテルが無い)を乗り越えてきた
添乗員であることが証明されましたね^^
実際、1000人以上の観光客の生存確認取れないと大騒ぎだったのですから。
現地の方は、死ぬも地獄!生きるも地獄を今味わっていると思います。非難勧告されても、脱出できず、
食事も、着替えも、身内の安否も分からず、1ヶ月以上も非難生活をさせられているのですから。
早く、復興できるよう出来ることをコツコツと協力するしか私には、出来ませんが、政府のリーダー
シップの無さには情けない限りです。
芸能人、アスリート選手達の力が日本中の人々に、支援の輪を広げてくれているのが、救いだよね。
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2011/03/24 20:14
○shinさん
今日からようやく苫小牧-名古屋便も運航だそうですね。
こちらは物資もほぼ滞りなく、食糧や水・ガソリンといったものも充分店頭に並んでいる状態です。
ので被災地近辺に知り合いがいる人はよく「水送ってくれ」などと頼まれているんですが、宅配便も3日程度でなんとか届いているようです。
72時間で物が届く、その裏でがんばってくれている人の努力を忘れちゃいけませんね。
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2011/03/23 19:06
北海道にも新たな船便で、
72時間遅れでの配送を実施中、
という状況になってきましたよ。
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2011/03/23 11:52
○光源氏蛍さん
お身内の方が被災していらっしゃるとのこと、まだまだ落ち着きませんね。
お一人でも多くの方が早く平穏無事な生活に戻られることを願うばかりです。
節電が叫ばれている中でここで遊んでいることも、復興支援に反することなのかもしれないと思いつつ。
被災された方がまたいつでも戻ってきて笑顔で遊んでもらえる場であってほしいなぁとも思います。
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2011/03/19 02:00
東日本大震災があって、北海道も被災とTVでみて、アリンコさんが心配でした。でも、僕も、それ以前の壮絶な闘いで疲れ果て、その上、またもやPCがおかしくなり、仕事しながら、眠りを裂くと倒れてしまいそうだったので、毎日2時間ほどしか時間がとれず、4日も掛けて(これまでの、経験を全て生かして、最良の状態で先ほど、完全復活できました!)
そして、アリンコさんの生還(1)(2)を読ませていただきました。一人の力は小さいけれど、その小さな力が積み重なって、大きな力になるのです、「ありんこ」さん、あなたは、あなたが出来る最高の仕事できていますよ!何も、自分を卑下する必要はない!
いえ、あなたのしていることに胸を張ってください!

日本は大丈夫、16年前の阪神大震災も乗り越えた。それより何十倍も凄い今回の災害だけど、僕たち

は絶対に負けない!

3/19、大変だった約2週間を何とか乗り越え、復活いたします。
3/5からず-と訪問してくださり、心よりお礼申し上げます!
東日本大震災で、私の兄姉や、その家族、そして大切な友人の多くが被災して居られますので、3/1

9復活してまず、そちらへの問い合わせ後、ニコットに復活いたします!
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2011/03/18 22:12
○shinさん
shinさんこそご無事で何よりです。
ご自宅や職場が近いのでは、と心配していましたがほっとしました。
本当に一か八かの賭けが当たったようで、もしあの時羽田を選んだり、あるいは新潟の船の出発確定を待っていたりしたら、もしかするとまだ帰って来れなかったのではないかと思います。
良かったと心底思う半面、無事にこちらに帰ってきてしまうと、あの災害が何だかもう別世界の出来事のようにも思えて、うっかりいつもと変わらず水を無駄遣いしたり燃料を余分にかけてしまう自分が恥ずかしいです。
余震もお気を付けて、お忙しい中と思いますがくれぐれも体は大事にして下さいね。
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2011/03/17 23:19
水戸にいたとは。
よくぞ短い期間で帰れましたね。
今実は船便で北海道に荷物が運べなくて困っている状態だったりします。
本当に良かった。
他のツアーで飛び回っていたお仲間も無事でしたかね。

今宵もまだ中規模の余震が続いてます。
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2011/03/16 23:29
○yoneさん
ただいま、と言える相手がいることは幸せなことですね。
実は未だに生還した実感が湧かず、ふとした瞬間「これは全てアタシが棺桶の中で見ている夢なんじゃないか」と思うことがあります。
たった1日の被災だったアタシですらそう思うんですから、被災地に居住する方々の精神的ケアはこれからの長く重い課題となりますね…。

○ももんがさん
勲章…ですか。
お褒めの言葉だとは理解しつつも、申し訳ありませんが今は全く喜ぶことができません。
こんな勲章いらないから、起こった悪夢を全て無かったことにできたら、とどうしても願ってしまいます。
できないことだからこそ、自分にできる精一杯をこれからやっていかなきゃならないんですよね。

○紅子さん
被災地の状況や心情を伝えられる人間の一人になれていたなら嬉しいです。
これが少しでも被災地の力になれること、そしてまたいつか起こるだろう災害の役に立てることを願って止みません。

○まりもさん
謙遜でなく、全くアタシの手腕ではありませんよー。
避難所の方、バス会社の方、ホテルの方、船会社の方、会社の仲間、その他大勢の力があってアタシたちは無事生還しました。
アタシにできるのはこれからの恩返しです。微力でも何でも、今度はアタシが助ける番です。
今はまだお金があっても使える場所がないという印象でしたね。
もちろん今後のために募金もとても必要な大切なことですが、まず食べ物を残さないとか紙を無駄遣いしないとか、むやみに燃料を使わず歩くとか、誰もが身近な些細なことから始める必要があるように思います。
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2011/03/16 22:57
すみません、まとめてこちらで返信させて頂きます。

○びゅ~さん
生きて戻れないんじゃないか、と思った瞬間は本当にありました。
何せ情報不足だったので、津波に飲まれるとか被爆するという恐怖はなかったんですが。
食糧不足と寒さが心底恐ろしかったです。
北海道に生まれ育って、寒さが怖いと思ったのはこれが初めてでした。

○きんちゃん
大げさでなく、10分早くても10分遅くても無事には戻って来れなかったと思います。
命とまではいかなくても、間違いなくケガ人は出ていたでしょうね。
不幸中の幸いという言葉しか思い浮かばないです。
こんな言葉で片付けていいのかわかりませんが、運の良かった人間なんでしょうね。

○妃呂さん
とても嬉しい言葉です。四葉のクローバーも本当に嬉しかったです。
被災地の人にお世話になっておいて、何の恩返しもできないまま、すぐ数日後には温泉ツアー。
会社の命令とはいえこんなことしてる場合か、他にやるべきことがあるだろ、とひどく葛藤しました。
でも妃呂さんの言葉で、アタシたちがまず先に平穏な日常生活に戻ることが、被災地の人に次は自分の番だって思わせる希望になるのかなぁって思えるようになりまして。
無理してでも楽しい思い出をたくさん作ってもらえるようにすること、そのお客様たちにまた明るい日本を作るための原動力になってもらうこと、それが添乗員としてできるアタシの精一杯かなとも思いました。
もちろん添乗員としてではなく一人間として募金や節電などもできる限りやりますよー。
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2011/03/16 18:28
お帰りなさい。
無事で本当に良かったです。
行き先が水戸の上に、船舶って書いてあったので
もう心配で心配で><

交通が麻痺している中、短期間で
北海道まで帰宅できた手腕にびっくりです。
お客様がいて気が張っていたからでしょうね。
でも、すごくいい経験をしたと思います。
ぜひぜひ、ありんこさんの話術で
多くの同業者の方に伝えていって下さいませ。
今はゆっくり休んで下さい。お疲れ様でした。

今回はすごく募金しようと思ってるんですけど、
ふと確実に届く募金場所って、以外に難しいなと思いました。
ちゃんと届いていますように。
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2011/03/15 23:40
じっくりと読ませていただきました。
でも、無事で本当によかった。。。

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2011/03/15 15:46
うーご苦労様。
トラブルになると、私はいつも以上に力が出るのですが、
過去の奥尻島の大地震の際に、北斗星で北海道向かったのを覚えております。
函館から波打った5号線を急遽調達したバスで定山渓向かったのを今もよく覚えています。
添乗員としての勲章をまたひとつ手に入れ強くなったのだと思います。

ツアーを一体感もって運営することは確かに大変ですね。
でもご苦労様。
日本海側も地震続いていたので、不安も多かったでしょうに。
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2011/03/15 10:54
おかえりなさい(..)b
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2011/03/14 20:42
無力さなんて考えないで、いまはゆっくり休んでください。
あの凄惨な被災地から、一人でも多く無事に帰ってこれた、
その事が何より被災地の方も、いまだ帰りを待つ人たちにも
希望を与えられる事だと思います。
とにかく、無事でよかった。おかえりなさい。
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2011/03/14 20:17
・゚・(つД`)・゚・
お疲れ様でした。
しばらくは休暇かな。



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