Nicotto Town



奥尻③伝説編。

③で終わる気がしない奥尻おべんきょう会。
だってまだ半分行ってないんだもの。
最初に変な愚痴なんか書いたのが悪いか。

青苗岬を出て北上すると、米岡地区。
その名の通り、米が穫れますよー。
北海道の離島で米作ってるのは奥尻だけです。
野菜も最近奥尻産の人気が高いしね。
肉も魚もあって食材は豊富な島だけど、果物はほとんどダメ。

水田の反対側には奥尻空港が見えます。
1日1便のみ、奥尻島と函館を30分で結ぶ路線が1本のみ、定員36名の小型機のみ。
それでも医療設備の整っていない島民にとっては大事な空港なんです。
震災の時にはここに自衛隊のヘリが着陸して救助しようとしたんだけど、全ての電気が止まっていて夜間着陸ができずに、悔しい思いで上空から被災状況の報告をするしかできなかったんだって。

空港を越えると今度は西の海岸線が見えてきます。
ここから奇岩と一緒に奥尻島に伝わる伝説をちょこっとご紹介ー。

最初に見えてくるのが「無縁島」。
昔、清次郎と歌子という夫婦がいました。
仲の良い夫婦に待望の赤ちゃんができた頃、清次郎は歌子を裏切ってその姿を隠してしまったの。
悲しみに暮れ生きる希望を失った歌子はその身重の体で海に飛び込み命を絶ちました。
その後、この地に無縁というお坊さんが訪れます。
歌子を訪ね、島民にその悲しい末路を聞いたお坊さんは、歌子の供養をしたいと申し出て、青苗岬の南、室津島で食を絶ち座禅を組んでお祈りします。
その数日後に奥尻島には嵐が訪れ、空が晴れた頃には室津島に無縁の姿はありませんでした。
島民が心配して無縁を探すと、西海岸の三角の形をした岩にその身は息絶えて流れ着いていたの。
しっかりと数珠を握りしめたまま。
島民が供養をしようと、その遺体を引き揚げて顔をみると、無縁と名乗ったお坊さんは実は清次郎だったんです。
裏切りを深く後悔した清次郎は再び歌子の元へ戻ってきたかったのね。
清次郎と歌子の悲しい恋物語に由来して、その三角形の島を無縁島と呼ぶようになりました。おしまい。

無縁島から進んで右手に「ホヤ石の滝」、そして「ホヤ石の岩」。
ホヤにそっくりだからだそうで、日本酒好きにはたまらない形の岩だとか。
ホヤ石の滝近くの岩壁には、津波がここまで届いたよ、っていう記録の線も描かれています。

ホヤ石の先に見えてくる、小さな丸っこい形の岩が「モッ立岩」。
ここから子どもは読むの禁止ー。
ここにはある未亡人の女性が住んでいたの。
早いうちに夫を亡くして、生前とても仲のよかった夫を偲んでは寂しい毎日を送っていたのね。
ある時、磯に岩のりを取りにきた女性は、海の中に丸っこい形の突き出した岩を見つけます。
寂しい夜を過ごしていたこの女性には、どうしても「あるもの」の形に見えてしまったんだそうです。
夫のものによく似ていたその岩を見つけて喜んだ女性は、その後の暮らしの慰めにしたんだけど。
そのままの名前を付けるのは恥ずかしいので、頭の一文字を抜いて今の名前にしたそうです。
意味がわからない子どもは大人になってから考えてください。
意味がわからない大人はネットで写真でも見つけてみてください。
これもある意味「シンボル編」だよね。笑

もう1つ見える奇岩が「カブト岩」。
鎧武者の兜に似ていたから、っていうのが由来なんだけど、今はもうその形はしていません。
南西沖地震で半分が崩れて落ちちゃったの。
でもこんなでっかい岩が崩れて、なべつる岩が無事だったっていうのは正に奇跡だよね。

西海岸のちょうど真ん中あたりが「北追岬」。
彫刻家の流政之氏が作った8つのモニュメントがあります。
第二次世界大戦後、北方領土がソ連に奪われると、国後島の住民は故郷を追われ奥尻への移住を余儀なくされました。
その時の望郷の思いを伝える彫刻が北追岬です。

③まで書いて残り半分。先は長い。
でもさー、これだけの話がんばって覚えてても、島ちっちゃいから全部話してるヒマないのね。笑




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